2026年5月15日金曜日

10代 飛

 松任谷由美の音楽人生の中で尾崎豊が登場し、森山直太朗も登場した、ということをふと思って調べたらそうだった。

アマプラでゴジラシリーズを見始めた。小学生の頃、友井くんの家で見て以来だ。友井くんはお金持ちの家に住んでいて、勉強もよく出来た。どちらかというと癖が強くて、一部からからかわれてもいた。子供ながらにどうかそういうことが成長の過程で枷になりませんように、、と勝手にどこかで思っていたが本人とすればそういうのはたまったもんじゃない経験として残ってしまうだろうか。友井くんは今はどうしてるかな。一方で山根くんのことも思い出した。山根くんの家にも遊びに行ったことがある。小学生の時はおそらく本当に色んな子と遊んでいたのだろう、どういうモチベーションだったんだろう。3年生あたりまでじゃないかな??3年の途中や4年の途中からグループが生まれていった記憶で、その中における自分を楽しみ始めたんだろう。これも中2くらいまでで別のフェーズに入っていった。

10代の大事さ。

飛行機、


自分を休ませる、ご褒美をあげるのがずっと下手だった可能性がある。ぼんやりはあるにせよ。

こないだは鎌倉へ行き見たかった展示を見てお参りをして、美味しいご飯屋さんにいつもと違う時間に入ってご飯を食べるなどをしてみた。

なんかいい気分だった。こういうこともかもしれない。1000年前の文化の香り残る土地で今の潮風がほんのり届きそうな音のする土地で。

2026年5月10日日曜日

20

 大学の同窓会へ。最初はドキドキしたがすぐに着陸していくみたいに昔の感覚を取り戻していく時間だった。関係性の中で人が見えてくることが面白い。 先生の言葉に授業的な質感があり、それが以前の続きとして感じられた。僕はその当時に感じきれなかったことをそこで得るような感じがした。 三船くんと別れて1人の帰り道が始まるとそこで現在の時間に再び戻っていくようなさっきまでの時間、過去の時間や空間が遠のいていくような感覚があった。


2026年5月4日月曜日

こま

 やばい、明日二回公演なのに眠れない絶望。 まぁなんとかなるだろう、それにしても眠れない原因を突き止めて解決出来ないがずっと続いてる、

2026年5月2日土曜日

おも、わしろ、く

 劇場に通って稽古をしていて、段々とたくさんの人がいる中で働くのが楽しくなってくる。だんだんと見えて来るパーソナリティとか。元々学校が好きだったわけだから、そりゃそうだけど。やっとかおりさんのクリエーションを通して何度も通ったというのが大きい。 人が集まって来ると段々とふざけたり笑わせたりするのが面白くて、そうか、学校でもそれこそが1番大事なことだった気がする。

ダンスとかをまじめにやって、人前で真面目に喋ったり、そういう時の自意識みたいなのも大事なパーソナリティとしてもあるのだけど、その時でさえ、笑えるような方向性はなかったかと、今になって反省する。

それは昔の自分へのリスペクトがあるからなのかもしれない。

ここで大事だと思ったことを公演が終わっても引き続き待ち続けたいな。

2026年4月29日水曜日

こ、の、あ、な、

 眠れないのはしょうがない。でも布団に身体を倒していることでの回復はある。公演が差し迫っていて先週はかおりさんも帰ってしまう前だったので毎日通しをしていて、これが中々ハードだった。時間としては1時間もない作品だがほぼはけたりがない。色んな要素が詰まっている分、色んな身体や思考もその都度調整するので取り組みがいのある作品。

ともかく毎日、いい感じのルーティーンをギリギリに生き延びてる感じ。 

ここ最近は少しだけ気分や考え方も調整されつつあるかもしれない。やりたかったことを周りを気にせずに自分のペースでやろうという風になってきているかも。絵をなるべく少なくとも毎日描けるように時間を作るのも要因かもしれない。絵で具体的に、というわけでもないのだけど、毎日自分が良いと思えることをやっていける、と他のことも出来るような気がしてくるのかも。5月いっぱいはこの感じを引き続き試したい。

5月19日にソロでの取り組みを急遽取り決めた。嬉しい。自分にとっては大事なこと、だ。自分を、やりたいことをメンテナンス出来る。とても楽しみ。人が来るかどうかは不安に思ってしまうけども、それよりは決めたことを届けようと取り組むことが大事とわかっている感じで、そこからやっていけば良いんだと思う。数年前に出来ていて、出来なくなっていたことをもう一回やることから出直す感じ?人と比べたらしょうがないけど、そういう経路を辿ることだってあるんだと思う。人より時間かかってもいい。

2026年4月20日月曜日

記憶

 困ったまためちゃ疲れたのに眠れない。むずかしい。

さみしいということなんだろうか。色々なこと。さみしい時にさみしいというのが難しいということを坂口恭平さんの映画の中でも言っていたかも。 街の中でも誰といるのにさみしいに違いない人、自分のための時間を自分で作れるようになることでさみしいというところから解決になるというような話。 その時間は持っているはずでいたが、なんか変な気もする。

高校の時に暴力的な友達がいてすぐ特定の誰かを殴ろうとしていた彼は今になって思えば彼も親から何かしらの形で受けていたのかもしれない。頑なな態度だった。高校生は半分大人なだけに、なんだか互いに子供っぽさよりは分別のつくリスペクトを持った関係で作る互いの関係が多かった気がする。でもそうなると見せれない部分もいっぱいあったのかもしれない。

急に半分子供なのに優しかった彼らのことを思い出して、高校生としてもう一度あの時間を過ごし会いたいと思った。記憶の中で何度でも会おう。そしてます今を更新するんだ。

2026年4月16日木曜日

はだか、

 連日稽古が続いていて、どっぷり疲れる作品でいつも帰りの電車の中で少し眠ってしまう。けど、帰って夜寝ようものなら頭が冴えてしまって眠れないタイミングがやはりある。

ひゃー。厳しい。

しかしクリエーションはとても恵まれている。何度もやった場所で段々と人とも打ち解けていって、互いへのリスペクトを感じられる。ここで仕事に打ち込めるというのは幸福だと思う。

一方でというかパラレルに人生が進んでいく。ここ数ヶ月はやっと再び自分のために生きるような時間が取り戻せているのかもしれない。そこから他のこととかも、だ、という感じがする。

取り組んでいることの分野ごとの未来や社会のことを考えると大変さは増して行ってるように思う。

家族に坂口恭平さんの映画を勧めるとそれぞれ観に行ってくれたみたいで、むしろ僕の方がまだ見れていない。色々現実的な情報を手に入れることの出来る社会的なコンテンツは増えたが、それらが手をつけられずにいるアクションの部分を坂口さんはやっているから、本当にそれが大事だ。それがもしなかったとしたら社会や人は本当につまらないものに感じられてしまうだろう。彼の活動を少し覗き見ることで、生きるということが水飛沫のようにうごめき出すこととして現れる。そこに少しでも近付けるような集中や工夫や隙間や熱心や冷静やコツコツを進めたいなー。

また一方でこの毎日という日々や、人生が有限であり、色んなことを思うこと、や自由であること、らが有限であること。

時間はどんどんと過ぎていき、親はとしをとり、今自分が1人であること。明日の仕事があること。 でもいなくなってしまうとしたら、全てのことが消え去ってしまう中にいる。

こないだリハーサルの中で一瞬、もう人前で踊ることがこの時間で最後かもしれない、という思いがやってきてそれで踊ろうとした気持ちが現れるということがあった。生きるということを、引き続き色々な角度から責め立てて見る状況というものの中にどんな風にしていれれるか、そしてそこから何かしてみる、ということに乗り出したっていいのかもしれない。どんどん臆病へとなってしまうよ。


彼が言うほどの人生を棒にふる、は出来てこなかったけど。もっと裸になって、何かあるかもしれないね、