久しぶりに数年振りに大学を訪れる。前まで働いてスペースを訪れるとイベントのタイミングで学生や教授、これまで関わっていた人、外部の人などがほどよく集まっていた。 少しだけ新鮮な気持ちでドキドキしながら中に入っていくと親しげなみんなに少しずつほぐされていく。この感覚はちょくちょくタイミングごとにある、働いていた場所だったり、それこそ学校だったり、所属していた場所だったり、それでもこの感覚をある一つの場所に生涯久しぶりに訪れる度に感じるということの方が少ないだろうと思う。この感覚はほどよい距離感に時間が経ち生まれて、関係とのバランスで消えてしまうものでもあると思う。
新しい学生と話し新鮮な考えに触れ、感化されたり後輩が頼りがいのある仕事っぷりをしていたり、全員と話すことはできなかったし、結局学生の頃のやったようにほとんど滞在時間ないけどそれもいっかとダラダラとした時間に到着してしまい少しだけ見たいところだけかいつまんだ範囲で大学をあとにする形になった。
ラボを出る時、1人の学生が走り寄って来て何を言うかと思ったらファンです、と伝えられ周りに知り合いのアーティストの人とかもいてなんとも恥ずかしくなってしまい、もにょもにょ笑って対応してしまって申し訳なかったかもな。今度は話しましょうよ、とか言えててもよかったな。 でも学生の率直さがやはりこれも新鮮でときめいた。 ラボをでて図書館の下のトンネルをくぐるたびに今日の大学の終わりを感じる、、あの時のさみしさやそこから橋本に向かう時のテンションや様々な記憶がトンネルを介して思い出される。
"あの時"という時間が好きだなぁ。もう会えない人や構成され再結成されたりしない人の時間や関係性。あの時に過ごしたあの状態ということが度々解散を繰り返して思い出とかになっていく。そしてこうして思い出される。 訪れよう、人と過ごし作ろう、そう思えました。どうかな、これからの人生にそのことがどれくらい適しているかはわからない。
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