2019年6月15日土曜日

金沢での一瞬違うこと

先週は取手、奈良にいて、今週は金沢にいる変な感じだ。
現地にいる人と話す。前回の奈良ではもう少し上の世代の人たちと。今回は同じような立場アーティストの人たちと。
雨が降っているためか内省的というか静かに自分を見つめるようなひと時、到来の予感の中にいる。
先週の奈良について訂正するならば夜行バスで京都に着いて、東本願時に立ち寄ったので少し京都の記憶も入れ子構造になっている。
言葉で区切ったに過ぎないが、微妙な認識の記憶さえ引き継ぎするようにずれている。

金沢の家賃は2階建てで4万円、大阪の家賃は3万円、というのを聞いていて覚えている。
どこに住むべきなのか、どのようにして時間を過ごすべきなのか。
7月の後半に余った時間はきっと海外に行くのにあてるべきだろうが、どこを目指すべきかわかっていない、調べていない。しかしそのような状態から無理矢理にでも絞り出すようなことも時に必要だったじゃないかという教訓の経験もある。

誰にもどこにも向けられてない言葉を持つ必要がある。
色々考えなきゃならない。


2019年6月7日金曜日

奈良に向かう

チャットモンチーにバスロマンスという曲がある。
久しぶりに夜行バスに乗って京都に向かう。
と言っても目的は奈良なのでバスを降りたら奈良に向かう。
さっきまで取手にいたから小旅行みたいな感じで、次の移動もなんか石の上をぴょんぴょん跳ねるみたいなリズムが生まれる。
大学生の1、2年の時によく京都や大阪にはダンスのバトルで行っていた。
必死だったからともかく自分をレペゼンするぞ、と。
その時チームもやめさせられてる時期があったりしたし。
一方で、東京のパーティーで知り合った人に会いに行く目的もあった。
くるりの曲を到着したら聴くなんかして思いっきりそこにいることを盛り上げていった。
そこで見たいくつもの景色、瞬間のことを大事な思い出として色味を持って記憶している。
今日は大学生にたくさん会う機会があったので、透かしてそんなことを考えた。
もう31歳だけど、そんな風にまだまだ色味を持った記憶を手に入れていきたい。
また新しいやり方も見つけて付け足してやっていけるかもしれない。

僕はまた運転を出来ないからこういう機会に車のスピードで見える景色や移動を体感しておきたい。
新宿はくもりで雨が途中ぱらぱら降ってもいて、ぼんやり建物の明かりが拡散、霧散している。
そんな液体、気体の状況に影響されてか僕自身も少しぼんやりした気分でバスを待つことになり書く気が起こり書いている。

京都から戻ると全然そのこととは違う世界が大学では動いていたのも覚えている。
そんなようにしてまだまだ色んな水たまりや曇りの中に手足のばしてつかってさ、と。

途中はみがきたい

2019年6月1日土曜日

美しいうたを聴いて。

体の中をまっすぐ突き抜けていくような、暗闇に射す一本の光のようなうた!
突き抜けていく光はまぶしくてまぶしくてまぶしいから、痛くて涙があふれそうになる。
3人はまるで時を越えてうたのもとに集まったみたいだ。
音楽はそこに出現したらあとは拾えるそれぞれの体の自由であってほしい。
そこにダンスがある。
音楽を拾う体がダンスになる。
ダンサーも音楽家もいない、ダンスと音楽がある。https://www.youtube.com/watch?v=mTXvE-I3hW4&list=RDmTXvE-I3hW4&start_radio=1