2026年5月23日土曜日

より、

最近はよく友達と遊んでいる。かもしれない。そうか、こないだ話していて確かに昔であれば飲み会の時間をもったいないと思っていた。だからなるべく飲み会とかもしなかった、全てを作ることみたいなものに注ごうとしていた、だから時間の管理とか生きている理由とかもそこにあったかもしれない。

なし崩し的な部分と意識的な部分がそれとは違う自分をだんだんと形成していったように思う。社会も変化していったのもあると思う。以前であれば飲み会で話されることは無駄のように思っていたが、そうではなくてそこにも人の何かがなだれこんでくると思うようになった。それも含めての“生きている"みたいに思うようになっていった、と思う。前までは友達はいなくても何か向かう際に仲間のように走れること、その瞬間や時間こそが開かれているべきで、その瞬間ばかりを求めていた。他の経営者の人のインタビューなどで最近そのような意見をいまだに言っている人がいて驚いてしまった、今の考えとしてはもっと色んな時間が友達とかとの間にも流れているはずなのだから。でもそれにしては、友達を頼りとしたようなプライベートのことを話したり聞いたりというのは多くあるだろうか、といえば全然まだまだかもしれない。もっと人に話してもいいのかもしれない。弱いところを見せる、とはそういうことかもしれない。 何か時代が以前とは違って、強く見せても結局のところいよいよどうしようもなく難しいところまで来ているのかもしれない。

一方ででも最近の自分のバランスとしては、その時の生きようとしていたモチベーションを再び取り戻せないか、と思っている。過去と現在進行形のブレンドで古いようなでも何か刷新されたような考えを自分の中での進み具合として手に入れられないかなぁ、人生において、と思うのだ。これに関しては周りは関係ない。

生きていればいいのだから、色々周りに比べて出来ていなかろうが、そんなことは関係ないどころか、そんな何かは存在しないんじゃないだろうか?もっともっと複雑に全体を見渡すべきだ。そうしていくと明日や今日や昨日はより全体的に総合的にいつも広がっていると感じられる、というところに辿り着いた。


日本語や言葉を遊ぶこと。

伝えるためだけにそれらがあるわけでもない、今書いている自分がどこかへ行くために使って構わないんだきゃら。

2026年5月15日金曜日

10代 飛

 松任谷由美の音楽人生の中で尾崎豊が登場し、森山直太朗も登場した、ということをふと思って調べたらそうだった。

アマプラでゴジラシリーズを見始めた。小学生の頃、友井くんの家で見て以来だ。友井くんはお金持ちの家に住んでいて、勉強もよく出来た。どちらかというと癖が強くて、一部からからかわれてもいた。子供ながらにどうかそういうことが成長の過程で枷になりませんように、、と勝手にどこかで思っていたが本人とすればそういうのはたまったもんじゃない経験として残ってしまうだろうか。友井くんは今はどうしてるかな。一方で山根くんのことも思い出した。山根くんの家にも遊びに行ったことがある。小学生の時はおそらく本当に色んな子と遊んでいたのだろう、どういうモチベーションだったんだろう。3年生あたりまでじゃないかな??3年の途中や4年の途中からグループが生まれていった記憶で、その中における自分を楽しみ始めたんだろう。これも中2くらいまでで別のフェーズに入っていった。

10代の大事さ。

飛行機、


自分を休ませる、ご褒美をあげるのがずっと下手だった可能性がある。ぼんやりはあるにせよ。

こないだは鎌倉へ行き見たかった展示を見てお参りをして、美味しいご飯屋さんにいつもと違う時間に入ってご飯を食べるなどをしてみた。

なんかいい気分だった。こういうこともかもしれない。1000年前の文化の香り残る土地で今の潮風がほんのり届きそうな音のする土地で。

2026年5月10日日曜日

20

 大学の同窓会へ。最初はドキドキしたがすぐに着陸していくみたいに昔の感覚を取り戻していく時間だった。関係性の中で人が見えてくることが面白い。 先生の言葉に授業的な質感があり、それが以前の続きとして感じられた。僕はその当時に感じきれなかったことをそこで得るような感じがした。 三船くんと別れて1人の帰り道が始まるとそこで現在の時間に再び戻っていくようなさっきまでの時間、過去の時間や空間が遠のいていくような感覚があった。


2026年5月4日月曜日

こま

 やばい、明日二回公演なのに眠れない絶望。 まぁなんとかなるだろう、それにしても眠れない原因を突き止めて解決出来ないがずっと続いてる、

2026年5月2日土曜日

おも、わしろ、く

 劇場に通って稽古をしていて、段々とたくさんの人がいる中で働くのが楽しくなってくる。だんだんと見えて来るパーソナリティとか。元々学校が好きだったわけだから、そりゃそうだけど。やっとかおりさんのクリエーションを通して何度も通ったというのが大きい。 人が集まって来ると段々とふざけたり笑わせたりするのが面白くて、そうか、学校でもそれこそが1番大事なことだった気がする。

ダンスとかをまじめにやって、人前で真面目に喋ったり、そういう時の自意識みたいなのも大事なパーソナリティとしてもあるのだけど、その時でさえ、笑えるような方向性はなかったかと、今になって反省する。

それは昔の自分へのリスペクトがあるからなのかもしれない。

ここで大事だと思ったことを公演が終わっても引き続き待ち続けたいな。

2026年4月29日水曜日

こ、の、あ、な、

 眠れないのはしょうがない。でも布団に身体を倒していることでの回復はある。公演が差し迫っていて先週はかおりさんも帰ってしまう前だったので毎日通しをしていて、これが中々ハードだった。時間としては1時間もない作品だがほぼはけたりがない。色んな要素が詰まっている分、色んな身体や思考もその都度調整するので取り組みがいのある作品。

ともかく毎日、いい感じのルーティーンをギリギリに生き延びてる感じ。 

ここ最近は少しだけ気分や考え方も調整されつつあるかもしれない。やりたかったことを周りを気にせずに自分のペースでやろうという風になってきているかも。絵をなるべく少なくとも毎日描けるように時間を作るのも要因かもしれない。絵で具体的に、というわけでもないのだけど、毎日自分が良いと思えることをやっていける、と他のことも出来るような気がしてくるのかも。5月いっぱいはこの感じを引き続き試したい。

5月19日にソロでの取り組みを急遽取り決めた。嬉しい。自分にとっては大事なこと、だ。自分を、やりたいことをメンテナンス出来る。とても楽しみ。人が来るかどうかは不安に思ってしまうけども、それよりは決めたことを届けようと取り組むことが大事とわかっている感じで、そこからやっていけば良いんだと思う。数年前に出来ていて、出来なくなっていたことをもう一回やることから出直す感じ?人と比べたらしょうがないけど、そういう経路を辿ることだってあるんだと思う。人より時間かかってもいい。

2026年4月20日月曜日

記憶

 困ったまためちゃ疲れたのに眠れない。むずかしい。

さみしいということなんだろうか。色々なこと。さみしい時にさみしいというのが難しいということを坂口恭平さんの映画の中でも言っていたかも。 街の中でも誰といるのにさみしいに違いない人、自分のための時間を自分で作れるようになることでさみしいというところから解決になるというような話。 その時間は持っているはずでいたが、なんか変な気もする。

高校の時に暴力的な友達がいてすぐ特定の誰かを殴ろうとしていた彼は今になって思えば彼も親から何かしらの形で受けていたのかもしれない。頑なな態度だった。高校生は半分大人なだけに、なんだか互いに子供っぽさよりは分別のつくリスペクトを持った関係で作る互いの関係が多かった気がする。でもそうなると見せれない部分もいっぱいあったのかもしれない。

急に半分子供なのに優しかった彼らのことを思い出して、高校生としてもう一度あの時間を過ごし会いたいと思った。記憶の中で何度でも会おう。そしてます今を更新するんだ。