犬が吠えている。そんなはずはない。聞いたこともない。室内で飼われていたということ?外に追い出されたということ?
雨の音が聞こえてくる。十五夜が終わると急に秋になると想像している。秋になればすなわちあの高校の文化祭の秋と繋がっていると時空を超えて感じられると思う。 雨なのに雨戸にして眠ると外と中が繋がっている東南アジアのような、そういう外側との関係性を持っていられるような気がする。
今夜は朝のベニントンと繋がって授業のゲストで話させてもらった。準備資料がうまくいかない感じがしたけどなんとかなりそうな気持ちと不安が半分ずつで挑んだ。プレゼン前なのにほんの少しでもブレイクダンスの練習会に参加した。最近はブレイクダンスの練習会に参加して、気持ちよく踊れることが生き甲斐に感じれてきた。つまり他のことをあの頃よりもたくさんやってきたけど、やっぱりこの踊ったりしている時というのは何にも代え難いものだとわかってきた。
雨戸だから下のタバコをベランダで吸った人の匂いも入ってくる。なんというか損をしている気分に相変わらずなる。今日の匂いは昭和っぽい。この建物は1980年に建ったからその時に住んでた人の生活とはどのようなものだったんだろう。
アメリカの人たちを前に話すことは興奮する出来事だった。彼らと話して昔、アメリカやニューヨークにかつて憧れた最初の動機の感じを思い出していた。それに再び火がついた感じ。そのことはとても大事だと思う。
また彼が言っていた、歌を作ってる時に泣いてしまう、泣いてしまうのは本当のことに近付くから、と言っていた。ストレンジャーシングスを見ていて泣いてしまう。子供たちの友情を見て泣いてしまう。僕は今泣ける瞬間や時間があるのは幸運だとも思った。そしてそういう瞬間が色んな人に訪れるためにはどうあればいいのか。難しいし、簡単だ。あるところで出来ているのに、あるところで本当にうまく出来ないでいる。
タブーについて面白がったりせずに、逃げずに考える人は少ない。より現代においてタブーを介さずにやろうとしているようにも見える中で。
恋愛について、もしかして自分が中々切り出せなかったことの原因はそこまで訴えなくても家族の中において愛を受け取ることが出来たというのもあるのだろうか、なぜあの人やあの人が愛を求める時、強く追いかけていけるのは、追いかけることの出来た過去が経験があったからではないか。それで果たして愛が得られたかどうかはわからないが、欲しい時に訴えるしかなかったという経験を使うことが出来る。
自分はどこか恋愛において切実さが足りないままで来ているとも言えるのではないか。明日が、いつかが、あるような気がずっとしてしまっているような。
A=Bというわけではないのだけど。