2026年7月26日日曜日

やひ、

 くたくたになって部屋を見渡すと部屋が荒れている。バンドンから帰ってきて1週間。たぶん忙しかった。そういうのとは違う概念をお土産として持って帰ってきつつも、一方でそのような状況。バイトを入れなければよかった。でも、バイトも楽しかった。インドネシアマインドを取り入れるとまったく展開が微妙に変化するのが手に取るようにわかった。

インドネシアでは一見ツーンとしてそうな人も思い切って話すと、水が流れていくように潤いが生まれることが何度もあった。水を通すように見知らぬ人とやりとりすることは日本に帰ってきても楽しい、ALIVEな感じがした。

急に具合が悪くなる、話題の映画を見た。この映画を撮ることは大事なことだったんだろう、と思うけど色気を感じない箇所もあり必要かな?と思ったり、自分が既に考えているアイディアを出ないようにも感じられるところもあった。映画だから出来る世界の羅列に改めて感動しつつも、映画での現状追認に思われるところも。周りの友人の評価も高く期待の上で行ったけども僕は以前の濱口作品の、これはいい!の方向ではなかった。 でもこの映画と山田五郎さんの訃報を聞いて、"alive"と思った。今は多くの作品を見ても、あんまり感動がない、じゃあ楽しく面白くないのか、と言えば、生きている、が感じられる時間や手応えがあって、このことこそが今は最も面白いです。ということで、aliveでふざけたような言葉が自分に浮かんでは消えるのです。

そしてクタクタになって部屋を見渡して。でも考えてみるのはツーンとすることと寂しさは結局繋がっているんじゃないか。東京とかでは多くの人にさみしさを見る。そしてさみしいのにさみしいと言えない強がりで武装し、表に出てくる人がすごく多く、そのことは悲しいと見えてくる。どんなになにを成そうと、さみしいというのはずっと辛いと思う。すごくても、そういうことが現れてしまう。一方で自分の周りや近い人にこの人はほんとうに元気でパワーを振りまいていると感じられる尊敬すべき人たちがいる。それへの対価はつよい愛情。本当にすごい。


ラジオみたいのを聴きながら、岡村隆史もヒーローだった。コメディアンで言えば武も。ポップでいえばミスチルもヒーローだった。 そのことを思い出して自分が好きだったものを褒めたい気持ちが出てきた。彼らがやったことは今までにないことだった。別にジャンルに依拠したりはしていなかった、とことに今気付いた。

2026年7月19日日曜日

くら、

 日本に帰ってきた。まだバンドンの空気が残っていてくれてる、とても心強い。帰れるところがあるというのはどういうことだろう?

バンドンでは寂しくなかった。みんなが優しくて、そしてキュートで美しくもあった。だから目線や身体の向く方向性や仕草で愛が伝わってくる。それは恋人とかでなくても、家族とかでなくとも。ともすればそれは日本では危険に思われたりするかもしれない。でも惜しみないその領域が存在していたように思えた。だから半分恋をしているみたいな気にもなってそのことが何か愛の予感を感じさせて寂しくなかったのかもしれない。ヨーロッパやアジア、日本だとみんなそれぞれに厳しくてプライドがあって寂しそうだ、だからこそやっと自分を許せるスペースとして恋人がある、家族がある、そんなようにも思えた、だがそうだろうか、と今回の旅では思えた。

そのイメージがまだある。そしてそのことだけじゃないけどいくつかのことが後押ししてくれているのがわかる、向こうにいる時はたてようと思いつつたてられなかった日本でのやることが、ぼんやりと帰り際に見えてきた。自分の生きる理由がもう一回見えてきたような気がする、たぶんそれな気がする、そうであってほしい、長かった。

2026年7月11日土曜日

お、そ

 本番が終わった。と言っても明後日もあるけど。とにかく肩の荷が降りた。心配な体調だったけども、それも過ぎていった。パフォーマンスの後に参加したワークショップの中で誰かに向けて踊るパートが現れ、指名を受け、先ほどまでステージマネージャーをしてくれた彼に向けて踊ることになった。何だろう、たとえばどこかからやってくる"勇気“みたいなものが大人になったとしても知らない何かが運んでくれたらきっと誰もが言わなくても願っていないかと思ってそれをつくろうと出来ないかとトライした。自分なりの日本の風みたいな感じで。日本の風というか、あの辺の風って感じだろうか。すると、帰り際お別れの際に彼から実は自分が書いた手紙というのが別れた両親の話だったから、それを踊ってくれたみたいでありがとう、と言われた。急に胸が詰まった。 きっと彼は僕より年上だが、そういう風にして立場が変わる?という交換されることはずっとあることだろう。

ラジルがパフォーマンスを終えた後に倒れた。sickとみんな言っていた。インドネシアの人はみんな優しくてリラックスしていて、と思ったから急に暗い空気が周りにあってみんなもやさしくサポートしていたけれど。それぞれのケアのあり方があった、僕は少しでも背中をさするか考えたが、わからないと思うことにした。もしかしてツアーの中で絶妙な歴史を持つ場所へ入っていったのが原因ではなかったろうか。

帰りは疲れていたが人とご飯食べるかもしれない、と思いもう少し歩いてみる。ついに気になってたコーヒー、ジェラート屋に入る、が思ったよりジェラートは砂糖と言う感じで美味しくはなかった。が、1人打ち上げだとだらだら過ごす。向かいのレストランでは相変わらず熱唱が聞こえる。宿に帰るとタイから来てる2人のアーティストは相変わらずずっとSNSを見ている。僕もそうだ。沢木耕太郎の時はSNSはなかった。あれはもう50年も前の話か。少なからずさまざまな場所で踊ったリサーチが少しは役に立たないかなぁ。

さて、今日は疲れました、

そして眠れなそう、お疲れ様でした。

2026年7月10日金曜日

やった、

 明日本番なのに疲れてるのに寝れないのキツいな。礼拝がせめて聞こえる前に寝れていたい。

それに少し風邪っぽい。日本でも本番前に体調を崩すのをやたらここ数年やっていて、それは悲しいことだが何か気を負いすぎなのか。毎回、本番がそうだとしたら、そこの可能性にかけるというのが"プロ"としては普通だがそれはそれで普通だ。

この寝れない根本さは、その眠れないで微妙に迎える本番で人をがっかりさせてしまうことのプレッシャーがあるわけだがそれよりももっと解決しなきゃいけないことを言おうとしているんじゃないか、と思い至ったと数日前に書いた。

それはここにいようが日本にいようがどこまでも追いかけましてくるのか。そうだよな、だって過ごしてて考えることは基本的には根本的には抜けない部分がある毎日を過ごしているとわかるし。

今年のスケジュール、現実的に目標的に面白くなる、と思い組んでいるが、それでもまだ、で。

やたらSNSとかも見てしまう。そして前と変わらないことに気付いた。"ここ"から見えるものを面白いと思ったことは一度もなかったはず。"ここ"から見えるものは今も昔も自分にとっては変わらない、SNSの発達によって見えることはふえたが"ここ"からあくまでそれは見えている。だからそれ以外をやらない限り、私はつまらないのだ。

だからそれ以外をやらない限り、私はつまらないのだ。全てを"ここ"から見えるようにしてやるのじゃなく、初めてやったみたいにして。

2026年7月8日水曜日

とやる

 くそぉ、こっちに来ても毎日疲れているよー

こっちの疲れは環境に慣れないせいもあると思う20代の時より慣れにくさはきっとついてしまっている。

ただ今夜、ernestに改めてバイクに乗せてもらった時、1人で歩くよりは快適な時間が訪れた時に、この快適さを持って異国の都市を行く時の独特の解放感。日本にいるのではない、誰も知らなくて、でも誰か達のことは少し知ってるこの感じが久しぶりに訪れるのだった、それは美しい。

日本に疲れて帰るなぁというのがここ数年、海外から帰る時に迎えられる感想で。今回もそうなるだろうか。

もっと20代の時みたいに帰って数週間はキラキラスターみたいにそのスピードと楽しさで走れたらなぁ。

クロノトリガーを聴いたのだから再び大丈夫、と思いたい。ずっとそういうやりとりを人生でしている。もっとしていいんじゃない?ちゃんとしっかりと年をとる、という強い現実や強い宇宙があったとしても、別の宇宙が存在する、とは誰もあんまり言わない。

とにかくこの夜

2026年7月5日日曜日

はなら

中々バンドンでのクリエーションはそれなりになんとかやっているのだが、環境の中での生活をうまく出来ていなくて体調を崩しそうなところを行き来している。眠れないのは根本的な原因を解決しない限りないだろうというのはありつつ、今日眠れないのもやっぱり厳しい。

さっき本を読んでうとうとしたタイミングで電気を消して、赤ちゃんのようにその滑り台で眠りにつくかと思ったのだがそうはならなかった。

バンドンの街は中々にハードで、街は繰り出そうとすれば大量の車やバイクが主に大きな通りを走っていて、その大きな通りによって基本的には街が出来ている。そこから小道に入っていくと村のように小さな家や様々なバリエーションのサイズの家がくっつき合って生活圏を作っている。小さな屋台はそれらの家でもくっついて屋台となしているのもあれば、大通りまでどこにでも見つけることが出来る。

この煙に溢れた街では自らタバコを吸わない理由もないという感じがする。どっちが先かという感じで。

そんなハードな状況でも街中にオアシスを見出そうと川を見つけるものの、そこはゴミ溜めとなっていて、少なからずまだショックは拭えない。

しかし自分なりのやり方で、リサーチし、可視化し、詩性を見つけ、取り組もう。


2026年7月1日水曜日

潜りサメ

 バンドンの連日のリサーチで疲れている。環境も違うし、何よりここ数年の体力や身体の変化もあると思う。相変わらずうまく眠れない。 眠れない、とずっと言ってることと、朝を楽しみに起きる日が長らくない、ということが浮かんだ。適当にしか起きれないのを反省しつつ、許容して長い時間が経ったけど、どうしたらいいんだろうってぼんやり思っていて解決しないままに来ていたけど、言葉をもう少し出してみると、明日の朝を楽しみに起きることがないことに気づいた。考えてみるともう少し前、10年前は少なからず明日の朝起きるのが楽しみな日というのがあったはずだ。イベントの前とかどこかに遠出する日とか、誰かとのデートとか。

ここ数日、そのことを思った。

バンドンのレジデンスでリサーチが目的ではあるが、一方で僕が人生において考えなければならないのは、どうしたら生きていきたいと思えるようになるか、だ。もしかしたらまぁそれなりに生きていて楽しい、というのはあるしそれで来れてもいるけど、それでも上に書いたようなことが続いていて半分な感じがずっとしていて、それはずっと疑問だ。

眠れなくてほんの少し今気づいたのは、この眠れないは、ただ眠りがうまくいかなかった興奮して寝れなかった、以上に根本的なことなんじゃないか。

どうしたら明日の朝早く起きたいと思えるかを、もっと真面目に自分のこれまで生きてきたこととかを含めて考えなければいけないハードコアな時間になるのを避けていたんじゃないか。

坂口さんで言うところの鬱に中途半端に向き合わない、徹底的に向き合うみたいなことじゃないか。ずっと避けてる言葉に、死ぬ気で、という言葉が自分にある。それがさす一般化を強く嫌悪している。その分、死ぬ気で、というようなこともなくなっていった。それをやるならそれのオルタナティブを突き詰める必要もあるが、、


汚い部分も含めて根本的な自分の救われなかった欲望について気持ち悪くても人から嫌われようとも何かを失おうとも考える、向き合う必要があるんじゃないか。非常にずっと何か悲しい。

こっちのカフェでやりとりをした女の子が可愛らしくて、気持ちがすっと透き通っていった、それだけでなんかやり過ごしていけるような人生、は自分で思ってる自分というより誰かから見た自分なのかもよ、もしかしたら、というやりとりさえ忘れていなかったか。

SNSを見ているとそこで交わされる欲望でまるで街が出来ているような錯覚をしてしまうけど、自分が今接していくことで作られていく現実というのが確かにある現実。それは明日に含まれてる。

結局たぶんいけるところまでいかないと明日がやってこないんじゃないか、そしてそれに外は関係ない。だから潜っているんだろうな。潜っていかなきゃ、もうダメかもよ、、