2022年3月17日木曜日

他の可能性

 なぜだろう、ずっと準備が間に合わないで進めている感じ。ため込んだ蓄積もなくなってしまった感じ。気のせいだろうか?でも人にも面白くないとか言われたりもしたからじゃあやっぱりダメになっているのかもしれない。不安だ。 そろそろそういうのから脱却したいのだが。 

今日だってなんとかストリートに辿り着いて、考えも整わずに踊り始めていく。でも気持ちが上がる瞬間はあってその時は何か熱いものが体と同期していく感じはあった。

たくさん動いて頭よりも身体がどこかへいくときっと調子を取り戻していくのかもしんない。週末のマーケットにも間に合うかなぁ、気付いたら準備が出来るのが1日しかない。やれやれだ。まったく。3月はそんなに忙しくないと思っていたし、全然稼ぎだって弱いのに、うまく回せない。少し毎日早く起きるようなことかもしれない。不安だ、30代半ば。

ただ一方でこんな煩悩に囚われてていいのだろうかね、もっとあるかもしんないしね、

2022年3月16日水曜日

久しぶりに大学で

 久しぶりに数年振りに大学を訪れる。前まで働いてスペースを訪れるとイベントのタイミングで学生や教授、これまで関わっていた人、外部の人などがほどよく集まっていた。 少しだけ新鮮な気持ちでドキドキしながら中に入っていくと親しげなみんなに少しずつほぐされていく。この感覚はちょくちょくタイミングごとにある、働いていた場所だったり、それこそ学校だったり、所属していた場所だったり、それでもこの感覚をある一つの場所に生涯久しぶりに訪れる度に感じるということの方が少ないだろうと思う。この感覚はほどよい距離感に時間が経ち生まれて、関係とのバランスで消えてしまうものでもあると思う。

新しい学生と話し新鮮な考えに触れ、感化されたり後輩が頼りがいのある仕事っぷりをしていたり、全員と話すことはできなかったし、結局学生の頃のやったようにほとんど滞在時間ないけどそれもいっかとダラダラとした時間に到着してしまい少しだけ見たいところだけかいつまんだ範囲で大学をあとにする形になった。

ラボを出る時、1人の学生が走り寄って来て何を言うかと思ったらファンです、と伝えられ周りに知り合いのアーティストの人とかもいてなんとも恥ずかしくなってしまい、もにょもにょ笑って対応してしまって申し訳なかったかもな。今度は話しましょうよ、とか言えててもよかったな。 でも学生の率直さがやはりこれも新鮮でときめいた。 ラボをでて図書館の下のトンネルをくぐるたびに今日の大学の終わりを感じる、、あの時のさみしさやそこから橋本に向かう時のテンションや様々な記憶がトンネルを介して思い出される。

"あの時"という時間が好きだなぁ。もう会えない人や構成され再結成されたりしない人の時間や関係性。あの時に過ごしたあの状態ということが度々解散を繰り返して思い出とかになっていく。そしてこうして思い出される。 訪れよう、人と過ごし作ろう、そう思えました。どうかな、これからの人生にそのことがどれくらい適しているかはわからない。

2022年3月15日火曜日

また書こう、

 小さくなってしまいそうでこわく、砂よりも大きめの石を集めて投げ散らかすと海へ。

ひらかなでかくのはそのほうがひとつずつに対して身体が応答できる気がする、形に対して。感じだと画数が多く身体よりも意味を受けとりそうだ。

こんな日はきっと向こうの家なら夜走って海まで行くことができる。 海まで行っておしっこだけして帰って来たことがあった。悪くない過ごし方だと思う。最近新しいものに触れているだろうか?今日Google マップで行く目的のあった場所を調べると近くに行ったことのない大きな博物館を発見した。自転車で行けそうだ。なぜそういう時間を大事にしようとしないのだろうか。

スーパーへ行くと相変わらずフルーツが高い。ヨーロッパでは安かったのに。安くなればそれだけで嬉しい。美味しいフルーツがあって公園に持ち込んで食べれるならそれだけで嬉しい。あたたくなったらピクニックをしよう。

頭の中にはたくさんの植物を育て、自然に習うようにそれらに聞くといい。

何故こんな風に簡単に物事を詩みたいに考えることを忘れてしまうのだろう。大事なのは詩のように自由にあること。

そしてさっき少し書いた、それで少し晴れやか、また書こう、