2021年7月1日木曜日

目の前

 今日はバイト先の送別会。学生の1人が企画してくれた。ありがたいなと思った。久しぶりに歌舞伎町の居酒屋で沢山の人で埋まる空間に入った。最初、遅れてくるメンバーはみんなおそるおそるマスクを外してお酒を手に取る、そんな感じ。

バイト先には色んな人がいる。そのバイト先を目掛けてさまざまなバックグラウンドを持つ人が集まるから当然なのだけど。逆に言えばアートやダンスに取り組む普段の友人達だってもっと個人的な話を辿れば別々の個人であることがわかるかもしれない。

でもとにかくその居酒屋の時間こそが、そのままそれぞれの違いを飛び越えようとする言葉や、現状のままにしておこうとか、様々な瞬発的な判断や逡巡を得たものにきっと溢れていることが嬉しかった。輝いていた。こういうところが懐かしいと思った、中学や高校、大学の時を思い出した。


楽しくて帰り道、1人になって適当に写真撮ったりして歩いた。

電車に乗ってSNSを開くと同世代のアーティストの訃報を知った。

生きているうち、いつのまにか気付くと誰かが引き抜かれてしまっていると思った。1人ずつそうして引き抜かれてしまうみたいに。

小さい頃、明日の学校が全てだと思っていたことを思い出す。だから友達と喧嘩別れすると明日が怖くて仕方なかった。もう会いたくないのに会わないといけなくて、その会う時はお互いのパフォーマンスにすべてかかっていて、仲直りしちゃったりする。結局ほとんど大人になっても問題は変わっていないような気がする。明日があって、そこでどう出来るか。

そう考えると友達ニアイコール明日、みたいな。そんなことを考えた。気付くと誰かが引き抜かれてしまってかなしい。

泣かなくてもいいのかもしれない。生きていることや目の前に誰かがいるということとか。部屋で1人でも外に出て誰かがいるということ。

最近、稽古場に子供が来ていて結構生まれたてまもない。お母さんとのやりとりに、たぶん本能的に子供が常に強くお母さんを求めている姿があって。

改めて考えることがある。季節が毎年あることが嬉しくて、そのことと改めてというか何度も何かを思い直すようなことを逆に生きている中でずっとやろうとしたりしてもいい。

2021年6月12日土曜日

夏前

 今日は朝から赤坂に行って所属団体が受ける予定の助成金の説明会。先日まで展示をしに行った会社が近くにあったんだよなぁなんて思いながら通り過ぎる。 あんまり寝てなかったのと終わったらすぐ歯医者に行く予定だったのですぐに帰宅。 ふぅん。

少し仮眠し、リハーサルに向けて内容をもう一回考え直しつつ、字幕のやつも確認。展示まで2週間は切ったのに思いの他、絵を描く時間をあんまり作れていなくめ焦る。

最近、アジカンを聴いていてアジカンを聴くと思い出す人がいる。高校の時のバスケ部だった彼だ。彼はほとんど卒業前の最後の方は机に突っ伏して音楽ばかり聴いていた。バンプとアジカンが好きというのは知っていた。他にも何か聴いていたのか。

ぼんやりとそのことが浮かんだりする。 

今日は夕方リハーサルしに行くと別のダンサーたちもリハーサルをする。現実的にテクニカルな舞台の話を色々思いつつも、ダンサーであったり、スタッフの方に会う中で自身のリハーサルをした。それでたぶん今こうして書きながら思い返してみると、たぶん舞台を準備する人たちが自分以外にもせっせと取り組んでいる姿を見た、ということが嬉しかったんだと思う、そのことに今更思っているのかもしれない。

待ち遠しかった夏がやってくる。

コロナだって奪えないだろう。確かに夏を感じれる瞬間を大事にする


2021年6月10日木曜日

奪われた夜

 1ヶ月以上書いてないんだ。書こう書こうと思ってると疲れていて書けなかった。あ、昨年の疲れとは違う疲れが今年は来ている。

日々、楽しいことはあるし、どうぶつえんなんかやる度にその思い出だけでもう十分幸せだとか振り返って思うことがあるくらいなんだけど。

やはり疲れているよ、ずっと夜は奪われたまま。 誰かが盗んだみたいな物言いだけど。そんなことは言えないくらいに自分だって、省みなきゃいけないことは山ほどある。だけど緊急事態宣言つらいな、、我慢している方ではないかもしんないけど、比べてもしょうがない。たぶん原因はこれだと思う。

夜に吠えたい、ロマンチックな部分を全部持っていかれたみたいなこと?月を見る時間が少なくなった。月のような輝きを見る時間も減った。悲しい。毎日少しずつ悲しい。 

2021年5月4日火曜日

帰り路

 1000回以上行き来した街だから実家への道を久しぶりに歩く。

卒業したての頃、お金はないけど時間だけはあった時何回も行き来した。片道45分はかかる。
自転車を買わなかったのは、その金額に躊躇したっていう貧乏性みたいな。でも自転車は中学生の頃になくしてからずっとなかったんだよね。車の免許は今も持ってなくて、海外に行くのだからいらないと思っていたんだけど結局海外にいるわけでもなくて。脚を使った移動以外の可能性についてずっと距離があったのか。

ってかさっき町田で久しぶりに練習して23:30まで使えて、ほとんど人いないけど広場だから途方に暮れた人たちは相変わらずそこにいて、でも街に人は少なくて、そうまだコロナなんだ、不思議な時間を生きているなぁと思った。

歩いている途中、止めたママチャリにまたがってダベる2人の若い女性のうち1人が、この体勢疲れてきたぁーなんて話が耳に入る頃、数日前に訃報を知った西川さんという1_wallに出ていたグラフィックの人のことを思い出した。彼女の作品はグラフィックなのに強くて、絵の前にそれなりに人を置いて見させる時間を生むような強さがあった、これからの活躍や作品の展開を想像していた。確か35歳とかだった。

これから色々失っていくのか、ってか今まで失って来ていないのかもしれないし、失ったくせにその喪失をそれほど感じてないのかもしれない、と失うことについて考えようとしたら色々思い始めた。

この歩いている道のポイントは畑も横に通り過ぎることで、近くに施設などもある、坂道や公園もある。カエルが鳴く時期もあって、宮沢賢治のことを考えたりもちょくちょくするんだよね、銀河鉄道の夜とか。100年以上も前のことを考えるけど、このことは過去の去ったことであると同時に今のことでもある、一緒に今生きているということでもある、そのことが強く大事みたいなことを少し前に読んだ時間という本の中で書いていた。
これって本当にすごいことだね、生きていることの中にもっともっと色々なことを込めることが出来るのかもしれない、すごい悲しくなってしまうことが増えたり多くなったら、元気なことを取り入れてあげて悲しいことをなくさずに一緒にいさせてあげることも出来るかもしれない。

あと少しで到着。

2021年4月26日月曜日

噴水の前で

新しい新居での生活は慌ただしく、まるで毎日仮設のパフォーマンスを組んでるみたいなところがある。生活と呼べない、準備は足りていない、その営み手前のパフォーマンスのような段階。これが少しづつ成長すると生活になるのだろうか、そういうことを初歩的に思いながら毎日を積み重ねていく。あんまり走ったり、歌ったりしづらくはなっていてどうしたものかと思っている。少しづつ慣れよう。

今日は学生の頃の友達に会った。結構ふざけていて楽しかった。コロナのせいかそれぞれが仕事ばかりに追われている感じがしなくて、話題もそっちのプレッシャーに押されたりなんかせずに話している時間だったと思う、、、ってか僕は話し過ぎただっけか?wすまんすまん、、いや、そんなことないよって言われそうだけど。 今度、パーティーもしそう。楽しみだな、学生の頃みたいじゃんってどこか思うんだけど、実はそういうのも悪くない時は全然悪くないのだ。日本だと年を取るにつれて何か若い頃に戻るようなことは恥ずかしいような、辿るべきではないような感じがあるが、たぶんうまくやれそうならむしろやることで若い人を(というか自分のある側面を)許していけるし、出来ることがきっと人生において増えるんじゃないかって漠然とした希望もあるのだ。って今度のパーティーにそんな大袈裟な希望を抱かれても、だなw

まぁいずれにせよ!

2021年4月19日月曜日

山あり谷あり

 今日は本当に久しぶりに疲れた。25knほどの距離を自転車で12kgほどの荷物を背負って移動した。

田園都市線沿いというのは山あり谷ありじゃなく、山と谷しかないってくらいに下っては上がるを繰り返す。これが多摩川を越えて世田谷に来たあたりからほとんど平地になっていく、これは本当に驚いた。自転車だと歩き以上に上り下りというのを意識することにも気付いた。自動車だとどうだろう?

なので前半とかは何がスーパーフラットだ、どこが平坦だとか訳のわからない怒りがずっとこみ上げながら走っていた。自分で把握してなかったためにこうして怒っているのか、そもそも人としてのレベルが低いから怒っているのか、それともこの怒るみたいなことはどういうことなのか、何かの源泉なのかとかも少し考える。2時間10分の予想時間を大幅に越えてほぼ3時間半ほどで到着。その後、休んで少し整理して練習に出かけた。

この自転車で走っている時もなぜ、今日予約してしまったんだ、と練習のことについて考えていた。キャンセルをする選択肢もあったけど、何か嫌だった。この嫌だった、がよくある。 今日の場合はなんだろう?と考えてみるとこんな言葉が浮かんできた。1日の身体を動かす習慣や目安は優に越えているから家で休むなり、他の片付けなり整理なりしてもう今日はどこかに行かないでいいんじゃない?という問いに対して出てきた言葉は、今日という日を長く感じる日にしたいから、というのが浮かんだ。

この言葉が十分に自分を説得させた。たとえ練習先で全然疲れて動けなくても、練習場所にさらに自転車を使って向かうことが非常にキツくても予定していた家での整理の作業が到着が遅れてしまったため十分に出来ていなくても、ともかく今日一日を長い日だったと感じるためにはもう一回どこか別の場所や空気に触れることがそうさせる気がして、そうしたのだった。

言葉が面白いと思った。また、今日のイライラはSNSとかに書き込みたくないとも思っていた。言葉にして整理させたくなかった、この怒りなり過ごした時間なりを言葉で説明、整理してしまうのでなく、誰かにはなしたり、ぷんぷん怒った顔してジョークを伝えるなりして過ごせたらどんなに素敵もしれない。SNSをやらないあの人はそんな風に生きているのかもしれない、とかそんなことを思った。文章というやり方が大事な人もいるかもしれないけど、別のやり方が実は無限にあって生き物だった。

憧れるね!

2021年3月10日水曜日

大丈夫じゃないことがない、okの中を生きる

 やつのクビをとりにいくような鋭い目つきと集中力を持ってエモい夜の間を何倍にも広げてナイフで切り裂かれていくくうかんのなかで手探りのこのてはきっと音楽みたいにすてきなメロディを伴いきりひらいているからその音域を自由にとぶ飛行機のひこうきぐもは暗闇でもしっかりと演奏される。円走する。

こと音を出せばひねれば高音が出ると言うから高い音がなってずっとそこで飛んでいる。

"飛んでいる"って書いて思い出しているクラブの空間で"私の曲!"がかかってずっとジャンプして飛び跳ねていた子の事。そのジャンプが永遠に続いていてずっと泣いていた。嬉しくて。ずーっとそこにいた。永遠に覚えている。忘れない。

そういう思い出があるから負けない。ふたたびたましい。たましいなんて遅い言葉!遅い身体!早いイメージ!今日も夜中、歩いているとグングンと車が追い越していく。光はもっと早い。光の速い中に私たちはいて、いつもお互いを光の中で確認する。目を瞑っても聴こえるからそれでも大丈夫。大丈夫じゃないことがない。オールオーケー!本当に信号みたいに三色を点滅して世界中が生きているみたいに本当に夜、美しいものが見たいともう何万回も決意と祈りをしている。10分じゃない!! 

起きているときに夢を見るんだ。