2022年2月23日水曜日

明るいところへ

 ダメだ疲れてるのに眠れない。

明日は久しぶりにストリートを再開しようと思う。コロナで寝込んでしまった時期もありついに2月の後半になってしまった、年末からだいぶたつ。ストリートをやっているとそこを目掛けてこようとする人がいたと話を聞くから、なるべくはやっていて誰かが来れるようにしておくべきなんだ。そう思うとこのことはやっていてよかったとなるなぁ。 最近、坂口恭平さんの本を読んだというのもあるかもしれないが改めて何をしたら後悔がないのか、ということを考えたいとも思う。世間の評価とは関係なく、なになら続けたら嬉しいとかやって良かったと思い続けられるか。今度もしかしたら人と踊ることになりそうで、それは何か大事に出来るんじゃないかな、、とか寝れない頭でぼんやり思う。 さっきウエストサイドストーリーを観てきた。たくさんダンスが出てくる、そりゃあそうだ。でも僕の記憶は小学生の頃のまだダンスも始めてない時期に親と一緒にBSか何かで見た記憶でそうするとダンスもあるけど、あの暗い街をバックに俳優たちにやたらあたる照明の光とのコントラストなどかもしれない。そこで踊られるダンスと自分のダンスは切り離されていて、よく自分はまだダンスをしているなぁとドキドキする。

こないだイベントで久しぶりに即興だし、何もそんなにいわゆる決まった期待のされ方もしていない、誰も来ないかもしれないパフォーマンスの機会があって、うまくいった日があった。本当に嬉しくてその日は打ち上げまで楽しかった。その日はずっと人と話す手応えがあった、ずっとどうすればいいのか?を問えるような。手応えのある日がずいぶん減ってしまった。人と会うと生まれるあれだ。だからこないだのイベントにはすごく感謝している、好きなものに出会えたっていう感じ。僕は一体なんなのだ、ということを少し肯定出来たような感じ。 ダンスの場にいると絶えず比べるということが起こるからかもしれない。

今年は本当言うなら不安だ。あんまり仕事も決まっていなくて、何か繋がっていかないのかも、とか思い始めちゃう。だけどコロナだし、そういう人はもっとたくさんいると思うから僕だけの問題じゃないな。そしてこういうことも忘れていないだろうか?つまり世界よ、私を置いていけ、みたいなこと。誰かと一緒にいる時間も増える分、きっとこれまであんまりあからさまに出てきてはなかったけど近い分、比べてしまう、みたいなことも起きているのかもしんない。この生き方はあんまりしてこなかったからまだ慣れていないだけかもしんない。 世界よ、私を置いていけ、という態度は孤独こそ似合うのかもしれない。そういうことが制作にはつきものだろうか?それとももう少しきっと違う文学がある気がする、もっとポジティブで明るいがゆえに多様な。坂口恭平さんの発言の中にもあるけど、暗いよりも明るい中にこそ多様性のバリエーションがあるという話、すばらしい。保坂さんみたいだ。暗いのはバリエーションがないから集まりやすさもあるんじゃないかね。

明るいものを作っていけるかな。

2022年2月10日木曜日

旅のこと

 例によって寝れないが今日に限ってはそんなに焦りがない。自宅療養中だからだ。寝れないで困ったが手元のライトを取り出して本でも読んでみることに。

そういえばこんなことを思う。学生の頃だったらこのブログさえもっと架空のものを簡単に引き寄せて日常と繋いで書いたり、過激なことを書いたり、とにかくどこか今接続しているところから遠くにいくための制作をしようと奮闘していた。最近の自分の反省は手元の制作ありきではなくなっていたようだ。自分の手元で動かしていることから頭が働き出し、自分の言葉が生まれ、それがさらに制作を稼働していく。それが制作のプロセスで強さや濃さを生み出していた気がする。

なんとなく今日はそういうことに気づく日だった。

本の続きを読もう。

そして外の空気が吸いたくて窓の外を眺めたくてもSNSで話されることはどこかやはり窓ではないんだ。遠くを見ようとするには自分の身体や欲求をここではまず聞いて動いた方がいい。

旅に行きたくなってきた。

僕はもう30も半ばになってしまった。とてもバックパッカーみたいな年齢ではないように世間では思われそうだが本当はそんなことはなくて、いくつになっても旅はした方がきっといいだろう。そして自分の言葉を手に入れて帰ってくる。旅先で聞く人の話はすっと入ってくるかもしれない。

そしてジャーナリストというのはいくつになっても旅をすることでしか書けないことがあるだろう。世界の神秘は段々と失われていくのだろうか。それでも困っている人はあとを尽きないのだから、それが旅に出る理由でもないし、そんなことは背負えはしないのだけど。想像力を働かせることはずっと出来るだろうということで旅は歓迎されるだろう。

明日も自宅療養という真逆でありどこか似ている旅に行こうと思う。今年か来年こそは旅に出たい。