tag:blogger.com,1999:blog-13836091866449847922024-03-14T15:17:25.754+09:00I am aokidどうもaokidです。東京を中心に活動していますが、夢は大きくもっと色んなところで活動活躍出来たらと日々もんもんとしています。
活動はaokidとしておどったり、絵を描いたり、aokid cityという架空の街を作るというプロジェクトを持っていたり、ゲリラパフォーマンスなんかをしたりしています。aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.comBlogger778125tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-48819109890325320572024-03-07T01:51:00.003+09:002024-03-07T01:51:51.881+09:00砂漠<p> ショーンペンが主演する映画で、邦題は、ここが私の帰る場所、みたいなタイトルだった。するとそのCMではかの有名なthis must be the placeが流れてくる。まさにこの曲の両面みたいな感じがする映画なんじゃないの?と観たい欲求に駆り立てられる。</p><p>そもそも彼らがこのthis must be the placeを歌う時、日本語に翻訳されると、家のことを歌っていることが強く感じられる。僕の家や、行くべき場所、あるいはここではなかった場所というのがどこだったか。そういうことが流れる。</p><p>ここは私のいる場所じゃないと風が教えるように吹くとさみしい。そう感じることも多かった気がするけど。きっとそのことをたくさん感じている人がいるんだろうと想像する。</p><p>それはさみしい。風が吹くようにさみしい。しかし風が吹くような、に還元してしまうのだけど、きっお言い表せなく、そしてほとんど全ての人からそのことは消えていく。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-53684078859817559202024-02-26T01:29:00.003+09:002024-02-26T01:29:52.586+09:00オマケ<p> フリーオプンデーが終わった。12月のオマケくらいな、仲間達との許された時間だとか思っていたけどしかもみんなで稽古は一日と数日の秋田勢でのリハーサルだったけど、とても特別なものになった。実感的で他で見た事のない、再現も難しいかもしれない。それはメンバーや、やはりここに集った人たちの身体によって可能になった。これまでの習慣とか考えとかそういうのの総動員の出した今日の答えみたいな感じ。</p><p>劇場なのにあまり劇場と感じない作品。</p><p>僕は舞台の上で回すのに精一杯だったけど色んな人が色んなところで起きている、観客も演者も含めて。そんな景色を見たと書いた感想があった。自分がなぜ街とかに惹かれるのか、を思い出した。そこには色んな人がいる、誰かが出てくる、その行為や景色にいつも感動したり優しくなったり強くさせられたりする。思い出す。</p><p><br /></p><p>一方でバイトの連絡が来る。やはりフリーランスで安定して入ってなかったから仕事がないからといれてもらえない。昨年、色んな場所で頑張ったけども、それをしたって東京での評価や仕事には繋がらないんだ。それは別に地方だって同じことだね。だから文句は言えないけど、難しい。</p><p>忙しくとも地道な活動を続けないと信用してもらえない。まぁo.kという感じで、頑張ろう。今年、大吉をひいたということだけが自分をジョークのように今年連れ沿ってくれそうなんだ。なんて頼もしいんだろう。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-56599168933388157332024-02-23T04:48:00.002+09:002024-02-23T04:48:56.625+09:00もしかしたら昨日は朝早くてそれで今日は寝れるかと思ったら眠れない。色々悩んで頭で考えて、こんなことを思った。幸せになりたい、という言葉だった。以前、幸せにどうか届けと思って声をあげようとしていたんだった。最近はこの声の届け先を、奥行きを、何をもって発すべきか、遠近感をつかめなくなっていたような気がする。 言葉ではわかったけど実際にその感覚に戻るのか、あるいは別のところへ行くのかはわからない。色んなことに落ち込んでいたけども、幸せになりたい、という気持ちを素直に言えたらなんか自分を再び押せる気がする。 その気持ちもなく、ただなんとなく手癖とかでギリギリやってた感じがする。調子が戻るかもしれない。aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-80462112101279551022024-02-21T02:04:00.002+09:002024-02-21T02:04:24.074+09:00起き、<p> 夕方に家を出てドタバタしてテンパりつつ、歩きながら整えようとしているとおばさんに呼び止められ、彼女の載ってる自転車のサドルを下げるのを手伝った。あんまりない頼まれごと。</p><p>夜は渋谷で踊った。友達と話したり笑ったり動いたりする、それらが渇いて気持ち良くて。</p><p>それで実家に帰った。遅かったから少し一緒に両親と動くやつをやって、それで引越しの話を具体的に聞きたりした。この小6の時に引っ越してきた家ともさよならだ。自分は実家を出るのが非常に遅かったので、思い入れも出来てしまった。そういう意味でももっと早く出ていれば悲しみは少なかったのか。色んなことに対して最近は思う人生のターンに来ているのか。色んなことが遅かったために愛着が出来て。</p><p>悲しいことがいくつか。もうダメなんじゃないかと思う。無限に広がる世界を見ようとしていたのに世界の壁や限界が近づいて来たり、色んなことが疲弊してしまって頼り合えないような予感。今週頑張らなきゃいけないのに。</p><p>渇いた、っていうのをポジティブに捉えるのって湿ってるのの逆ということでなんだろうか?</p><p>とりあえず明日よく起きよう。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-37072495755806818192024-02-20T02:40:00.003+09:002024-02-20T02:40:30.645+09:00高円寺<p> 今日はなんとかBARで池田さん涼ちゃん、村上くんが店主をするというのでこれは行かねば、と夜に狙いを定めつつ高円寺だし路上ライブでもやっていっちょビール代くらいは稼いでと少し早めに着く。</p><p>最初はこないだの中目黒のような緊張があるが段々と色々恥ずかしくなくなって少し無敵みたいになる。この状態の路上ミュージシャンは見ないので結構面白いかもしれないとか思いつつも、中々足を止める人やましてや投げ銭をしてくれる人はいない。もちろん演奏技術もないので、展開も作れない。最後、向こうの方から若い三人組がやってくる。のタイミングで苦情を受けた警察官の方がそれを伝えにきてくれる。</p><p>解散でお店に向かおうかと思いつつ若い子たちと話す。その流れでギターを弾きながらなんとかバーを目指して練り歩く。途中で思い付きの歌を歌っていると拍手をもらったり、あるいはおばさん達が合流、若い他の子達も合流みたいな感じで10人くらいになって街を少し歩いた。なんか奇跡みたいな瞬間で嬉しい高揚感のままお店に辿り着く。その時には最初の3人にしか残ってないけど、彼らに少しビールを奢りつつ楽しい夜を過ごした。最近、貧乏だからお金を稼ごうと思ったら稼げず、この状況でそりゃあ少しは奢らなきゃと奢って、なんかまた何かに繋がればいいな、とかは思ってもいいよ? 久しぶりに瞬間が時間にダメージを与えるくらいに嬉しい時間だった。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-86346925558915288082024-02-08T02:20:00.002+09:002024-02-08T02:20:17.134+09:00夜の部屋<p> 部屋のいいところは少しだけカーテンを締め切らないと外の灯りが少し中に入ってきてしまって、それを真っ暗な部屋の壁に見つけ見るときにいいなぁと思ってしまう。外の世界と真っ暗の部屋の世界ともう一つ夢の深い中の世界に入ろうとする手前。</p><p>今日は初めて(正確には違うけど)路上ライブをした。少し終えた後に見る街は違って見えた。</p><p>明日こそ早く起きたい。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-23062761839028440572024-02-04T03:23:00.002+09:002024-02-04T03:23:20.546+09:00楽しませる自分を太陽で<p> 学生の頃。活動を見ていた周囲の人によく考えない方がいいよ、どんどんやれと、言われていたけど考えないでやろうとしてはうまくいかない感じがずっと続いてそういった人や意見からも離れて、とにかく考えるしそれでやる。にしたら少しずつ状態を脱していく感じがして。今になって思うのは今ひとつアドバイスの具体性に欠けていたんだと思う。結局その思考しつつ何かするというのがパフォーマンスにも出てきているわけだし。とは言え、今は本当に眠れない日とかは意味に押しつぶされそうになる。坂口恭平が言ってたけど深夜になると良くないことを考えてしまうから早く寝てしまう、みたいなことを、言っていて最近はちょっと良くないことばかり考えるようになっていると思う。喜びに出会した時は楽しさを感じる。友達とふざけてラップしたり他愛もないことをなんとなく他人と話している時に喜びは感じるけど、普段、幸せや喜びをイメージすることが難しいと思うことも増えている。困った。生活に置いて幸せをイメージしたり憧れるということも1つの自分のエネルギーだったと思うが、今はそれが難しい。他人への想像力も落ちてきた。自分の周りもあるいは戦争をしている世界や支配があって、考えを展開するのがクソむずかしい、、けど明日はやはり太陽でも浴びてそれでも出来るところから想像して自分を楽しませなきゃ。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-72116488288666052092024-01-30T00:32:00.004+09:002024-01-30T00:34:39.954+09:00なんでも<p> 2024年が始まった。今年は辰年だから年男だ。大吉だったし、いいことがありそう。 昨年は本当に忙しくて数えたら合計で100日は東京にいなかったことになる。ひぇー。後半はあまりに忙しかったため、バイトにもほとんど入れなかったから1つの目安でもあったバイトなしでの活動タームに4月までには入れるのでは、と勘ぐっていたものの12月いっぱいで仕事が入らなくなってしまい、いきなりここ数年で最もピンチというか焦りの時期に入った。</p><p>昨年は忙しかったけど精神的にも色々としんどいと感じる時間も長かったり、人に助けてもらいながらも自分の時間を十分に確保することも一方で難しいというバランスの中でなんとか乗り切ったという気でいた。甘かった。色々甘かった。ということで白紙で始まる2024年だからこそ大吉だと思おう。</p><p>なんでもない自分から始めるような気持ちで、、</p><p>友達にリスクヘッジくそやろうと言われるくらいに色々先回りして考えていつもやっていたのがここ数年の隙をそのままにしてたツケが回ってきている感じしてとても焦るし、悲しいところもある。</p><p>幸せになんだかんだ自分はずっとなりたいと思って生きていたんだと思う。でも知り合いのアーティストの話で、幸せなんてとっくの昔にどこか、って聞いて確かに幸せを放棄する生き方もあるだろう、と思った。それに今日帰ってくるとなんかキツイなぁとか思って、でもこの感じからどうしたって解放されることも自分はないんじゃないだろうか、と思った。何か素晴らしく幸せでずっと自分を安定の幸せの中に置いてくれる何かなんてイメージとしてそもそも現れそうになくないかい?ということが頭に出ていた。</p><p>とりあえずドラゴンだ。なんでもやろう。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-78396092714646580242024-01-06T04:35:00.002+09:002024-01-06T04:35:28.796+09:00色々<p> 昨年は絶不調だったかもしれない。何かをするモチベーションのありかが迷子になってしまっていた。だから何かをするにせよ、深いところから水を汲んで来れないような、そういうガシッとした感じがなかった。なんとかこれまでの経験とかで応答していたような気がする。だから何かこれをしなきゃ、と夜中とかに思い立つ、その根拠のないかのように見えたそのとっかかりの切実さみたいのがほとんど感じられず別のことに悩まされていたんだと思う。</p><p>たとえば自分は踊るために踊りをしていない、とりあえず踊っておくし、とりあえず走っておく、とりあえずとにかく書いていって、描いていって、歩きに出かける、見る、読むをとりあえずやって、人にもとりあえず話しかける、とりあえず知らない世界をもう少し覗こうとする、とかしていくと互いに反応し合ったりしてヒントみたいなものに出会える。これをやりきることでこれを達成するではなくて、全てが緩やかにつながっていく気がする、というささやかな感じを頼りに始まる。だからこれだけだとうまくいかない。世界が開いていないとうまくいかない。世界が広いことに対して適当な想像力をあてることで始めようとすることで風穴が開くとか、とりあえずその風穴から風は通っていることを考えたりだとかしていく。 すごく今多分年齢に焦っている。身体も動かなくなってきているのを感じたり。でもその事実は動かせない、そ!でも動く時間を作ったりじゃあそれに応じて別のことをする、もしかしたら互いにそれが引っ張り合うかも、を想像し取り組む。それくらいしかできることがない。悲しまない、楽しむ。明日も色々やろう。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-71158632830378645022024-01-01T03:00:00.002+09:002024-01-01T03:00:30.627+09:00ランニング<p> 東京タワーまでランニングと思ったけど出発も遅く、途中で折り返してしまった。10kmちょっと。久しぶりの年越しランニング。 都会の真ん中ではなくその周辺を走っていた感じ。みんなが幸せそうに見える、とか思った瞬間、じゃあパレスチナやウクライナの状況を想像してみる。そうも言っていられない。</p><p>走ることである程度体を動かせば払拭されるものがあると思う。コスパは悪いのか、良いのかわからないけど今年はこういうのが大事になってくるかも。</p><p>帰ってたくさんのアイスやシュークリームやビールを飲んで食べた。ミスタービーンの映像を見ながら。</p><p>なんというか東京に帰ってきて疲れるなぁ。こんな想いはほとんど持ったことないけど。疲れている。うまく話せる自信がない。</p><p>中学の同窓会で20年ぶりくらいに集まったんだと思う。みんな少し年取ったかなと思ったけど時間を過ごすと昔のことが思い出される。みんなに許されていたんだなぁとも思ったし、やっぱりそこにずっとはいられなかったから別のところへ行ったんだと思う。</p><p>大人になってもそういう感じが出てくる。</p><p>にしたってみんな結婚したり家買ったり子供もいたり、そういう人が多くてすごい。</p><p>ずいぶん色々疲れたけど、走っている中で都会の方とか回ってもやっぱり都会が踊っている、みたいな感じは全然しなかったかも。都市によって違うだろうけど。そのことについての考察を走りながら出来たら面白そう。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-34086744403758370732023-12-03T02:57:00.004+09:002023-12-03T02:57:43.205+09:00書く壁<p> また眠れない。本当に困った。寝る前に頭が活発になると眠れないのか、随分今日だって体いっぱい動かして疲れたのだけど。</p><p>ひどい。村上春樹くらい生産性のない話だ。いつからかネガティブな意味での村上春樹を言うことの方が多くなった。そんな悪いところだけじゃないし。たくさん読んだし今も読みたくなる。こないだは舞台を見た、隣の観客は品の良い涙を流していたけどその理由は知る由もない。 しかしこれを今ここでやる理由はなんだろう、とか考えちゃうけど、そんなことを言ったらパレスチナを攻撃する現在のイスラエルの世界的状況に対してなんと言えるだろう。正義とかこの方が良い、やるべきだ、みたいな方向性でめっきり世界は動いたりしないと示しているような世界に生きるようになってしまった。もう少し若かったら直感が動いて行動が動いて言葉が動いて、どこかへなにかをどういう風にしてかできる自分がそこにいるんだろうか。</p><p>振り返るといつもやめたり追い出されたりし続けてきた感じがする。途中まではそこにいていなくなるということ、初めから知ってるわけじゃないけども、それでもなんかスパイみたいな居心地。</p><p>もう結構生きてきたけど35年、でも本当に100年生きるなら半分も行ってないけど、こういうことをそもそも75歳になったら言わなくなるかも。身体も思考も変わって。こういうのを書くようになったのもたぶんまだ20年くらいだし、。結構生きてきて、中々そうも言ってられないとか続きを書こうとしたけどその75年の変化を想像すると全然惨めとかそういうんじゃない気分が作れるかも。文字を書き進めたためにそういうことが起きていく。</p><p>全然なんでも大丈夫かもしれない。</p><p>自分の惨めさを文章にして書く時、そこに文字の壁が現れてその壁に寄りかかれるという時間が生じるみたいだ。</p><p>なんというか、ここには誰もいないのかもしれない。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-85793566772826926952023-11-28T04:32:00.001+09:002023-11-28T04:32:37.154+09:00風を待つ<p> 東京に戻ってきた。帰ってくるとなぜ、ここにいるんだろうという気持ちになる。なぜ、あのまま韓国でなく台湾でなく秋田でなく名古屋でないのか。</p><p>またしても眠れない。最近の自分の成果はこの眠れないことを書くくらいしかないのでは、と思う。段々といくらか文脈を共有した周りの世界との距離が今は色々あってきつく感じられる。 鬱の人の声のパターンは数種類しかなく、その声に耳をすませるとただ体を持っていかれるというようことを坂口恭平が言っていた。元気な人の声というのは逆に無数にパターンがあるとかいう。なんていうことだろう。</p><p>今年は本に書かれたテキストこそが自分を最も興奮させる芸術の一つだったように感じられる。坂口恭平の話も面白かった。あれは昨年か今年か。それはテキストではなく今まさに喋られる言葉と音楽だった。言葉を放つための準備と実践があり、音楽は別にそれを聴くためでなくあなたがやってください。ということだったと思う。 基本的には自分も今は民衆の解放のような気がする、これは広太さんも言っていたエントロピーだっけかな?また新しいワード。一部の人の権利のための芸術、なぜ、となる。</p><p>イスラエルがパレスチナを進行し続けた歴史とダンスのことを関連して考えてしまう。スペースのこととか。中国が香港や台湾を内包してしまうのには賛成出来ないが中国の文化には圧倒的な関心がある。</p><p>しかし西洋のダンスを考えるとスペースの支配みたいなことを考えてしまうところはあるかもしれない。それで今結構、集団でスペースを占領するようなダンスにうんざりもしている。</p><p>肉体で埋まってしまうとか、ナルシズムの意識でスペースが埋まってしまうとか、じゃなくて風が吹いていてほしい。雰囲気は違うけど岸田劉生の描いた坂道の先に青空がある絵。そういう風に意味を読み込むのは絵画において二次的かもしれないけど、風があの坂道に抜けていくのだけずっと知っている、みたいなダンスのことかもしれない。ずっと言葉にできなかった違和感をさすならそれかもしれない。そこには風に吹かれている人がいるのかも。劇場には風が吹かないからそのことをずっと考えている。劇場に来る人は風を見たいなんか思ってない。人を待っているだろうけど。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-12076798108077551172023-11-26T02:12:00.004+09:002023-11-26T02:12:48.695+09:00いびき<p> 明日が本番でちゃんと睡眠だ、と思ってホテルの布団に入るもいびきが聞こえ嫌な予感。結局少しだけ眠りの入り口で彷徨うも引き戻される。 いびきで嫌なのはいびきをかいてる本人の状態はもちろん眠っているということを込みで想像されるのでなおさら行き場のない。でもそんなこと言うと世の中には不公平で行き場のない思いが無限に溢れているのとに行きつき、明日僕の本番に支障が出ようとそんなことは全然たかが知れている1つの事例に過ぎないし、とにかくそうであっても良く働くことこそが大事で、そんなくじを履くくらいいつもあるとか思えたらいいのか。それにしてもそれを割り切って眠れないことを引き受ける態度をころっと切り替えられないかと思い書くのを始めた。</p><p>初めて眠りのための音楽というクソプレイリストをかけてイヤホンで聞く。すると少しだけそのいびきと音楽が一緒に演奏されているような錯覚が、そのいびきはもちろん安いイヤホンを越えて聞こえてくる。でも少し集中して聞いていくと、へんな世界観が像としてみえてくる感じもする。たとえば、竹藪の向こうが少し明るい朝を待つような光でそこをどうやら竜が通り過ぎていく。竹藪の上を今度は竹を倒してそれを地面として歩くようなイメージ。</p><p>昔、ブログを書くなら文書を書くなら鼓舞するような何か焚きつけるとか、躁的なものを書くというアベレージを目指していたんだと思われる時期があった。その時はそれを書くような毎日を同時に切り開けるようなそういう制作の態度がたぶんあった。たぶんあれた。 しかし段々とそうじゃない日もたくさん出てきて、それでもその筆を許すような判断があってつまらないとるに足りない文章も書くようになっていった。これはなんか坂口さんで言うところの躁鬱の鬱の部分の文章かもしれない。 </p><p>でもなんというかなんでもどうでもくそいいんだ、みたいな領域を誰にも侵されずにありたい、ほとんどが読まれなくてもそれでも、自分と話すためにも書く、どうしようもなさ、を全く閉じない形で実は垂れ流れてる、みたいな形であればいいとか思って書いている場所。</p><p>クソプレイリストが行ったことのない砂浜へ連れて行ってくれている、コピペのようなカモメの鳴き声だろうか。いつなんだろうそこは。じゃあ僕だって適当に思い出のたとえば直島の砂浜の記憶をコピペする。</p><p>休みが必要だ。休みなのか、戦いなのかわからないけど、一回ゼロみたいなことが必要だ。耳も目も悪くなってしまった気がする。自分のことをよく知らなかったら。</p><p><br /></p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-63920828180699195762023-11-21T04:59:00.000+09:002023-11-21T04:59:01.850+09:00明日の色<p> 昨日久しぶりに家族と集まってご飯を食べた。何年ぶりだろう。そういうことって親は嬉しい光景なんだろうか、とか思う。昔は親の側に立って物事を見る事は難しかったが今は少しはそっち側にも立てる感じもするけど、これだってみんながみんなそうなわけじゃないだろうな。</p><p>またしても眠れない。このベッドは熱を起こしやすくて、結構暑くなってしまってそれで頭が冴えてしまって眠れないというのもあるんだろう。</p><p>今度、昔の友達との同窓会的なのがあるかもしれない。半分行きたくて半分行きたくないというのは、よくある意見かもしれない。人生同士を比較されそうとか思ってしまう。そんなこと言ったらたぶんたくさんの人がそういうことにびくびくしながら生きづらくなってしまっているだろう。</p><p>うまくやるのは難しい。色々準備したつもりだったけど油断すると一瞬。全然うまくやれていない。自分なりにここはこうで、とか。あぁで。とか。結構ずっと考えてきたつもりだったけどすぐに寄っかかってしまってそれで別の場所にもやってきちゃって。</p><p>強い閉塞感だけど取り戻したいなぁ。たぶん楽しくなってくると大丈夫な気がする。</p><p>半分色んなことに意味がなさそうに思えてくる、でも半分は勘で意味があるとわかってそれをやれる感じ。もう少しなんとかしたい。</p><p>父親が南三陸にボランティアに行くことで老いた自分がまた変化出来るんだと思えたという話。こないだ亡くなったおじさんは兄弟でいわゆるわかり合えるような最後にはならなかったようだけど、その三陸の後にぽろっとお前は変われたんだな、俺は変わらなかった、と言われたらしい。 兄弟というのでも家族というのでも難しい。本当に全体でのバランスのこともあれば個人と個人のこともある。僕はどうして生きたいんだろう。結構良い年齢。</p><p>とか言っちゃうけどあと65年生きるならこれからだし、結構いい年齢とか言うことでその考えに寄与してしまって余計自分の首を絞めてしまう。</p><p>明日のことに関して言えば今の明日と5年前の明日、10年前の明日、15年前の明日で色が違う気がする。</p><p><br /></p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-13588144945333705762023-11-07T02:24:00.007+09:002023-11-07T02:24:56.532+09:00強弱の風とか<p> 秋田ではあんなに眠れたのに、東京に帰ってきて寝つきが心底悪い。困った。 色々なことがうまく回っていない。点検が必要だ。 </p><p>外は雨が降っている。パラパラという音と時折強い風が吹いて強弱をつける。</p><p>コロナの前かコロナ1年目くらいの時の方が世の中や身の回りの広さを想像しようとしていて、いまはどんどん狭くなっていってる気がする。自分がなのか、周りがなのか、世間がなのか、社会や世界がなのか。わからないけど窮屈で悲しい。 自分が歳をとったせいなのだろうか。</p><p>同じ事を言ってるみたいで良くないな、</p><p><br /></p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-53167984404791366832023-11-01T01:35:00.002+09:002023-11-01T01:35:15.927+09:00雨のよだれ<p> ざーざーざー 窓の外 ばーばーばー 扉を閉めるがちゃん 私が数年前に見た時よりも印象は違って見える。 台風クラブを見ていた。 カメラの導線が素晴らしい。テキストだけに語らせること以外を映画に担わせている、映画の中で創作がある。</p><p>そんなことを言いたくて書いたんじゃない。</p><p>見えない夜 は 眠くならない</p><p>秋田の時はあんなにすんなり眠れたのに。くそぉ、ベットが良くないのか、東京だからなのか。 ここはどこなんだろう。</p><p>村上龍の20年前のインタビューはまだ元気で頭も活動も動いている。最近は大丈夫?心配。</p><p><br /></p><p>体力が回復してきてるのでランニングをしてさらに確認していく。</p><p>空っぽだ。 もう少し空っぽにしないと何も積み上がっていかない。</p><p><br /></p><p>ハロウィン 私は 赤い炎 みどりの炎は</p><p>くらい酒場に誘われて 夜に 見た事もない。 見当たらない ドアがたぶんあきっぱなしで 台風の風ややら木の枝やら雨なりが入って来てしまうよ 映像だから言ってもわからない こんなに日本語ばかり話す未来が来る </p><p>みんなが うまい</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-16725156912364459832023-10-01T00:42:00.001+09:002023-10-01T00:42:27.771+09:0010月に<p> 10月だ。9月のほとんどは60%の力という感じであと少しでこのゴホゴホともおさらばな気がする。風邪を治すのが下手すぎる。</p><p>ずっと最近ネガティブなことを考えていた気がする。少しだけ今日は踊れて晴れた気がする。自分の制作の時間を持てないとダメだ。仕事も自分の制作みたいなところがあるのだけど、さらにその下地みたいのが自分にとってはどうやら大事みたいだ。</p><p>ハブさんと久しぶりに話したり品川に行くとあの時間をたくさん思い出すな。仕事としてはかなりフラフラしたものだったけど。そこでの時間、先行きの見えない不安。含めて。でも具体的に面白い話とかはよくしたなぁ、作品の話とか。もっと広い興味の話とか。</p><p>ところで海外にまた行きたくなってたとえば長期滞在になった時、親とか大丈夫かなとか心配の年齢になってきた。 健康をどう作るサポートが出来るのか、、無理矢理じゃなくなんかクリエイティブな形でしかも別の人を巻き込みながら、、</p><p>身体のことをもっと専門的に勉強しないと他人のワークが難しい気がする。そのことが大きなネックになっている。いわゆるダンスを敬遠して好き勝手やってきたツケが回って来たみたいだ、、</p><p>ハブさんじゃないけどずっと勉強し続けないとだよね、、家族を持ってるわけじゃない今すべきなんだわね。頑張らなきゃ。楽しそうだから、と。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-64111834116754713562023-08-22T01:03:00.002+09:002023-08-22T01:03:56.496+09:00乗ってる<p> 夜行バスになろうと思って夜行バスに久しぶりに乗っているけどあたりはカーテンで仕切られ前方も閉ざされていてビールは飲めなくなってまったく今がどこの夜なのかわからない。</p><p>眠れそうな波を今じゃないと乗り越えて、もうその波はどこかへ行ってしまった。これは北斎の描いた波じゃない。別の波。映画かアニメーションが近いと思う。それか挿絵かもしれない。</p><p>学生の頃はナイトクルージングを聞いて羅列し過ぎていく窓の外の光がそれそのものがメロディのように感じられるその夜を思い出す。そういうロマンチックそのものが、それ自体になる、みたいなところもあるんじゃないか?近年流行のドゥールズに触れる小説の記憶からそう思う。</p><p>さっき書こうとしたことはなんだっけ?</p><p>車が前方に行くこととこの耳で聴いてる音楽が進むことが重なっていくと人生そのものが前に進んでいるような気がしてこないか?アニメとかにかかる音楽みたいに。ライブ会場のように二本足で待って聴いている時は前方に進んだりしないけど、前方に進むように聴いた経験をそこでも思い起こそうと想像力の努力に取り組むこともある。</p><p>さっき書こうとしたことはなんだっけ?</p><p>そうだ、確か、車の免許があれば、夜の高速道路を手に入れることが出来る。そういうことを</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-13428814974973109652023-07-25T01:50:00.000+09:002023-07-25T01:50:00.046+09:00こんちきしょう、<p> いつもみたく音楽を帰り道に高ぶって聴いて歩いていると、このポップスを聴いた際に私がここにいることがくっきりと浮かび上がってくるように感じられて、それでじゃあもっと遠慮がちにじゃなく踊ろうと思って帰りながら踊って、立ち止まっては踊ったりした。</p><p>99.9%の人生を歌いたい時に歌っていなくて踊りたい時に踊っていないと感じた。踊りは業界のためにはないし、僕が踊ろうと思ったきっかけの多くの人の踊りを目にすることはほとんどなくなった。中途半端で、想いだけはある、いんちきな自分だけがなぜかまだ踊っていることが不思議に思えたけど、彼らにまた会いたいとか、その気持ちに会いたいと思うには踊らないといけない夜になった。踊りながら歩いて家の裏手の公園で踊った。汗なんて構わない、なんでそんなこと気にして生きているんだと思った。どこかに向けて準備して、なんて遅い。僕がストリートでやるのは全てなんかじゃない。一部のお裾分けだ。踊っていることが先にあれ!と思った。生きていることが悔しく思えた。35歳だけど、この気持ちは懐かしいけど、そこを全くクリア出来ていないで今に来ているこの生をどう考えるべきか、そういうことが一瞬にしてよぎった。</p><p>アデリン達とさよならをし、霊園を歩いて過ごし、ビールを飲んで、午前中は親のお墓を見に行って、その日の最後にそういう時間がやってきた。自分の気持ちをもう一回生きたいと思い悔しいと思って踊った。こんちきしょうだ。僕はどうしたいんだ!</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-24349764479819937842023-07-23T03:08:00.001+09:002023-07-23T03:08:11.185+09:00集中と頑張り方と騒音<p> 最近、ここ数年だと思うけど、以前の頑張り方では難しい、集中出来ない状況になってきていると感じる。そのことにずっと困っていて、どうしよう。</p><p>そのことに自覚的になってきているとは思う、前はあんまり自覚が薄かったので問題が顕在化してきたとも言える。10年くらい前、1度スランプと呼んでいた時期があった。他の人に言わせたらスランプでもなんでもないのかもだけど、時に自分でそのように名付け解決したり対象化し取り組むこともやり方としてありな時もある。</p><p>この引っ越して来た場所は以前よりは騒音に悩まされていなかったけど今日は騒音が上から聞こえる。さっき覗きにいったらチルしていた。注意しようと思ったけど我慢して明日から楽器を解禁しようと思う。深夜にやるよりは全然いいだろう。</p><p><br /></p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-45968818378761452882023-07-15T01:23:00.002+09:002023-07-15T01:23:21.291+09:00真夜中のカジキマグロ<p> 今夜眠るにあたって電気を消して真っ暗になって寝ることを想像する。</p><p>今夜見る夢では水族館のカジキになってる眠れないかな。今夜寝ていることが水族館の魚として経験されて、この布団の上で起きれないかな。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-83081650492071360422023-06-11T02:55:00.002+09:002023-06-11T02:55:50.704+09:00夜の坂を<p> 眠らないと夜がだらしなく広がる。</p><p>疲れたのにふとんを前にして真夜中にいて眠ることを率先し選ばない。先延ばしする。</p><p>明日はお通夜。想像もしなかった時間が目の前に横たわっている。 </p><p>今夜は小さなスペースでお酒を飲んで踊っていたり話をしていたりしていた。いちいちそういうことに意味とかを考えたり、それの着地点を探そうとしたりして全くもう。</p><p>ずっとこの夜が続くのは嫌だなぁ。時間が経てばだな。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-41950404502445481502023-06-01T03:03:00.002+09:002023-06-01T03:03:52.044+09:00色んな帰る頃にはくたくたで少し休んでからご飯を作ったりしているけども、ぼんやり意味のないスマホなんかを眺めてしまって時間がもったいなく過ぎていく。ぼんやり意味のない、なんて言葉を当てても本当に意味のないかはわからないのだけど、そう呼びたい、そういう価値付けをしたいからそういうことを選び言うのだろう。<div>とにかく疲れ切っていて、なんとかご飯食べて寝るのに至ろうと思うのだけど夜になると無駄な言葉が溢れて、行き場のない言葉が頭に溢れて眠れない。くたくたなのに眠れない。なんてこった、だ。ずっとそのことばかり書いてる気がする。</div><div>こないだは眠れなくて村上春樹の小説を読んだ。しかし眠りを待つために本当は本なんて読みたくないのだ、だから眠れないと思ってもすぐ本をとったりが出来ない。 前ならば眠れなくてもポジティブにアイディアにいきつけばo.kだったけど、あまりにその回数が減っている。考え事もそういうことに向かってじゃなく手応えのないぼんやりしたことばかりが浮かんでいる気がする。</div><div>難しい。 </div>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-53491192336699625712023-05-28T02:11:00.002+09:002023-05-28T02:11:25.694+09:00夕方4時<p> 夕方4時で始まる森山直太朗の歌を公園で歌っているとこないだ挨拶を交わした太鼓叩きの人が一曲聞かせてと言って少しだけ屁理屈みたいなこと先に言った後、重い腰をあげてその曲を改めて歌い直した。人がそこにいると歌声を出すにも詰まるような物理的な感触が生まれてそれを越えながら声を届けることを難しいと感じながらもなんとか少しずつ立て直したり伸びやかにしたり風を通すんだ、って気持ちが沸き起こったり、まさにライブの手つきで一生懸命に、というかやっぱりそこで風が起きるようなことを待つことと起こすことの両方の意識で演奏を終えると少しだけ感動したように見えるその人が久しぶりにちょっと来ちゃいました、と感想をくれた。嬉しかった。そしてもう少しやっぱり歌を歌おうとか思うんだ、そして僕のこの歌を歌おうとか思うんだとか言ってることは今はこの言葉をあててるけどそれだけじゃない色んな予感も含んだ言葉としては置いてることに本人だけは自覚があることは大事だと思う。</p><p>またこの曲を人に向けて歌うときに改めて歌詞の後半部分が強く読まれるという体験が自身の側には起きていて、あなたは誰?鏡の中呼びかけてみても返事はもう返ってはこない、という風に曲が終わる。ということは殺してしまったということかもしれない。4時なのかな?学生の頃に4時くらいに起きて途方に暮れる、特に冬の4時はすでに暗い。あの時にあの頃に過ごした学生の時の場所や時間とその置いてけぼりにされる部屋の身体との関係が写真のように焼きつきながらも動きを伴って今でも現れる部分的に。</p><p>昨日はたまたま見つけたsean lewのダンスを見て泣いてしまった。最高にダンサーだけども、ダンスだけで武装しているようにも見えない珍しいストリートダンサーだと思った。だから彼が代表するのはクールなストリートダンスだけじゃなく、色んな環境とか自然とかそれを私たち人はどのようにキャラクタライズしてでも仲良くなる瞬間が作れているか、そういうことも代表している踊りというか人に見えた。カッコつける必要なんてないんだよ、と。</p><p>洗濯は朝にせよ夜にせよ、干す時は外だから室内と相対的に風が感じられる行為だ。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1383609186644984792.post-13392706864838417342023-05-27T02:49:00.000+09:002023-05-27T02:49:04.304+09:00じゃあ<p> 寝たくもないし、明日にもなりたくなく、眺めたくもないものが消えないである。今はどこにいるかわからないけど、全然ダメじゃなく、動くことがあるからなおさら。人と比べて落ち込みながら人と比べることでどうにかいれる、ということ?なんていうことだろう、じゃあそういうこと。</p>aokidhttp://www.blogger.com/profile/10591672267740462978noreply@blogger.com0