2024年3月31日日曜日

2日いい日が続くと太陽が2つあるみたいな気がする

今から寝るのが楽しみで、でも朝は大抵起きた瞬間がちょっと絶望みたいなことを感じる。
まぁ、そういうこともある。
 新しい仕事が始まった。2日続けていいことがあった。木曜日は雨で少し不安だったし、体調も崩している中での外仕事だったんだけど金曜になったら体調も少し良くなってしかも晴れで屋外上映イベントがいい雰囲気で運んだ。僕は思わず仕事だったのに裸足でビーチで仕事させてもらえてそのことがとにかく楽しい。逆立ちなんかもしちゃって。
屋外上映の手伝いをそれなりにやっていたらその方から感謝されたり、上映後子供たちはその見ていた場所からすぐ走り出してビーチの夜を楽しんでいた。全部を休まずに彼らはくっつけてしまう。僕だってもし小さい頃にこうしてビーチで映画見ていたら忘れないんじゃないかな。
ストリートによくくる羽鳥さんも友情を描いた演劇で泣いてしまったのはもう強く親しい友人を持たなくなったことにあると言っていて、数年前、ままごとを見た時にぼろぼろ泣いてしまったのは僕もやはり小さい時は友達こそが全てだったからで、あの頃の自分と今の自分は他人を見るような目で僕を見るんだろうか。それでも一方で小さい頃の自分が一緒に自分の中を生きているのも事実だ。
今日のいいことは君島さんと西田さんのライブを見れたこと。のびやかに音楽に取り組んでいて楽しそうだったし、そののびやかさを十分に受け取る。自分たちで準備している様もよかった。うん、音楽が良かった。
かつて、自分がなんでも良かったのを最近よく思い出す。言い切ることとやることにその都度集中すること。誰かがなんと言おうと、あるいは議論のテーブルに乗らなくても今、ここにいる人たちと関係を結べるかもしれないことや、過去や未来にもつながりうるかもしれない、この瞬間というかぐっと長い時間の中に互いにいることこそが重要だ。
ここにいる時はどこにも行ったりしないのだから。約束よりも前。

誰に何を言えばいいのかわからないけど、明日の午前中は公園に行こうと思っているのが楽しみ。

2024年3月7日木曜日

砂漠

 ショーンペンが主演する映画で、邦題は、ここが私の帰る場所、みたいなタイトルだった。するとそのCMではかの有名なthis must be the placeが流れてくる。まさにこの曲の両面みたいな感じがする映画なんじゃないの?と観たい欲求に駆り立てられる。

そもそも彼らがこのthis must be the placeを歌う時、日本語に翻訳されると、家のことを歌っていることが強く感じられる。僕の家や、行くべき場所、あるいはここではなかった場所というのがどこだったか。そういうことが流れる。

ここは私のいる場所じゃないと風が教えるように吹くとさみしい。そう感じることも多かった気がするけど。きっとそのことをたくさん感じている人がいるんだろうと想像する。

それはさみしい。風が吹くようにさみしい。しかし風が吹くような、に還元してしまうのだけど、きっお言い表せなく、そしてほとんど全ての人からそのことは消えていく。