2019年9月16日月曜日

オレンジ

2年前は本当によく聴いてたな。awesome city club。サウンドがいい、ある程度の距離が保たれてる。適度な日本人の距離感のサウンドのような。いや、そうじゃないか。
山吹ファクトリーで稽古中、ふと彼らを久しぶりに聴いてたらエイリアンズのカバーやってて。
2年前はよく聴いてたなぁ。
あの道路の真ん中で、あんまりもう深夜だから人もいない通りで。映画観終わった後でずるずると終電は逃してしまったけど勇気はなくて。

個人の思い出だ。
それは大事にしたい。忘れそう!な時代!
だからか。
あの時どんなかと思ったか。
誰とも共有出来なくていい。
ライナスにとってのブランケットみたいな。

そういえば青いブランケットで寝ていた。オレンジのパーカーを小学生の時に着ていた。


2019年9月15日日曜日

やさしいステップ

東京は広くて。
東京は広くて。
東京は広くて、未来を描くにしても何か描ききれない。にしたって東京とかじゃない日本とか世界とかそういう規模で考えたいのに、まずこの東京が広くてしょうがない。ばらばらで複雑だ。

もっと10年くらい前の時の夢の描き方は大雑把で良くて、漠然とただペンキをキャンバスに垂らすくらいのポップさがあったのに、時代が変わったのもあるだろうし、もっと細かい情報を単位を知ることになり、そんな風な夢の描き方を無邪気に出来なくなってしまったんだろう。

何か、人に見られてないところで文章にしたりすることが少なくなって来た。
忙しいのもあるだろう。
けど、誰の目も気にしない。そういう場所、やり方に本当はいつも出会い続けたいのかもしれない。

そうなんか懐かしくなったんだ、そのやり方を持っていた時の時間の進み方を。
年をとってだんだん行くんだけど、たくさんのこれまでの記憶たちともそれぞれと再会をし続けることはしていたいな。

東京は広くて、と続けていくと歌になりそうだ。

そういえば最近は路上ライブを渋谷で始めた。まだ2.3回だけど目指せ100回とかで。
いい歌やダンスがいつか誰かや景色と出会って、人生を変えてしまうような、驚きが起こることを思って、でも疲れちゃったりしながらも、やってみよう。

君は自由だし踊れるし歌えるし出会えるんだ。
手に持っている。

2019年6月15日土曜日

金沢での一瞬違うこと

先週は取手、奈良にいて、今週は金沢にいる変な感じだ。
現地にいる人と話す。前回の奈良ではもう少し上の世代の人たちと。今回は同じような立場アーティストの人たちと。
雨が降っているためか内省的というか静かに自分を見つめるようなひと時、到来の予感の中にいる。
先週の奈良について訂正するならば夜行バスで京都に着いて、東本願時に立ち寄ったので少し京都の記憶も入れ子構造になっている。
言葉で区切ったに過ぎないが、微妙な認識の記憶さえ引き継ぎするようにずれている。

金沢の家賃は2階建てで4万円、大阪の家賃は3万円、というのを聞いていて覚えている。
どこに住むべきなのか、どのようにして時間を過ごすべきなのか。
7月の後半に余った時間はきっと海外に行くのにあてるべきだろうが、どこを目指すべきかわかっていない、調べていない。しかしそのような状態から無理矢理にでも絞り出すようなことも時に必要だったじゃないかという教訓の経験もある。

誰にもどこにも向けられてない言葉を持つ必要がある。
色々考えなきゃならない。


2019年6月7日金曜日

奈良に向かう

チャットモンチーにバスロマンスという曲がある。
久しぶりに夜行バスに乗って京都に向かう。
と言っても目的は奈良なのでバスを降りたら奈良に向かう。
さっきまで取手にいたから小旅行みたいな感じで、次の移動もなんか石の上をぴょんぴょん跳ねるみたいなリズムが生まれる。
大学生の1、2年の時によく京都や大阪にはダンスのバトルで行っていた。
必死だったからともかく自分をレペゼンするぞ、と。
その時チームもやめさせられてる時期があったりしたし。
一方で、東京のパーティーで知り合った人に会いに行く目的もあった。
くるりの曲を到着したら聴くなんかして思いっきりそこにいることを盛り上げていった。
そこで見たいくつもの景色、瞬間のことを大事な思い出として色味を持って記憶している。
今日は大学生にたくさん会う機会があったので、透かしてそんなことを考えた。
もう31歳だけど、そんな風にまだまだ色味を持った記憶を手に入れていきたい。
また新しいやり方も見つけて付け足してやっていけるかもしれない。

僕はまた運転を出来ないからこういう機会に車のスピードで見える景色や移動を体感しておきたい。
新宿はくもりで雨が途中ぱらぱら降ってもいて、ぼんやり建物の明かりが拡散、霧散している。
そんな液体、気体の状況に影響されてか僕自身も少しぼんやりした気分でバスを待つことになり書く気が起こり書いている。

京都から戻ると全然そのこととは違う世界が大学では動いていたのも覚えている。
そんなようにしてまだまだ色んな水たまりや曇りの中に手足のばしてつかってさ、と。

途中はみがきたい

2019年6月1日土曜日

美しいうたを聴いて。

体の中をまっすぐ突き抜けていくような、暗闇に射す一本の光のようなうた!
突き抜けていく光はまぶしくてまぶしくてまぶしいから、痛くて涙があふれそうになる。
3人はまるで時を越えてうたのもとに集まったみたいだ。
音楽はそこに出現したらあとは拾えるそれぞれの体の自由であってほしい。
そこにダンスがある。
音楽を拾う体がダンスになる。
ダンサーも音楽家もいない、ダンスと音楽がある。https://www.youtube.com/watch?v=mTXvE-I3hW4&list=RDmTXvE-I3hW4&start_radio=1

2019年5月30日木曜日

新しい鷲、高いフライ

こんにちわ、スーパーマーケット。
最近描いてないな、と思って書こうと思って。
そういえば、どうだろう。
以前、学生の時はもっと自由にかいていたのを思い出す。
"大人になって"というのは20歳の後半を過ぎて周りの同い年も働き出して、何も自身の生活を発信したり結婚をし出したりする年代のことをみにまとっている、ような時期のことのような気がするよ。
描かなきゃって思ったのはSNSや、対象が漠然としつつもなんとなくある一定の空気に対してのものが多かった不自由を解放したようなところでのびのびとまたかくようなことをしていくことで、本当にこの体をのびのびとしていかなきゃと思ったからだ。
最近、のびアニキとかも見なくて、つい検索しちゃったけどやっぱり見つけれなくて、同じように探してる人なんかもいるようで、そのようにして向こうに黄色がいくのか。
なんて本当にどれほど気にしてるの?って態度で。
それダメでしょ、ってすこし自分に前、つまづきながらも履き直す靴、みたいにして前へ行く。
高校の友人が展覧会にこっそり来てくれてたみたいで、名前発見して嬉しくて。
沖縄はまだ遠いよ、僕には。
まだ行ったことないから。
しかしさ、行ったことない人生決まりそうとか思わなくて、しっかり想像は持っていたいな。カビ生えないようにさ、しかし少しうるわしておいて、太陽もたまにあたるような新鮮さで、Tシャツみたいな。

こないだ見たGEZANのライブが素晴らしかった。
ロックされた。今、青春にいる、ということがわかるもので、ファンの人達の顔に映る表情も緩くなくて、シュワシュワした炭酸のように楽しそうで、希望の光!のようでした。
それお前出来んの?!って言われているようで、凄く涙が溢れそうな体になって見ている瞬間があった。
おいおい、年とんな!今の胸ぐらをつかめ!

2019年4月26日金曜日

雨降りそう

やはり今日は朝に仕事がないために起きたら昼前で、寝坊だった。スケジュールを考えるなら。
だから結局、片付けや絵を描くことは出来なくて楽器に触ることだけいくらかしたあとに家を出る。これかは都心に向かってカフェなんかでパソコンをいじってデータをダウンロードしたりの小さなあれこれをおこなったら待ち合わせの時間になるだろう。
先日まで行われていた展示では珍しい名前がいくつか芳名帳にのっていた。
高校の友達、中学の友達。
あの時の複雑に多層的で物理的な友達との関係をこれからも作っていけるのだろうか、言い表すのが難しい。

15歳の頃の自分からの今の自分への変化は、今の自分から45歳までの変化として作ることは可能なのかと考える。今はあの時より経済が絡んで来るから、果たしてどうしたものか。今、こうしてその時間のことさえ相対的に扱えるような気分であることが大事かもしれない。

2019年4月12日金曜日

半分眠い。
シーズンばかり聴いている。
早朝のバイト先はやることが少なく余裕を持って接客を出来る。受ける方も然り。忙しい時間があるからこその猶予の時間なのか、都会の仕事の立地においては。

シーズンを通底している切ないメロディーは歌の最初の方はその波よりもむしろバイオリンの音色に乗っていて、トンネルを出た後にむしろそっちに乗っかるように作成者により舗装されている。トンネルを出ると違う景色が見えてくる、まさにそれで、水の綺麗な、感覚の研ぎ澄まされた自然の中に出るのだ。一方でパーカッションの音にも十分乗れてはしゃげるパートがあり、これははしゃぐと書いたがむしろそこでしっかり運転者ならハンドルを、後部座席に乗るものであれば手すりなりに掴まりながらしっかり乗ることで確実なものにそのドライブ体験がなっていくようなそんな時間と言える。そんな気がしたよ。

うまくやっているかい?
と久しぶりに彼が聞いていく。
大学生と接する中であまりに現実的なことを求めているが、自分の事を思い返せば随分、そこでは自意識という、見えない意識を扱っていたじゃないかと、いうことを思い出している。それが誰も知らない遠くへ案内したじゃないか。前より行きにくく雑草が生い茂っていないだろうか?そんなことをこの曲を聴いて思い出して。

2019年3月22日金曜日

熱狂の中

最近、group_inouをYouTubeで聴いてばかりいる。
いいライブもあって、熱狂の中にいる様が映っている。
どうして見てしまうのか、地球自由!ロスもあるのか。
group_inouの良さはやり過ぎないところだ。
いや、やりすぎて ふりきれているんだけど、それを行っているのはあくまで彼らの意思と身体だ。
楽曲の中でメロディーと言葉ではやり過ぎない。
"日本語"でやり過ぎた楽曲を作ると大変なことになることを避けている。
リスナーの想像力を信じている、いや、人の想像力を信じている。
いや、ちゃんと人をお客さんみたいに扱ったりしない。
"お前"とか"君"とか、だ。
友達としての信頼関係がある。
しかしそういうことをしても日本では有名になりきれない。
それは社会全体がもう1つも2つも大人にならないといけない。
今はやっぱりこびたものを選ぶ人が多すぎる。
そういうこととの戦いでもある。

熱狂の中にいる。
に強く心をまだロックされる。
誰かを殴るように、胸ぐらをつかむように熱くさせたい。
お前の人生なんて知らねぇ、けど熱狂の中にいて目が合う瞬間はあるかもしれない。
ずっと「じゃあ、あとで」だ。

2019年3月13日水曜日

19312

もう今の僕には現実に対応する発表するものがないような、フラフラと町を漂う。
変な眼差しであたりを見回しながら足を前に出し歩いていくから、半分にんげんじゃないみたいに。半分にんげんじゃないみたいだ。

海外にいったらこんなエネルギーの放出の仕方するんだろうか?
このやり取り自体がなんか日本語的なんじゃないかなんて可能性がぼんやりと頭の端っこを漂って、問う、よ。

少し悲しいのは、3月のせいなのか。
昨日の打ち上げの際に確かにみんな口々に泣きたいなんてことを言っていた、夜の光の町並に向かって、人混みの少し上のあたりに向かって。

4月になればこの涙を後ろに追いやってやっぱり元気にアゲインみたいな顔して前のめり、するんだろうか。
恋に期待するんだろうか、故意に。
春、みたく、いわゆる。

知らないけど今はとにかく半分おばけだ。
白い。

2019年3月12日火曜日

7回裏

group inouを聴き始めのは遅く、僕の個展のオープニングで冠さんがDJしていたからそれで知って覚えて聴いてってのが2016年。1月。
その後3月に、すごく好きだった子にフラ!れてしまった時にも重なって聴いていた。その時、浅草付近を歩いていて隅田川を挟んだ向こう側の景色がマグリットの絵のように曇り空に見えた、その時期に聴いていた。

多少その時の雰囲気も中に含まれている、
にしてもだ、今、僕の目の前に映っているのは高校生が、少年がgroup inouの曲を前に立っているエンドロールあるいは映画のオープニングだ。
手にはストレート、あるいはナックルボールの形をすえてこっちにまっすぐ立っている、

体力無限!

みたいな。


今、実際エンドロールみたいに9聞いていて、だけどしかし駅のホームのライト見て、やっぱり光について。光がどれくらい人を動かしているのかも知りたい。音、光、などについてこれから。

野球場はきっと宇宙から見たら面白いに違いないか、特にナイターは。とか思ったり、する。

2019年2月12日火曜日

ステージでの渇き

踊っている時の幸福は踊っている最中にしか出会い続けることが出来ない、と帰りのトレインの中で思う。
もう少し出来ることがあったんじゃないだろうか、一瞬出会いそうな瞬間がステージの上、あったような気がする。出会えたような気がする、恋のように、恋がその人を変えてしまうようにこんな音が自分から出るんだということを知らせるかのような瞬間が。
逃してしまったかもしれない。

もう少し出来ることがあったかもしれないな。

なぜ泣いてしまうんだろか、溜まっている涙の分なんじゃないだろうか。何か頑張っていたら水が身体に溜まっていくのかもしれない。
観客の涙があるとすればやっぱりそれは彼や彼女のもので、ふとした時に、あるいは音楽や状況なのかが蓋をあけるようにしてどっと流れ出す。
肩にすっと手を置きたくなる。そういう時間とかだって生きあっているのかもしれない、

いずれにせよ、言葉の方が後から来るってことあるわけだけど。


2019年1月7日月曜日

ハロー

湘南新宿ライン闇を切り裂いて、っていいフレーズ。
今年は生活を、生活スタイルを変えたいなぁ。
明日は地球に向かってパンチするみたいなパフォーマンスをしたい。
ダンスって言葉ではなくパフォーマンスって言ってしまう、こういう時。
ダンスだと何かをなぞるとかそういう見え方として占めている感じして、そうじゃなくもっとぐちゃっとした表現を含む可能性があるから。
パンチ地面にしたりするかもしれないし。
明日、いいパフォーマンスしたいな、世界が一気に変われ、って思うくらいの。
そういう瞬発性をもっと持ちたい。
何か最近小さいながらも何かコミュニティのことを雑ながら考えているうちに、自分1人での個人の鋭意ある表現をしたい気持ちが少なくなっていきそうで怖い。
10代から20代にかけて街の中を音楽を聴きながらたとえば歩いていると締め付けられように何か口惜しい、あるいは悲しい、あるいは切ない気持ちが溢れて泣きそうで怒ってもいて、くやしくてどうにかしたくて叫びたくて歌いたいような、そしてきっとそれがダンスとかそういうことできっと亀裂を入れられるから、行くんだって気持ちを持ってあの道を歩いていたことを思い出したりして最近そういうの減ってる気がしていて。
若い時のそういうの、持ってる人はそれはきっと何かになるし、そういう眼差しで世界を眺めていることで見えること考えれることがあって。それは愛おしいと思うから。がんばれ。
そこに目を向けることを忘れたり、わからなくなってしまいたくないし、
何か仕事は最近ここ1.2年で忙しく大変になってきているけど、それが敵みたいな存在じゃない分、自分で何かはっとされられる対象や、取り組むことをもっと探しにいかないとずるずるいっちゃいそうで怖いし、そのせいで出来ることが出来なくなったり、出会えなくなってしまったとしたら悲しい。僕はまだ出会っていきたい、ハローと。

2019年1月6日日曜日

2019年始まって、午前中にwwfesのMTGをして、夜は大学の頃に十和田に行ったsozo ageのメンバーで新年会した。懐かしい人、7年ぶりとかじゃないかな?
七尾旅人の新アルバム、いいな。彼に会った時、KENTAROさんのような人だなと思った、繊細で細部まで気になって、、だからこそそういった人だからの生み出せる表現のディテールがあってそれに感動しているんだなぁ。

初詣、江ノ島の海に行った。いつも以上に踏み込んだ場所へ人と一緒だったから冒険出来た。海の波が辿り着いたこっち側、岩場から向こうの海の先、あるいは向こうの街の灯りを見つめる。上には空、雲や夜や星があって。美しかった、この状況に何かを重ねるようにして孤独な気分が見えた。美しい世界の姿をもう少し見たい今年と思った。

あと、最近音楽を今一度聴く中で感じ動かされることがあって、結構突き動かされて、でもなんかその感動くらいにまで自分を持ってくることが出来なくて。
しかしその引っ張られることでそっちがある予感があるから、もう一回そこのことに手を体を伸ばすようなことをしたいなぁと思った。
光の下で。