2026年8月21日金曜日

じけんど

 困った、眠れない。先週から体調を崩し、夏風邪、エアコンをかけれないと思いそうすると熱くて眠れない。困った、3日ほどそれが続く。朝は調整は出来る日だったのでまぁまぁ、だけども。

にしてもケータイばかり見て、動く体力はそれほどないから。でも夕方振り絞って動く時間は快適ではあった。

今夜、暗闇の中で手探りに潜っていくことの出来るスペースがいくつかあったんだから眠れないことも捨てたもんじゃなく、そして眠れない時間と共に生きていると言える。

明日はワークショップだから頭が爽快な状態で子供には対峙したいところ。

気付いたらインドネシアでもらったエネルギーがそろそろ切れてきた、、

気のせい、と自分で言い切らない限りそうならないからね!自分を変えて生きていきたいなぁ。

でもいい音楽は鳴っている。引き続き。

こないだ観た映画、映画館から飛び出して自転車を漕いで坂道を駆け上がっていく車じゃないけど音楽がその坂道とスピードと相まって私を光にしていく。ウォールフラワーという映画があって、車に乗って無限だ、というセリフがある。まさにあの映画のような。光になる。

ストレンジャーシングスが思っていたものと違ったけど楽しんで見ている。韓国のドラマを教えてくれたインターンの友人は帰ってしまう、もう少し話していたらよかったなぁ。 ウィノナライダーが出て、ロードオブザリングのサムが出てくる、相変わらずサムだ。プロムが出てくる。ほら、僕たちはプロムっていいよねぇーと盛り上がったのを覚えている。そんなことまだ言っている1人だ。スパイダーマンの舞台はニューヨークで20年前にサムライミのを観た時、現実としても素晴らしかった街ニューヨークにフィクションとしての一面をもたらすことに成功した映画だった。しかし今やニューヨークはどうだろう?現実としてはあの頃の輝きは半減してそうと外側から見て思う、そうなるとそこでのフィクションの価値もあり方も下がると思う、スパイダーマンが頑張ることの意味も変わってくる。要するにハリウッドは反対側を描かないことによって、もう一方の想像力を掻き立てた?いえいえ、ハリウッドでなく世界が、だろうか。

こんなことを思う。SNSは反対側を描くことによって世界の現実の広がりを見せてくれる。現実のすごさを、たくさん今までよりも観ることが可能になる。一方で、夢的な、フィクション的な想像というのは見れていない世界があったからその面積に対してエネルギーとして浮かび上がってくるものだったのかもしれない。

子供たちがプロダンサーになろうというのは、現実的で社会的な夢に属す気がしている。僕がダンスを始めた理由もそうだった。1人きりのもしかしたら仲間との秘密の小さな頃の夢、ではなくて、現実を面白くやっていくためのクールなアイディアだった。しかし大人が大変になった時に戻っていきたい時間というのはその前のもっと根本的で想像的な時間の方なんじゃないか。どうかな。

スパイダーマンが昔の友人と再び握手をする時に涙が出そうになる。ままごとを見た時も、ファンタスティックビーストを見た時も。ストレンジャーシングスは子供たちが主人公であることが、今も重要な気がする。子供たちは仲間を作って誰も見たことも聞いたこともない冒険に出会してしまいたい。

プロムのシーン、踊れなかった子、なぜあれほどまでに上手くいかなかったのだろう、と自分のことを振り返る。これは健全になってきている証拠だ、自分の事を中心に考えるという意味において。 振り返れば踊れはしてきたんだ、僕の人生は。ただそれは踊る人だったから踊る人としてその時間が流れていたんだ。あの時はかけがえのない時間としていくらか残ったんだけど。もしかしたらそうした時間単位でしか残っていかないのかもしれない。

何か変な次元に生き続けている、

2026年8月18日火曜日

にーゅみ

右側の首あたりが張るように痛く、そこから熱があり全身に痛みのある風邪の症状は初めてで、今日は色んなことをキャンセルさせてもらい病院に診察してもらいにいった。 こんなに素直に病院に行くのは初めてだったり、予定をキャンセルするに葛藤があったが、いつもよりやっぱりインドネシア帰りのパワーがまだ続いていてそれを後押ししてくれた。

最初、病院の受付の人が冷たそうな人に見えたけどそうならないように解き明かすような態度をしてみようと思った。なんか良かった気がする。でも場合によっては全然相手のが何枚も上手な可能性もある。

処方箋を担当してくれた人の眼差し方に、今度は恋をしそうになってしまう。少し頼りなそうで、でも人を頼りにするのは得意というか、上品さを持ったかわいいピンクの時計をしていて付け爪がキレイだけど少し指先の荒れが生活感を漂わせている人だった。そういうの生活におけるささやかなやりとりにせよ、色んなことが感じられて何かエネルギーも強く働くことのように思った。

関係ないが好きな俳優だとか、タレントだとかがちゃんといたりすぐにあげれる人がいる。僕はずっとくだらないと思って取り合わないでほとんどいたと思うけど、むしろそんな風にして何か欲望を具体的な対象に置き換える、というのはある意味で残酷で恐ろしくて恥ずかしいことでもあるが、そのことを認識するということ、自分で出来ることを把握するというのはある意味で何かになることだろうな、って最近初めて考えた。


これだけYouTubeなどを通して、何かの裏側を話したり、対談を聞いたり出来ても、本当の話の中での面白さに出会すことはほぼないのは関係性が変わらないからかもしれない。情報の話でしかないのかもしれない。坂口さんのを除いてはその印象しかない。

2026年8月5日水曜日

みゅう!い、

 帰り道、疲れとアルコールでほんのり朦朧とし最寄駅の改札近く2人組の1人が座り込んでしまい駅員に尋ねるもう片方の人、改札の外には行けないとわかり、なぜか水買ってきますよ、と反応して急いで重い荷物をがさがささせながら地上の自販機まで時間をかけて水を買いに、そして改札近くの駅員さんの元に戻ると駅員さんが身内の方ですか?と聞かれ、いや違います、と伝え水だけすぐに渡して引き上げる。もうなんか条件反射的に、最近はそういう感じある。コンビニで知らないコーヒーの並びと買い方を別の人に聞いてみたり。完全にインドネシアが、少し前から日本での態度の持ちようを変えようとしていたことを後押し+別の視点から、で支えてくれてる。面白いので引き続き。


今日の本番は色々だった。自分にとって。だからやっぱりめちゃくちゃ大事だった。ありがとうございます。

朝起きると微妙に体調崩れてない?って感じで、準備の時間が色々ズレこむそばから不安に。会場着いて、ぼんやりする時間と準備する時間の整理するような態度がバランスとしてあった。本番前の状態の持ち方自体もきっと時とともに変化していくんだと思う。状態にさえ変化のない人もいてそこでの仕事もあるだろうけど。

やる前は緊張と不安でいっぱいだったけど、やっている最中の幸福な時間を大事にしたいと思いました。子供のように時を過ごしてくれてありがとう(大人がやる子供として)。あとは引き続き、"宇宙"やここからそこへ行く方法を研究していくことだな。





2026年8月3日月曜日

ねむ、

ストレンジャーシングスを見始めた。超能力を使う子が鼻血を出していて、こないだまで見ていた、誰だって無価値な自分と戦っている、を思い出した。

でも、そもそもインドネシアに行ったことでヨーロッパにせよ、日本や韓国や中国などのアジアにせよ、個々が戦うべき相手というのがそもそも違う可能性がありうるんじゃないかとさえ想像するようになったのが今。生きていくことに"お金"が必要と普通に考えたり思ったりしてしまうこと。一体いつこんな法則みたいなことを一部の人類は思い至ってしまったのか、とか、、、

ストレンジャーシングス、まだ始まって少ししか見ていないがどっちかという神隠しにあった子の状況の方は描かれず、探している方の側が描かれる。一方でジブリは迷い込んでしまった側について描いていくようにも思った。


渡辺真里のデビューアルバムが良くて聴いている。1985年に売られたやつ。その当時の人たちはどんな風に聞いていたんだろう。あれらの曲が横にあった世界はどんな風だったろう、、


眠すぎて、、


2026年7月26日日曜日

やひ、

 くたくたになって部屋を見渡すと部屋が荒れている。バンドンから帰ってきて1週間。たぶん忙しかった。そういうのとは違う概念をお土産として持って帰ってきつつも、一方でそのような状況。バイトを入れなければよかった。でも、バイトも楽しかった。インドネシアマインドを取り入れるとまったく展開が微妙に変化するのが手に取るようにわかった。

インドネシアでは一見ツーンとしてそうな人も思い切って話すと、水が流れていくように潤いが生まれることが何度もあった。水を通すように見知らぬ人とやりとりすることは日本に帰ってきても楽しい、ALIVEな感じがした。

急に具合が悪くなる、話題の映画を見た。この映画を撮ることは大事なことだったんだろう、と思うけど色気を感じない箇所もあり必要かな?と思ったり、自分が既に考えているアイディアを出ないようにも感じられるところもあった。映画だから出来る世界の羅列に改めて感動しつつも、映画での現状追認に思われるところも。周りの友人の評価も高く期待の上で行ったけども僕は以前の濱口作品の、これはいい!の方向ではなかった。 でもこの映画と山田五郎さんの訃報を聞いて、"alive"と思った。今は多くの作品を見ても、あんまり感動がない、じゃあ楽しく面白くないのか、と言えば、生きている、が感じられる時間や手応えがあって、このことこそが今は最も面白いです。ということで、aliveでふざけたような言葉が自分に浮かんでは消えるのです。

そしてクタクタになって部屋を見渡して。でも考えてみるのはツーンとすることと寂しさは結局繋がっているんじゃないか。東京とかでは多くの人にさみしさを見る。そしてさみしいのにさみしいと言えない強がりで武装し、表に出てくる人がすごく多く、そのことは悲しいと見えてくる。どんなになにを成そうと、さみしいというのはずっと辛いと思う。すごくても、そういうことが現れてしまう。一方で自分の周りや近い人にこの人はほんとうに元気でパワーを振りまいていると感じられる尊敬すべき人たちがいる。それへの対価はつよい愛情。本当にすごい。


ラジオみたいのを聴きながら、岡村隆史もヒーローだった。コメディアンで言えば武も。ポップでいえばミスチルもヒーローだった。 そのことを思い出して自分が好きだったものを褒めたい気持ちが出てきた。彼らがやったことは今までにないことだった。別にジャンルに依拠したりはしていなかった、とことに今気付いた。

2026年7月19日日曜日

くら、

 日本に帰ってきた。まだバンドンの空気が残っていてくれてる、とても心強い。帰れるところがあるというのはどういうことだろう?

バンドンでは寂しくなかった。みんなが優しくて、そしてキュートで美しくもあった。だから目線や身体の向く方向性や仕草で愛が伝わってくる。それは恋人とかでなくても、家族とかでなくとも。ともすればそれは日本では危険に思われたりするかもしれない。でも惜しみないその領域が存在していたように思えた。だから半分恋をしているみたいな気にもなってそのことが何か愛の予感を感じさせて寂しくなかったのかもしれない。ヨーロッパやアジア、日本だとみんなそれぞれに厳しくてプライドがあって寂しそうだ、だからこそやっと自分を許せるスペースとして恋人がある、家族がある、そんなようにも思えた、だがそうだろうか、と今回の旅では思えた。

そのイメージがまだある。そしてそのことだけじゃないけどいくつかのことが後押ししてくれているのがわかる、向こうにいる時はたてようと思いつつたてられなかった日本でのやることが、ぼんやりと帰り際に見えてきた。自分の生きる理由がもう一回見えてきたような気がする、たぶんそれな気がする、そうであってほしい、長かった。

2026年7月11日土曜日

お、そ

 本番が終わった。と言っても明後日もあるけど。とにかく肩の荷が降りた。心配な体調だったけども、それも過ぎていった。パフォーマンスの後に参加したワークショップの中で誰かに向けて踊るパートが現れ、指名を受け、先ほどまでステージマネージャーをしてくれた彼に向けて踊ることになった。何だろう、たとえばどこかからやってくる"勇気“みたいなものが大人になったとしても知らない何かが運んでくれたらきっと誰もが言わなくても願っていないかと思ってそれをつくろうと出来ないかとトライした。自分なりの日本の風みたいな感じで。日本の風というか、あの辺の風って感じだろうか。すると、帰り際お別れの際に彼から実は自分が書いた手紙というのが別れた両親の話だったから、それを踊ってくれたみたいでありがとう、と言われた。急に胸が詰まった。 きっと彼は僕より年上だが、そういう風にして立場が変わる?という交換されることはずっとあることだろう。

ラジルがパフォーマンスを終えた後に倒れた。sickとみんな言っていた。インドネシアの人はみんな優しくてリラックスしていて、と思ったから急に暗い空気が周りにあってみんなもやさしくサポートしていたけれど。それぞれのケアのあり方があった、僕は少しでも背中をさするか考えたが、わからないと思うことにした。もしかしてツアーの中で絶妙な歴史を持つ場所へ入っていったのが原因ではなかったろうか。

帰りは疲れていたが人とご飯食べるかもしれない、と思いもう少し歩いてみる。ついに気になってたコーヒー、ジェラート屋に入る、が思ったよりジェラートは砂糖と言う感じで美味しくはなかった。が、1人打ち上げだとだらだら過ごす。向かいのレストランでは相変わらず熱唱が聞こえる。宿に帰るとタイから来てる2人のアーティストは相変わらずずっとSNSを見ている。僕もそうだ。沢木耕太郎の時はSNSはなかった。あれはもう50年も前の話か。少なからずさまざまな場所で踊ったリサーチが少しは役に立たないかなぁ。

さて、今日は疲れました、

そして眠れなそう、お疲れ様でした。