2024年3月7日木曜日

砂漠

 ショーンペンが主演する映画で、邦題は、ここが私の帰る場所、みたいなタイトルだった。するとそのCMではかの有名なthis must be the placeが流れてくる。まさにこの曲の両面みたいな感じがする映画なんじゃないの?と観たい欲求に駆り立てられる。

そもそも彼らがこのthis must be the placeを歌う時、日本語に翻訳されると、家のことを歌っていることが強く感じられる。僕の家や、行くべき場所、あるいはここではなかった場所というのがどこだったか。そういうことが流れる。

ここは私のいる場所じゃないと風が教えるように吹くとさみしい。そう感じることも多かった気がするけど。きっとそのことをたくさん感じている人がいるんだろうと想像する。

それはさみしい。風が吹くようにさみしい。しかし風が吹くような、に還元してしまうのだけど、きっお言い表せなく、そしてほとんど全ての人からそのことは消えていく。

2024年2月26日月曜日

オマケ

 フリーオプンデーが終わった。12月のオマケくらいな、仲間達との許された時間だとか思っていたけどしかもみんなで稽古は一日と数日の秋田勢でのリハーサルだったけど、とても特別なものになった。実感的で他で見た事のない、再現も難しいかもしれない。それはメンバーや、やはりここに集った人たちの身体によって可能になった。これまでの習慣とか考えとかそういうのの総動員の出した今日の答えみたいな感じ。

劇場なのにあまり劇場と感じない作品。

僕は舞台の上で回すのに精一杯だったけど色んな人が色んなところで起きている、観客も演者も含めて。そんな景色を見たと書いた感想があった。自分がなぜ街とかに惹かれるのか、を思い出した。そこには色んな人がいる、誰かが出てくる、その行為や景色にいつも感動したり優しくなったり強くさせられたりする。思い出す。


一方でバイトの連絡が来る。やはりフリーランスで安定して入ってなかったから仕事がないからといれてもらえない。昨年、色んな場所で頑張ったけども、それをしたって東京での評価や仕事には繋がらないんだ。それは別に地方だって同じことだね。だから文句は言えないけど、難しい。

忙しくとも地道な活動を続けないと信用してもらえない。まぁo.kという感じで、頑張ろう。今年、大吉をひいたということだけが自分をジョークのように今年連れ沿ってくれそうなんだ。なんて頼もしいんだろう。

2024年2月23日金曜日

もしかしたら

昨日は朝早くてそれで今日は寝れるかと思ったら眠れない。色々悩んで頭で考えて、こんなことを思った。幸せになりたい、という言葉だった。以前、幸せにどうか届けと思って声をあげようとしていたんだった。最近はこの声の届け先を、奥行きを、何をもって発すべきか、遠近感をつかめなくなっていたような気がする。 言葉ではわかったけど実際にその感覚に戻るのか、あるいは別のところへ行くのかはわからない。色んなことに落ち込んでいたけども、幸せになりたい、という気持ちを素直に言えたらなんか自分を再び押せる気がする。 その気持ちもなく、ただなんとなく手癖とかでギリギリやってた感じがする。調子が戻るかもしれない。

2024年2月21日水曜日

起き、

 夕方に家を出てドタバタしてテンパりつつ、歩きながら整えようとしているとおばさんに呼び止められ、彼女の載ってる自転車のサドルを下げるのを手伝った。あんまりない頼まれごと。

夜は渋谷で踊った。友達と話したり笑ったり動いたりする、それらが渇いて気持ち良くて。

それで実家に帰った。遅かったから少し一緒に両親と動くやつをやって、それで引越しの話を具体的に聞きたりした。この小6の時に引っ越してきた家ともさよならだ。自分は実家を出るのが非常に遅かったので、思い入れも出来てしまった。そういう意味でももっと早く出ていれば悲しみは少なかったのか。色んなことに対して最近は思う人生のターンに来ているのか。色んなことが遅かったために愛着が出来て。

悲しいことがいくつか。もうダメなんじゃないかと思う。無限に広がる世界を見ようとしていたのに世界の壁や限界が近づいて来たり、色んなことが疲弊してしまって頼り合えないような予感。今週頑張らなきゃいけないのに。

渇いた、っていうのをポジティブに捉えるのって湿ってるのの逆ということでなんだろうか?

とりあえず明日よく起きよう。

2024年2月20日火曜日

高円寺

 今日はなんとかBARで池田さん涼ちゃん、村上くんが店主をするというのでこれは行かねば、と夜に狙いを定めつつ高円寺だし路上ライブでもやっていっちょビール代くらいは稼いでと少し早めに着く。

最初はこないだの中目黒のような緊張があるが段々と色々恥ずかしくなくなって少し無敵みたいになる。この状態の路上ミュージシャンは見ないので結構面白いかもしれないとか思いつつも、中々足を止める人やましてや投げ銭をしてくれる人はいない。もちろん演奏技術もないので、展開も作れない。最後、向こうの方から若い三人組がやってくる。のタイミングで苦情を受けた警察官の方がそれを伝えにきてくれる。

解散でお店に向かおうかと思いつつ若い子たちと話す。その流れでギターを弾きながらなんとかバーを目指して練り歩く。途中で思い付きの歌を歌っていると拍手をもらったり、あるいはおばさん達が合流、若い他の子達も合流みたいな感じで10人くらいになって街を少し歩いた。なんか奇跡みたいな瞬間で嬉しい高揚感のままお店に辿り着く。その時には最初の3人にしか残ってないけど、彼らに少しビールを奢りつつ楽しい夜を過ごした。最近、貧乏だからお金を稼ごうと思ったら稼げず、この状況でそりゃあ少しは奢らなきゃと奢って、なんかまた何かに繋がればいいな、とかは思ってもいいよ? 久しぶりに瞬間が時間にダメージを与えるくらいに嬉しい時間だった。

2024年2月8日木曜日

夜の部屋

 部屋のいいところは少しだけカーテンを締め切らないと外の灯りが少し中に入ってきてしまって、それを真っ暗な部屋の壁に見つけ見るときにいいなぁと思ってしまう。外の世界と真っ暗の部屋の世界ともう一つ夢の深い中の世界に入ろうとする手前。

今日は初めて(正確には違うけど)路上ライブをした。少し終えた後に見る街は違って見えた。

明日こそ早く起きたい。

2024年2月4日日曜日

楽しませる自分を太陽で

 学生の頃。活動を見ていた周囲の人によく考えない方がいいよ、どんどんやれと、言われていたけど考えないでやろうとしてはうまくいかない感じがずっと続いてそういった人や意見からも離れて、とにかく考えるしそれでやる。にしたら少しずつ状態を脱していく感じがして。今になって思うのは今ひとつアドバイスの具体性に欠けていたんだと思う。結局その思考しつつ何かするというのがパフォーマンスにも出てきているわけだし。とは言え、今は本当に眠れない日とかは意味に押しつぶされそうになる。坂口恭平が言ってたけど深夜になると良くないことを考えてしまうから早く寝てしまう、みたいなことを、言っていて最近はちょっと良くないことばかり考えるようになっていると思う。喜びに出会した時は楽しさを感じる。友達とふざけてラップしたり他愛もないことをなんとなく他人と話している時に喜びは感じるけど、普段、幸せや喜びをイメージすることが難しいと思うことも増えている。困った。生活に置いて幸せをイメージしたり憧れるということも1つの自分のエネルギーだったと思うが、今はそれが難しい。他人への想像力も落ちてきた。自分の周りもあるいは戦争をしている世界や支配があって、考えを展開するのがクソむずかしい、、けど明日はやはり太陽でも浴びてそれでも出来るところから想像して自分を楽しませなきゃ。