2021年12月2日木曜日

そのピアノの出だしで泣いてしまう

 映画を見た。
主人公が歌い始め、彼を中心とした世界が始まる。もちろん意識を戻せヴァ、まったく彼を気にしない世界が動いている。
ミュージカルは独白を映す。
でも自意識とか思春期ってほとんどそれで出来てる。
それでどこか懐かしくなって、忘れていたことがもう一度どこどこと音を立てて引き出しから出てくるようにして、もう一回!とやってくる。
映画見てたらもう一回何か出来るような気がしてくるのだ。
まだやれていないこと、やれなかったために苦しんでるものがあるような気がして、、いや、気づいて。

机の上に昨日、美しかったもみじがのっている。

SNSの時代、でもどこか誰かに見て欲しくて。
年を重ねていくとなるべくオープンになって、実際的になって、やることが現実的になって。
子供っぽいだろうか?この感覚。
でもそれが世界に響く可能性は?ない?

もう一回、美しいかもしれないと思う、今思える言葉をなるべくどこかに書こうとする。
自分がこう生きたいを誰からのフィードバックも気にしないところで書いておくことは可能かな。
そう思い立ってベット(布団)の上でこれを書く。
布団よりベットの方が決まって見えるから。でも今は布団の上だ。

こういったミュージカルの感傷なんて今後、大人の社会では使えないだろうか?

学生の頃、たくさん公開される日記に恥ずかしいことを書いては次の日、学校でみんなに会うのが恥ずかしくなっていた。

2つ自分がいることを会った時になんとか調整してわかってもらうことは出来るだろうか、そんな努力は不要だろうか、芸術に邁進するなら気にしなくていいことかも。でも芸術はあなたとの間に起きるものでもあるから、ここに、あなたの目の前にも私は立つ必要があり。

美しい曲を書きたいと思った。
こういうことは20年くらい前にも思ったことだ。
ずっとその時の気持ちが続いていることもとっても大事なんだ。

よし