風邪ひいてるときくらいすぐにころっと寝かせてくれよ、と思うのだけど本当に都合よく眠れたりする身体じゃなくなってしまった。しかし思い返せばもっと前からずっとそうだったのかもしれない。
先日、高校の恩師とWATER BOYSの水中演技の指導などをされた不破さんのドキュメンタリーを誘われて観に行くことになった。誘いでもされなきゃ知らなかったかもしれないし、そういうことをいつも言ってくれることで何か引き戻されることというのがある。
不破さんというのは改めて不思議な人だ。メジャーでありマイナーであり、どっちでもあり、どっちでもないような、どっちでもいいような。その日は挨拶があり本人の身体がそこにあって、もろに考えないわけにはいかなかった。僕の活動や生きてきた社会とかへの眼差しみたいなこともどこか特殊に見ているところがきっとあると思うのだけど、その自分の目にとって、不破さんのことを身体ごとまるごと空気含めて見れるというのは中々、大事なことでした。
ずっと泣きながら今があり、しかしそのことはそんなに重要じゃなくて、なんか水が出ているっていう感じ、進んでいく、しかし目は生きている周りの環境や生物のことを捉えて離さないという感じ。
愛の話なんかもしていた。フランスに行った時に愛を大事にしていると思った。好きな人たちと生きているんだ、好きな人たちと互いに生きているんだ、と思った。どういう風に生きればいいのかわかりがたいと思っていたんだけど、その時はフランスでそれを見た時は、あるいはそう解釈した時は、じゃあ周りの人たちを愛すようにもっと生きたらいいんだって思ったのだ。そんなこと、日本に帰ってくると本当に自分の身からすぐに離れてしまうことだけど、その時は強く思った、そのことが強く自分を震わせた。 しかしそれ以外に果たしてあるだろうか?と思った。日本ではなぜか、慣習が人を生きさせている、人間のためじゃなくてより強い慣習が人を生きさせ、生きているうちに人間に会うことも大事だけど人間以外に会えるというのが素晴らしいところでもある。
、、、
面白いことをやろう。