2019年3月22日金曜日

熱狂の中

最近、group_inouをYouTubeで聴いてばかりいる。
いいライブもあって、熱狂の中にいる様が映っている。
どうして見てしまうのか、地球自由!ロスもあるのか。
group_inouの良さはやり過ぎないところだ。
いや、やりすぎて ふりきれているんだけど、それを行っているのはあくまで彼らの意思と身体だ。
楽曲の中でメロディーと言葉ではやり過ぎない。
"日本語"でやり過ぎた楽曲を作ると大変なことになることを避けている。
リスナーの想像力を信じている、いや、人の想像力を信じている。
いや、ちゃんと人をお客さんみたいに扱ったりしない。
"お前"とか"君"とか、だ。
友達としての信頼関係がある。
しかしそういうことをしても日本では有名になりきれない。
それは社会全体がもう1つも2つも大人にならないといけない。
今はやっぱりこびたものを選ぶ人が多すぎる。
そういうこととの戦いでもある。

熱狂の中にいる。
に強く心をまだロックされる。
誰かを殴るように、胸ぐらをつかむように熱くさせたい。
お前の人生なんて知らねぇ、けど熱狂の中にいて目が合う瞬間はあるかもしれない。
ずっと「じゃあ、あとで」だ。

2019年3月13日水曜日

19312

もう今の僕には現実に対応する発表するものがないような、フラフラと町を漂う。
変な眼差しであたりを見回しながら足を前に出し歩いていくから、半分にんげんじゃないみたいに。半分にんげんじゃないみたいだ。

海外にいったらこんなエネルギーの放出の仕方するんだろうか?
このやり取り自体がなんか日本語的なんじゃないかなんて可能性がぼんやりと頭の端っこを漂って、問う、よ。

少し悲しいのは、3月のせいなのか。
昨日の打ち上げの際に確かにみんな口々に泣きたいなんてことを言っていた、夜の光の町並に向かって、人混みの少し上のあたりに向かって。

4月になればこの涙を後ろに追いやってやっぱり元気にアゲインみたいな顔して前のめり、するんだろうか。
恋に期待するんだろうか、故意に。
春、みたく、いわゆる。

知らないけど今はとにかく半分おばけだ。
白い。

2019年3月12日火曜日

7回裏

group inouを聴き始めのは遅く、僕の個展のオープニングで冠さんがDJしていたからそれで知って覚えて聴いてってのが2016年。1月。
その後3月に、すごく好きだった子にフラ!れてしまった時にも重なって聴いていた。その時、浅草付近を歩いていて隅田川を挟んだ向こう側の景色がマグリットの絵のように曇り空に見えた、その時期に聴いていた。

多少その時の雰囲気も中に含まれている、
にしてもだ、今、僕の目の前に映っているのは高校生が、少年がgroup inouの曲を前に立っているエンドロールあるいは映画のオープニングだ。
手にはストレート、あるいはナックルボールの形をすえてこっちにまっすぐ立っている、

体力無限!

みたいな。


今、実際エンドロールみたいに9聞いていて、だけどしかし駅のホームのライト見て、やっぱり光について。光がどれくらい人を動かしているのかも知りたい。音、光、などについてこれから。

野球場はきっと宇宙から見たら面白いに違いないか、特にナイターは。とか思ったり、する。