夢にまで見た天井を見つめ寝る。でも実際には寝ようと試行錯誤を目を瞑ってするので天井の記憶は刻まれがたい、しかし寝付けない。
夕方、ここから20分の海に向かって歩いていく。注意喚起の看板を抜け、誰もいない薄暗がりの砂浜に辿り着く。日本海。この海の景色は他の国にもあるのだろうか、日本海と名付け(実際には日本から呼んだ呼称に過ぎない)られた海が次第に"日本性"なりここでの物語を帯びて感じられる。どこにそれを感じるのか、作り出しているのかわからないけど。海にさえ名称を付けた。空にはさすがに名前をつけないだろうか。
身の危険を感じながらも少し前へ出ていく。自然とiPhoneを取り出し撮影を始めた。ここでしか撮れない、作れないものがあると感じられた。ダンスはここを作る方法だと思うが、この場合はここを刻もうと映像を作る、映画を作る動機は自分にとってたまにこのようにしてあると気付く。
終えて戻ろうとしたとたん雨が強く降り始めた。海のリアクションとして雨が身体に付き合え、と雨に降られ、傘の隙間から少し体を濡らし、いつかのモスバーガーへと辿り着いた。新潟市的な接客を受け、期間限定のシェイクをすすり日記を書いた。
若い時は子供の頃に反発するような努力を見せる。最近は強く若くなくなったのを感じるとすれば、どちらかというと子供の頃のことを思いだそうとすることからだろうか。自分に今、子供がいたりしたらそんなことは考えずに子供がそういうことを促したり、あるいは反発するように考えないかもしれない。
キャリアのことを考えた時に以前であればとにかくすごい仕事をと、思っていたがそれだって子供の頃の煌めきに勝てないような気がしている。というかそれをもっと突き詰めて考えれば、子供の頃のような煌めきをいかにその瞬間に持つことがまた出来るか、ということに眠れない時間を使って辿り着いた。目先の仕事の不安があるが長い時間の仕事を生きるイメージよりも、再び今生きていることをなんとかしたい。いや、もしかしたらそれ自体の葛藤が昔はよりあった可能性がある。譲らない両者の摩擦をもう少し生きていた可能性もある。世間のママやパパはその狭間でもっと格闘しているかもしれない。