2026年4月29日水曜日

こ、の、あ、な、

 眠れないのはしょうがない。でも布団に身体を倒していることでの回復はある。公演が差し迫っていて先週はかおりさんも帰ってしまう前だったので毎日通しをしていて、これが中々ハードだった。時間としては1時間もない作品だがほぼはけたりがない。色んな要素が詰まっている分、色んな身体や思考もその都度調整するので取り組みがいのある作品。

ともかく毎日、いい感じのルーティーンをギリギリに生き延びてる感じ。 

ここ最近は少しだけ気分や考え方も調整されつつあるかもしれない。やりたかったことを周りを気にせずに自分のペースでやろうという風になってきているかも。絵をなるべく少なくとも毎日描けるように時間を作るのも要因かもしれない。絵で具体的に、というわけでもないのだけど、毎日自分が良いと思えることをやっていける、と他のことも出来るような気がしてくるのかも。5月いっぱいはこの感じを引き続き試したい。

5月19日にソロでの取り組みを急遽取り決めた。嬉しい。自分にとっては大事なこと、だ。自分を、やりたいことをメンテナンス出来る。とても楽しみ。人が来るかどうかは不安に思ってしまうけども、それよりは決めたことを届けようと取り組むことが大事とわかっている感じで、そこからやっていけば良いんだと思う。数年前に出来ていて、出来なくなっていたことをもう一回やることから出直す感じ?人と比べたらしょうがないけど、そういう経路を辿ることだってあるんだと思う。人より時間かかってもいい。

2026年4月20日月曜日

記憶

 困ったまためちゃ疲れたのに眠れない。むずかしい。

さみしいということなんだろうか。色々なこと。さみしい時にさみしいというのが難しいということを坂口恭平さんの映画の中でも言っていたかも。 街の中でも誰といるのにさみしいに違いない人、自分のための時間を自分で作れるようになることでさみしいというところから解決になるというような話。 その時間は持っているはずでいたが、なんか変な気もする。

高校の時に暴力的な友達がいてすぐ特定の誰かを殴ろうとしていた彼は今になって思えば彼も親から何かしらの形で受けていたのかもしれない。頑なな態度だった。高校生は半分大人なだけに、なんだか互いに子供っぽさよりは分別のつくリスペクトを持った関係で作る互いの関係が多かった気がする。でもそうなると見せれない部分もいっぱいあったのかもしれない。

急に半分子供なのに優しかった彼らのことを思い出して、高校生としてもう一度あの時間を過ごし会いたいと思った。記憶の中で何度でも会おう。そしてます今を更新するんだ。

2026年4月16日木曜日

はだか、

 連日稽古が続いていて、どっぷり疲れる作品でいつも帰りの電車の中で少し眠ってしまう。けど、帰って夜寝ようものなら頭が冴えてしまって眠れないタイミングがやはりある。

ひゃー。厳しい。

しかしクリエーションはとても恵まれている。何度もやった場所で段々と人とも打ち解けていって、互いへのリスペクトを感じられる。ここで仕事に打ち込めるというのは幸福だと思う。

一方でというかパラレルに人生が進んでいく。ここ数ヶ月はやっと再び自分のために生きるような時間が取り戻せているのかもしれない。そこから他のこととかも、だ、という感じがする。

取り組んでいることの分野ごとの未来や社会のことを考えると大変さは増して行ってるように思う。

家族に坂口恭平さんの映画を勧めるとそれぞれ観に行ってくれたみたいで、むしろ僕の方がまだ見れていない。色々現実的な情報を手に入れることの出来る社会的なコンテンツは増えたが、それらが手をつけられずにいるアクションの部分を坂口さんはやっているから、本当にそれが大事だ。それがもしなかったとしたら社会や人は本当につまらないものに感じられてしまうだろう。彼の活動を少し覗き見ることで、生きるということが水飛沫のようにうごめき出すこととして現れる。そこに少しでも近付けるような集中や工夫や隙間や熱心や冷静やコツコツを進めたいなー。

また一方でこの毎日という日々や、人生が有限であり、色んなことを思うこと、や自由であること、らが有限であること。

時間はどんどんと過ぎていき、親はとしをとり、今自分が1人であること。明日の仕事があること。 でもいなくなってしまうとしたら、全てのことが消え去ってしまう中にいる。

こないだリハーサルの中で一瞬、もう人前で踊ることがこの時間で最後かもしれない、という思いがやってきてそれで踊ろうとした気持ちが現れるということがあった。生きるということを、引き続き色々な角度から責め立てて見る状況というものの中にどんな風にしていれれるか、そしてそこから何かしてみる、ということに乗り出したっていいのかもしれない。どんどん臆病へとなってしまうよ。


彼が言うほどの人生を棒にふる、は出来てこなかったけど。もっと裸になって、何かあるかもしれないね、




2026年3月28日土曜日

やれ、

 気付けば毎月風邪をひいている。毎月どころじゃやい。治ったと思って油断するとまたやってきて、よろよろと倒れそうになる、何か変なのか、なんだろう。ご飯を作って食べているが充分ではないのか。早く寝て明日の朝早く起きなきゃなのに、2週間ぶりに隣の人がうるさい。朝起きるとまぁしょうがない、という気分に流されて少し体調を眠れないせいでさらに体調を崩してになる感じ。夜中に壁薄いのに1時間も2時間も電話すんなよ、精神的なものかもしれないと情が生まれつつ知ったこっちゃないの板挟みの気分である。

まぁ言わなきゃわからないよな。

2026年3月26日木曜日

あたらしいけん

実家にやってきた。親はボケていないだろうか、体は動くだろうか、と心配もありつつ、でもなんかもうそうやって定期的に会ったりアイディアを考えることも人生のタームに入ってくる。自分ではまだ何もしていないのに。 たくさんの時間があったはずなのに何も出来ずに時間が過ぎてしまった、、のか。そんなことはないだろう。

ポジティブな気持ちが少しだが数日に一度訪れ、それが意識的にわかる、以前はそのことが普通に思えて自覚的でなかった。この気持ちがやってくることこそ、積極的に待っていたいと思うのだった。

雨が降っている。この雨が昔の雨の記憶と交信し繋がったとわかる。 

こないだ集まった人たちと歩き回ったのが楽しかった。確かに藤村くんの言うように人が集まるだけで楽しいだった。組み合わせも良かった、、なんて言いたくないけど。なんでもなさが良かった。

大木さんのオープニングも楽しかった。僕はなんか本当に最近、本番だろうとすっとして、でも準備には追われていて、みたいな状況の人になってしまったが、会場に着くとオル太の人たちや色んな同世代のアーティストたちにかわるがわる会って行って、個別には会ったりするけど、続けてってみんな変わって行ってすごいな、とリスペクトを持って出会えることが嬉しかった。そして少し上の世代の素晴らしいアーティストたちがいて、その人たちにもまた会えたことが嬉しかった。いいアーティストが集まっていて、すごいと思った。もちろん大木さんだからだろう。人それぞれその日の思いは違かったと思う。
僕は自分のタイミングで引き続き考えざるを得ないようなアイディアで大木さんはあり続けるだろうな。会の中でもばちばちっとなる瞬間が起きていて、火花が散る。そういうことを僕は避けていないだろうか、でもいいのだ、それもそれで。そしてそれでも終わらないと思っている、続くと思っている、までが自分のやり方と思いたい。

2026年3月17日火曜日

なりは、

相変わらず、眠れない。下手すぎる、タイミングを逃すとすぐそうだ。困ったな。これをなんとかしないと、よくないことばかりを考え時間が過ぎていく。体感としてはそういうことに支配されていく印象に溢れてしまう。困ったなー。

早く起きるようにしてみようかな。

最近はやめることが少なくなった。若い頃まではやめることが多かったが、いよいよ、続けて食べて行けるようにするとなるとやめることが難しい。ダラダラと続いているし、続けていき変化し続けることこそ素晴らしいと思い始めている。

ともかくポジティブなこと、というか出来ることを考えていかないと、そうじゃない方での印象が人生の中で溢れてしまいそうで、、しかしそれはそれでもしかしたら何かなのかもしれないんだけど。

2026年3月14日土曜日

眠れない

もう本当に勘弁してほしい、こんなに疲れて体調も万全と言えないのに、布団に入っても眠れない、上に今日は隣人じゃなく上の階の人だ。20代のそういうのはしょうがない、と映画で学んだが、もう勘弁してほしい、2日連続で、なんてアパートだ。

それにしてもそもそもがこんなに疲れてるのに眠れない、そもそも公演とかエネルギーの負担のある日に限って調整のうまくいかない日がここ数年かここ一年かありすぎる。単純に自分のせいか、なんかお祓いでも行った方がいいのか、今年のは凶が出たせいか。