2016年3月31日木曜日

風景

http://youtu.be/GHDWUIeVR1g
これまたなんとも。
風景の消失。
失いたくなかったなぁ。
変な考えが頭をおそったり。
どうせキャラに回収されるのかよ、と。
怒って、じゃあ問いただしたところでもちろん意味がないからそういうことはしてこなかったから、ずいぶん無力だ。いずれにせよ無力でしょう。
どこかずらして生きてきたつけがまわってきたかのようなパンチ。
また眠る。

2016年3月29日火曜日

short song

最近、短歌の本をすすめられて読んでいる。
これまたすばらしいわけだ。なんていうか、その本は色んな短歌を編集し載せたものについて話していくので、まず色んな短歌があることに出会っていくんだけど、それらが単発的に載せられていて、前後はなくひょいと短歌がある分、そこだけ鮮やかになって想像するのは自分の出来るところから早速してしまうわけ。そのせいで、割と近しいことが想像されドキってしてしまうのだ。
瞬時に愛を歌ってたりすると、お話の中の話というよりもより身近な想像力が働いてしまう。
人ん家の食卓の灯りを覗いてるみたいになるんだ。
サザエさん家みたいな。
最近はめっぽうそういうのにことごとく弱い。


2016年3月24日木曜日

2016 3/23 片瀬江ノ島

始発で江ノ島に向かって、海で叫んだ。早朝。
http://youtu.be/-9lmlHmgCeQ

2016年3月19日土曜日

begin again

やれやれ、どこへ逃げればいいのかって思ってしまう。
たくさん世界広げていこうと思ってやってきたのだけど、その時に唖然とした。広げた世界から逃げれなくなっている。あるいは、こんなにも広げたはずの世界なのに、ほんとに見たかった一つのものは閉ざされてしまった。みたいな。
ただピュアぶってるだけなのかもしれない。
やり方がわからなくなってしまったよ、という状態の体になってポロポロと零れ落ちてくる。
自分がそういえば28歳になってることに気付く。
自分が言ってた世界がひどく狭いものだということに気付く。
はじめて映画を嫌いになった瞬間、そんなに都合よくカットするなよ、って思う自分がいた。
誰も全部がうまくいってるわけじゃないことにはじめて気付く。
その巨大過ぎる絶望に絶望する。
人の重みを想像すると身動きが出来なくなる世界が出現することを知る。

それでも再生しなければ。
エンジン燃やし新しく広い身体を持つことが関わる世界も変えていく。
ボクシングみたいだったなんて。

2016年3月17日木曜日

新しい顔!

この一週間は色々あった。いや、一つをのぞいてはいつものようにドタバタだったのかもしれないけど、その一つですべてがぐわっと動いたかのように思えたのかもしんない。

でも復活出来そう、失ったけども失っちゃいなくてそこにあるし、輝き方は違うかもしんないけど、おかげさまで大丈夫そう。ありがたい。最高。 若い時、自分はそれが出来なかったかもしれない。今さらだけど。

うん、本当に返してくれてありがたかったな。それがなかったらずっと中々抜けれなかったのかもしれないのだ。

いずれにせよ、ただ新しい世界に出会っていくしかないのだけど。

それしか自分を救うことは出来ない。

もっと行けよ、と。

2016年3月8日火曜日

あっというま

あっという間に3月だ。と、こんな風に今思ってる人は多いんじゃないだろうか、時が過ぎるのが早いという話題は花粉症の話題くらいみに色んな人と共有出来てる気がする。にしてもこれだけ早く感じるようになったのは、人が触れる情報量が圧倒的増えたからじゃないだろうか、そしてその浴びる情報をいつも処理しようとしてしまって仕切れなくてということでいつの間にか時間が経過していくんじゃないだろうか。逆に言えばfbタイムラインにざっと目を通しただけのつもりでも身体はある作業量分のエネルギーは消費しているとみる。よくぼくは絵はともかく目の中に入るという体験が大事なんじゃないか、って言っててそこで僕が信用してしまってることはまさに上に書いた能力のことではないか、と。
次回は経済について書きます、、え?!

2016年3月5日土曜日

3/5

明日はまたパフォーマンスの本番なのだけど、今日は身体の調子が悪く、明日の準備もままならず、なんか身体と頭が追いついていない感じがある。しかし、人前に出るということはわかっている。
3/20のイベントの方ももう告知とかしっかりやらないとな。

心臓

今日も桜木町までダンス観に。一月の後半から毎週のように横浜に通ってる。横浜にもっとギャラリーとか増えたらなぁ。の前にか、ファンを増やさなきゃね。
今日は川口ゆいさんの公演でした。ずっと追いかけてる大事な作家です、間違いなくこれはファンってやつかもしんない。あんまりずっとある程度の距離感でファンであるってことがないから、今日僕はゆいさんのファンだwって気付いたことはもしかしたら人とその軸について話すための用意になるかもしんないと思ったり。ゆいさんがダンコレで賞をとったのは10年前。僕がゆいさんの作品を見たのは2009年だ。10年後に自分が同じ賞をまさかもらうなんて。今日は森山開示さんも来ていた、どこかのブログで開示という名前は昔ゆいさんがつけたって見た気がする。コンテンポラリーダンスの一幕をチラ見するようなやり取り。 ゆいさんはいつも精力的に新しいことにチャレンジしている、中々日本では同じような活動をしてる人をみかけないからフレッシュです。あぁ開示さんのダンスも学生の頃見に行ったなぁ。そんなばりばり踊れる人たちを見ておきながら、お世話になってるkentaro!!さんしかり、なぜ自分はこんなことになってるんだろう。
きっと今年のダンコレで困惑した人は多いだろうと思う。今まで認めてきたダンスとは違うって人も。じゃあ僕はほんとうにばかだったのか。いや、そんなことはないだろう、ちゃんと自分で選んでやってきてはいる、もちろん矛盾も抱えながら。だからわかってもらうのには時間がかかるかもしれない。ってことも思ってる。

2016年3月3日木曜日

human

街を歩くことが自分を彫刻していく、誰の評価を視線気にするかで自分は彫刻されていく。
街を歩けばストレスもあれば、その場所での空気に身を置き少しは把握することがある。そういうようにしてそこで得た実感とまではいかない淡い部分とかも大事だったり、大事にしないのもありだけど、今の僕が何かアウトプットする上では重要なソースだ。

誰かの評価を気にした上での自分が形成されていく、より洗練され人やものを設定した人はそうなっていく。
たまに会う人にこの人はとんでもないところに設定置いたなぁ思う人に出会うこともあれば、そこに設定したらもう隠居しかないじゃないかそういうとこまでいくと逆に僕にはどうでもいいことになってしまうよ、ってこともある。

ほんとうに時代は川のように流れてく、しかも早い。それに日本の土地も加わってずっと流れてる上に足を置いてる気がしないかい?
いっそこの水と戯れるようにしつつ、いろんなことを見計らってそれでも危険な人間でいたい。