2026年7月1日水曜日

潜りサメ

 バンドンの連日のリサーチで疲れている。環境も違うし、何よりここ数年の体力や身体の変化もあると思う。相変わらずうまく眠れない。 眠れない、とずっと言ってることと、朝を楽しみに起きる日が長らくない、ということが浮かんだ。適当にしか起きれないのを反省しつつ、許容して長い時間が経ったけど、どうしたらいいんだろうってぼんやり思っていて解決しないままに来ていたけど、言葉をもう少し出してみると、明日の朝を楽しみに起きることがないことに気づいた。考えてみるともう少し前、10年前は少なからず明日の朝起きるのが楽しみな日というのがあったはずだ。イベントの前とかどこかに遠出する日とか、誰かとのデートとか。

ここ数日、そのことを思った。

バンドンのレジデンスでリサーチが目的ではあるが、一方で僕が人生において考えなければならないのは、どうしたら生きていきたいと思えるようになるか、だ。もしかしたらまぁそれなりに生きていて楽しい、というのはあるしそれで来れてもいるけど、それでも上に書いたようなことが続いていて半分な感じがずっとしていて、それはずっと疑問だ。

眠れなくてほんの少し今気づいたのは、この眠れないは、ただ眠りがうまくいかなかった興奮して寝れなかった、以上に根本的なことなんじゃないか。

どうしたら明日の朝早く起きたいと思えるかを、もっと真面目に自分のこれまで生きてきたこととかを含めて考えなければいけないハードコアな時間になるのを避けていたんじゃないか。

坂口さんで言うところの鬱に中途半端に向き合わない、徹底的に向き合うみたいなことじゃないか。ずっと避けてる言葉に、死ぬ気で、という言葉が自分にある。それがさす一般化を強く嫌悪している。その分、死ぬ気で、というようなこともなくなっていった。それをやるならそれのオルタナティブを突き詰める必要もあるが、、


汚い部分も含めて根本的な自分の救われなかった欲望について気持ち悪くても人から嫌われようとも何かを失おうとも考える、向き合う必要があるんじゃないか。非常にずっと何か悲しい。

こっちのカフェでやりとりをした女の子が可愛らしくて、気持ちがすっと透き通っていった、それだけでなんかやり過ごしていけるような人生、は自分で思ってる自分というより誰かから見た自分なのかもよ、もしかしたら、というやりとりさえ忘れていなかったか。

SNSを見ているとそこで交わされる欲望でまるで街が出来ているような錯覚をしてしまうけど、自分が今接していくことで作られていく現実というのが確かにある現実。それは明日に含まれてる。

結局たぶんいけるところまでいかないと明日がやってこないんじゃないか、そしてそれに外は関係ない。だから潜っているんだろうな。潜っていかなきゃ、もうダメかもよ、、