韓国ドラマを見ている。プラダを着た悪魔2を見た。
それぞれに恋愛のシーンが描かれる。
何度も映画やドラマの中で恋愛シーンが描かれて、たくさんの人がそれを見る。
なぜ何度も、何度もそれが行われるんだろう。
少なくとも今の自分からしか考えられないけども、そんな風にある人と人が出会い、少しずつ、あるいはいきなり、何かを交わし合い、進んでいく、という一連の恋愛の様子を見れることで何か自分の先のことを想像することが出来る。自分にもきっとそういう時間が訪れるんじゃないか、手触りや質感、イメージとか。それはとてもいいことに思える。
可愛らしくてかげかえのないことに思える。
いいじゃないか、自分に何か良いことが起きてほしい、と思うことは。
誰にも見せれない自分の姿を誰かに見せれるような機会があったらいいな、と思えることは。
くだらないだろうか?
そんな風に人が思うことは、きっとなくならない。どんなに色々ひどくても、その気持ちがあることが減らないで、いてほしい。
ドラマの中の2人を、線を眺めるようにして見て、応援している。
I am aokid
どうもaokidです。東京を中心に活動していますが、夢は大きくもっと色んなところで活動活躍出来たらと日々もんもんとしています。 活動はaokidとしておどったり、絵を描いたり、aokid cityという架空の街を作るというプロジェクトを持っていたり、ゲリラパフォーマンスなんかをしたりしています。
2026年5月28日木曜日
おう、
2026年5月26日火曜日
メッセ
台湾人の子が、あなたみたいよ、みたいな感じに言って韓国のドラマを勧めてくれた。そのおかげでやっと初めてネットフリックスに入った。
そんな風に勧められると嬉しい。台湾の子が韓国のドラマを日本人に勧める、みたいな感覚が面白い。
そしてドラマを見始める。よっぽどじゃないと基本的にはドラマというのは見ようと思わない、というのもドラマというのは大体セリフで成り立つものというイメージがあって、確かに考えられたセリフもあるけども、人から人へ伝えられる言葉はもう少し偶然性によって出来ているのが自然で、そうでないものをわざわざ見る動機がなかなか出てこない。
しかし、このドラマの中のヒロインが可愛い。韓国に住んでのロマンについて想像せずにはいられなくなる。恋をして、そこに季節があって道や家や駅があって、その街並みに生活をする空想。憧れが広がる。
そしてドラマって基本的に人工的にこうまでして"愛".について描かれる。"愛"については多少過剰でも構わない分野かもしれない、普通に生活していくだけだと恋とかはあっても人間への"愛"の想像は難しい。だからみんなドラマを見るのかな?
それはとっても力強くて可愛らしいメッセージかもな、
2026年5月23日土曜日
より、
最近はよく友達と遊んでいる。かもしれない。そうか、こないだ話していて確かに昔であれば飲み会の時間をもったいないと思っていた。だからなるべく飲み会とかもしなかった、全てを作ることみたいなものに注ごうとしていた、だから時間の管理とか生きている理由とかもそこにあったかもしれない。
なし崩し的な部分と意識的な部分がそれとは違う自分をだんだんと形成していったように思う。社会も変化していったのもあると思う。以前であれば飲み会で話されることは無駄のように思っていたが、そうではなくてそこにも人の何かがなだれこんでくると思うようになった。それも含めての“生きている"みたいに思うようになっていった、と思う。前までは友達はいなくても何か向かう際に仲間のように走れること、その瞬間や時間こそが開かれているべきで、その瞬間ばかりを求めていた。他の経営者の人のインタビューなどで最近そのような意見をいまだに言っている人がいて驚いてしまった、今の考えとしてはもっと色んな時間が友達とかとの間にも流れているはずなのだから。でもそれにしては、友達を頼りとしたようなプライベートのことを話したり聞いたりというのは多くあるだろうか、といえば全然まだまだかもしれない。もっと人に話してもいいのかもしれない。弱いところを見せる、とはそういうことかもしれない。 何か時代が以前とは違って、強く見せても結局のところいよいよどうしようもなく難しいところまで来ているのかもしれない。
一方ででも最近の自分のバランスとしては、その時の生きようとしていたモチベーションを再び取り戻せないか、と思っている。過去と現在進行形のブレンドで古いようなでも何か刷新されたような考えを自分の中での進み具合として手に入れられないかなぁ、人生において、と思うのだ。これに関しては周りは関係ない。
生きていればいいのだから、色々周りに比べて出来ていなかろうが、そんなことは関係ないどころか、そんな何かは存在しないんじゃないだろうか?もっともっと複雑に全体を見渡すべきだ。そうしていくと明日や今日や昨日はより全体的に総合的にいつも広がっていると感じられる、というところに辿り着いた。
日本語や言葉を遊ぶこと。
伝えるためだけにそれらがあるわけでもない、今書いている自分がどこかへ行くために使って構わないんだきゃら。
2026年5月15日金曜日
10代 飛
松任谷由美の音楽人生の中で尾崎豊が登場し、森山直太朗も登場した、ということをふと思って調べたらそうだった。
アマプラでゴジラシリーズを見始めた。小学生の頃、友井くんの家で見て以来だ。友井くんはお金持ちの家に住んでいて、勉強もよく出来た。どちらかというと癖が強くて、一部からからかわれてもいた。子供ながらにどうかそういうことが成長の過程で枷になりませんように、、と勝手にどこかで思っていたが本人とすればそういうのはたまったもんじゃない経験として残ってしまうだろうか。友井くんは今はどうしてるかな。一方で山根くんのことも思い出した。山根くんの家にも遊びに行ったことがある。小学生の時はおそらく本当に色んな子と遊んでいたのだろう、どういうモチベーションだったんだろう。3年生あたりまでじゃないかな??3年の途中や4年の途中からグループが生まれていった記憶で、その中における自分を楽しみ始めたんだろう。これも中2くらいまでで別のフェーズに入っていった。
10代の大事さ。
飛行機、
自分を休ませる、ご褒美をあげるのがずっと下手だった可能性がある。ぼんやりはあるにせよ。
こないだは鎌倉へ行き見たかった展示を見てお参りをして、美味しいご飯屋さんにいつもと違う時間に入ってご飯を食べるなどをしてみた。
なんかいい気分だった。こういうこともかもしれない。1000年前の文化の香り残る土地で今の潮風がほんのり届きそうな音のする土地で。
2026年5月10日日曜日
2026年5月4日月曜日
2026年5月2日土曜日
おも、わしろ、く
劇場に通って稽古をしていて、段々とたくさんの人がいる中で働くのが楽しくなってくる。だんだんと見えて来るパーソナリティとか。元々学校が好きだったわけだから、そりゃそうだけど。やっとかおりさんのクリエーションを通して何度も通ったというのが大きい。 人が集まって来ると段々とふざけたり笑わせたりするのが面白くて、そうか、学校でもそれこそが1番大事なことだった気がする。
ダンスとかをまじめにやって、人前で真面目に喋ったり、そういう時の自意識みたいなのも大事なパーソナリティとしてもあるのだけど、その時でさえ、笑えるような方向性はなかったかと、今になって反省する。
それは昔の自分へのリスペクトがあるからなのかもしれない。
ここで大事だと思ったことを公演が終わっても引き続き待ち続けたいな。