2022年6月27日月曜日

朝の公園や、

 最近はとても暑くなってきて一気に夏を思い出していく。街にも人が溢れているからそれが一層思い出しに拍車をかける。 

公園で練習するのが楽しい。2時間くらい歌とダンス。これを夏の日課にしていけたらと思う。

自転車でゲーテインスティテュートへ。自転車でいけるなんて快適だ。たくさんの人が来ていてダンスの人やアートの人、間の人、パフォーマンスの人、様々な人。演劇の人は少なかった。

60年台からの日本の前衛の話がまとまってされていて、それと現代の接続の話になったけども表現のことだけ扱うと話せても、状況の変化の話も同時にしないと現代で応用するには難しいところもあると思う。かつてそのアクションが時代に対して有効に働いたかどうかは問題ではないのか、現在、何かアクションで時代に働きかけてそれが有効かどうかは検証されないのか、など聞きながら考えていた。

途中、色んな人と喋ったり出来たり出来なかったり懐かしい感じがあった。だけど、僕が変なだけかもしれないな。 もう30の中盤だというのに折り合いがつかない部分もある。そういう知り合いのアーティストたちはやっぱり社会的には成功してない人のが圧倒的に多いイメージだ。

でも今日の朝、公園で体を動かすのはとても気持ちよかった。



2022年6月24日金曜日

もうすぐ

 今日は夕方から自転車で近くのギャラリーへ行ってツタヤに寄ってそして劇場へ到着してトークをすまして帰り道スーパーに寄った。業務用スーパーで久しぶりに小松菜などを買った。そして店の外に止めていた自転車に跨って中目黒に沿った道路で夏の暑さがもうすぐそこまで来ていることと一緒に寂しさも含めて感じて頭の中をフジファブリックが流れていた。寂しい、から何か探しにいくようなあの眩しい姿勢のことを思い出した。

2022年6月11日土曜日

うまくいくかな

 最近は眠れない日が続いている。あるいはへんな時間に起きてしまう。 今日はうまく眠れるといいな。 明日は午前中から取り組まないといけない書類がある。でも今回もうまくいかなそうだ。やれやれだ。


2022年6月7日火曜日

鮮やかな、事

 雨が降っていてスタバでアイディア出しをしていた。今日は結構調子良くて、めどなんか立ってないけど前から考えていたミュージカルではなくライブでもない音楽と都市を題材にしたアイディアをスケッチ含め走り書きさせた。そうそう、好き勝手やらせてよ、なぜみんな同じようなものを作るのか。もっと色々なものを見て別の形式を探すべきだと思った。改めてそういうことが思えたのも久しぶりでよかった。

整骨院で少し肩を調整してもらい自宅へ。

早めの夕食を作るべく準備にとりかかる。ふとフジファブリックを流してみる。なんか一回聞きながらこないだのwsでなぜ、普通に音楽をかけて踊るをしなかったのか、と思い始めた。なぜ最も自分が最初に出会ったことを紹介せずにダンスの抽象性とか、ダンスはこんなことも出来るよ、とかそういうのは二の次だろ。今ここにいるということ。気持ちの高揚や、音楽と関係を作ること、なぜそういうことを小さい受講者たちと共有する選択を忘れていたことが悔しくて泣けてきた。遠くまで行ってもう2度と会えるかわからない人と会うというのにあまりにぼんやりしていた。なんというか大人側になっていた。 こないだのプレゼンだって大人向けのトークのために青春を低く見積もって話した。僕は馬鹿だ。 大人との仕事のために動くな、若い人の鮮やかな時間を少しでも作る手立てとしてとにかく接する、率直に向かう術の方を忘れていてはどうしようもない。世間や世界に笑われることを恐がってる人たちに、笑われてもいいじゃないかと、笑笑に行くようなことでいいじゃないか、丸腰で。何かを履き違えてる。そこではもうダンスだってどうでもいいじゃないか、生きていることの方がよっぽど大事だ。子供に向き合えるように生きていれてるだろうか、今日描いた絵は少し良くなっていた。子供に戻るために絵を描いていたんだ。絵を売って仕事にしていくために、よりも前にさ。 人に笑われたり、置いてけぼりにされることを恐れるなよ、子供でいようとすることを恥じるなよ。あの時の事たちに失礼な気がする、人じゃなくて事が自分にとっては大事なんだ。きっと。

ほんの少しだけ、戻ったかもしれない。明日も明後日も思い出せ、そして今を生きろ、