2026年1月25日日曜日

か!

 さっきまでジムキャリーのケーブルガイを見ていた。電気を消すと急に白かった光の閃光がどこかへ収束するように吸い込まれていった。

そんな中こうして携帯を取りだし文章を書き始める。

BUGで展示をしながらずっと絵のこととかを考えている。本当はBUGの絵を進めながら、家では別の絵を描きためようとしていたがそれが難しい。一月は体調を崩してしまっているのもあるがそれにしても気持ちが中々進まないのだ。変なメカニズムがあるんだろうか。いくらか立てていた目標は(あまり積極的とは言えないが)達成したので1月はもう休みにあてようと思っている。とは言え毎日何かしら少しあるのだけど。

BUGでの展示は、少しだけまだ他で聞いたことのない領域に少し足をかけたはずだ、と思っている。もしそれらが今後チャンスによってはより振り切れるようであれば、ここがどうであれ、閉塞感を勝手に突破出来るような気でいる。周りが感じる閉塞感と僕個人のものの差はあるだろうし、それはどうしようもないのだが。色んなことをサボらなければ、そしてもう少しエンジンやエネルギーが必要だとしたら、今までもっとやっていた、出来ていた物事に感動し、それを自分でやってみる部分とあとは現実的なところでも面白がれるかどうか、だ。

最近、中々色々大変で、どんな風にして、生きていることの意味を保たせればとか、思ったりもするんだが(これは山田玲司とおっくんの会話の中で山田さんはやっぱり元々文化の人だから世界のせいの部分も言ってたがおっくんはいやそんなこと考えない人がいて、普通に生きてる、って話をしてて絶対僕も最近は後者だと思う。んだけど、自分の傾向として、、)そういう中で考えているのは、

学生の頃はエモさが有り余る一方、現実的にクリアすることが本当は流される分大事だと思っていたが、今はどんどん現実的になる、ダンスも踊れば踊るほど現実的になっていく、そして現実的な素晴らしいやりとりにも触れていくから。

でも歌を聞いた時とかに起こる、吹く風とか、な効果が少し弱っていったとしても、だからこそそれらによって生きさせてくれる何かがあるかも、って今思いたいのだ。


2026年1月22日木曜日

よし、

 ということで誕生日を迎え、また一つ歳をとった。全然年齢を気にしてしまう。

誕生日の日、憂鬱な気持ちで自転車を押しているとCHAGE&ASKAのことが頭に浮かんできて、ASKAのことを考えた。きっと、ASKAだったらどんな風に生きるか、と不意に思った。最近なのか、前からなのか、気がついたら自分なりのみじめさみたいなことの直面している時間がちょくちょくあることに気付いた。

そのことを友人に話すと、そんな風には見えないともちろん言われたし"みじめさ"というのも平均的なそれがあって、ある人たちにはしか訪れないようなイメージもあるが、そんなことはなくて、人それぞれの惨めな気持ちというのはそれぞれのレベルでそれぞれにあるんじゃないか。

僕の場合は、最近あまりにもそういう気持ちがここ数年はやってくることが多かったから、ASKAがやってきて、そんなことを鼻で笑い飛ばすみたいなイメージが出てきた。僕だってそんな風に生きれるかもしれない。それはSAY YESが不意に流れ、流れ切る、人生をそれで生き切るみたいなことが出来たら本当にそれはかっこいいと思う。輝いていてね。そういう人がすでに他にもきっと広いからいるだろうけど。

あと、こんなことも思った。僕は意外にやるところはやるけど、やらないところは本当にビビってやらない、そのストックがそれぞれにあると思う。でも思い返して見ると、本当に今更で気付くのが遅かったけど、やってみて後悔していることの方が断然少ないと、思った。その日はすぐには帰らずに回り道をして、そのことは確実に良いことだった。そういう奴のこととかね。よし、

2026年1月15日木曜日

さみしさをつきやぶる石

 京都から帰ってきてもうすぐに東京に染まってしまう。京都では体調を途中崩して、パフォーマンス以外の時間は休息にあてる感じで他の人ともっと交流をしたかったのに残念。だけどそれを上回るくらいに短い時間でも本当にみなさんからの素敵なエネルギーをもらえて充実したものになっていた。

たくさん電動自転車を使って京都市内を移動し、少ないながらもまわった神社や展示などでもらった光とか。体力ある時にすぐにケーキとお茶でも取っておけばよかったと思うし、栄養も意識的に取っておくべきだった。初日に前入りして入ったホテルのテレビで船越桂特集を昔の再放送でやっていて、その時に撮影が捉えた光というのも素晴らしかった。

テレビの流す時間というもの自体の、もの性が、その性格ごと浮き上がって見えた。

そんなんで後半はほとんどホテルのベッドに横になっていて、あんなにもホテルと仲良くなるのも中々ない経験だった。

ずっと体が横になって眺めている景色はなんだか横に流れている海や連なる山のイメージみたいにぐったりと置かれて感じられたままだ。

そしてずいぶん、昔の憧れていた時の京都の記憶がそこにはあった。もう戻らない京都や大阪のそれぞれの記憶の中での京都の憧れみたいな、キラキラした光と風の吹く京都の記憶。

どこかにも書いたけど、その時みたいには感じれないのだけど、今の自分はその時の自分やその時を思い出すことと一緒にいれるということが出来るんだ人生は、と思った。そういう風なことも積み重なっていく。死ぬまではそれらを連れて行ったり、もしかしたら忘れたりするんだろう。

最近、どんどん自分の中での昭和が消えていく、少しずつ色んなことが手を振ってさようなら、といなくなってしまう。小さい時に親しんだものや、作品だとか音楽だとか人だとか。昭和をギリギリ生きていたし、平成はその後だったからそのながらの中を生きていた。世界は大変な一方だけど、これはこれで寂しい、すーっと少しずつ色んなものがここから去っていく。人間は勝手なもので、人が死んだり、何かがなくなったりも、単線で繋がっているわけじゃないみたいにして、変な回路でのそれの気もする。全く勝手な寂しがりがやってきてるわけだけど。

僕もしっかり本当に宇宙にまで届くような電報を打って、せめて寂しさを突き破れないかな。

2026年1月7日水曜日

京都

 僕は今、京都にいて少し前乗りしたホテルが思ったよりも良くて早く寝ようと思ったけど絵が盛り上がってこの時間になった。 少し今年はお酒を毎日飲まなくてもいいかもしれない、アルコール中毒にはほど遠いが考えてみればもしお酒を飲まずに晩御飯からのぐたった流れを抑止することが出来ていたら描かれていた絵や読まれていた本などがあったかもしれない、と今更思った。それは悲しいので、そのことをどうか考えてみてください。

ホテルに辿り着くと船越桂さんのテレビを再放送でやっていた。1993年だ。クロスロードをミスチルが発表した年。彼が42歳というのでそうか、彼は村上龍や坂本龍一と近い年だったんだ。最近、昭和や平成が失われるような怖さがあって、昔のものを改めて摂取しようとしているのかもしれない。

テレビがその時代の空気を掴んでいて、撮影のことを虫取りみたいだと思った。

一通り終えてベッドに倒れ込むと、ここはかつて普通にマンションのひと部屋だったようなホテルの部屋で、2つベットがあるのに1人しかいないことを寂しく思えた。20代であればそうは思わなかったはずだ。ただベットは一つよりは2つ、2つよりは3つあるだけ楽しいと考えていたような気がする。

京都駅に辿り着き、美しい京都タワーを見上げて、あの頃は京都に憧れを持っていたのを思い出した。

寂しい気がするが、20歳くらいの自分と一緒に来てる感じもする。

2026年1月1日木曜日

20260101

 海まで走ろうかと思ったが最近の体力や調整を考えて難しそうだと思って行けるところまでいったら引き返してくることにした。川沿いを初めて走ってみると真っ暗に近いところがいくつもあり、人工の工場や会社の建物と生い茂った緑が混ざり合う景観に出会し、適当な街灯のあかりや地面の砂利が相まって意識を明瞭にして走ることが難しく、感覚を揺さぶられる身体的負荷の面白ささえあった。何かを見ようとか得ようとか感覚を研ぎ澄ませよう、とかいう力が働く感じは久しぶりだった。

コンビニでトイレを借りオロナミンCを買い、店員のおじいさんに道を聞いた。おじいさんは話しかけると優しく、チャーミングでもあった。1月1日から働く彼は一体どんな人生を過ごしてきたのだろう、と勝手に想像しようとする。

走りながら今年のこと、将来や未来、本当に私がやりたいことなどを考え整理しようと思っていたのに中々難しかった。得れたことの多くは走った、ということだと思う。それでもいつも思うのは正月の静けさの中を走れることが出来る。いつもの東京に比べて静かな東京を過ごすことが出来る。この静けさの美しさは他に変え難いと思う。うるさくて忙しいのを知っている分、まるでみんなで行うパフォーマンスみたいだ。謎に揃ってしまったような。霊的な美しさがある。

1月に38才を迎える。今考えると二つのことが浮かんだ。年をとって良いことは走りながらも思っていたことだけど、いくつも思い出のレイヤーが増え、それを重ね見れることだ。あの時の、あの時の、で場所の意味が変わってくる。悲しいことも楽しいことも。10年前と違う見方で観れるし、10年前の見方のことも眼差している。 悪かったことは、38才であればそれまでの過去の中で想像していた38才像と現実の違いに打ちひしがれることだ。もし30才であればそれまでに想像していた像だけど、そして20才であればそれまでに想像して像。でも37年分で想像していた像と比べてしまうことの辛さがある。もしかしたらそこからの解放という大転換点も人生にはあるのかもしれないが。


実家でとっておいたというテレビ番組をいくつか見せてもらう中で子供たちの生きるをテーマにした大阪の学校の取り組みが紹介されるものがあった。その中で子どもたちの話を聞いていると、どうしても泣いてしまってダメだった。昔はきっと泣かなかったのに。すごい先生たちがいるんだと思った。子供との関わりが増えたのもあるかもしれない。ある時は大事に思おうと思ったり、ある時はめんどくさくなったり、こっちの調子もあるからその上で対応する。でもその対応の幅は、大人と接する時以上に振れ幅がすごい。たぶん、こっちも色んな気を使っているんだろう、自分の中の子供を呼び出しながら翻弄され対応もしているんだと思う。そのことによって取り戻される何かや、突きつけられる何かがある。 逆にじゃあ、大人とはなんでそんなふうに付き合えなくなったんだろう。

その後は老人たちも子供たちもその辺の人たちも集まる施設のテレビを見て、バランスをとろうとした。

生きていくのは大変だ。夜の郊外を走りながら案の定、ベンチで休むホームレスの人を見かけた。わからないけど、誰とも話したくない関係を持ちたくないくらいに疲れることってあると思った。それでも生きているには、いちど外れたりというのもそれはそれで大変そうだけど、そのようにするというのもあるかもしれない。

でも人とのやりとりの面白さは本当にある。人と接しているとまるで形が無限に変化するみたいに何かが動いているから。疲れようがなんだろうが、それでも動くと互いが動き合っていたところから人が始まってる気がするから。

2025年12月29日月曜日

まま、

 今年もあと3日だ。最終的には少し先の未来を含むようなアイディアに辿り着いた感じが制作の面ではあったと思う。それなのに、色んなチャンスやフランク遠征などがあったにも関わらず、なぜか全く経済的には微妙なところになってきてしまい、自分の管理能力のなさを痛感するのは何度目だろう。それなのに改善策なども立ててない。

久しぶりにクラブに行った。15年経ってクラブに行くというのは意外に想像だってしていたけど、あの頃とは違う景色になってきた。クラブから外へ出て家への道で見る風景はどうしたって違うものに映る。

それが何か言い当てられない。けど少し何かかはわかる気もする。ままないなぁ、、


2025年12月28日日曜日

回復

 くそぉー、年末なのに、そんなのは関係なくだろうけど絶望的に、夜帰ってきて動けない。出来れば考えたいこと、手を動かしたいことがあるのに、もう本当に疲れてしまって、適当に携帯を眺めてしまったりして時間が過ぎていく。連絡しなきゃなこともほうっぽってしまって、疲れて、ダメで。今の所風邪ひいてないのが救いで、2年前と昨年のひどい風邪を他の人たちがそれをしている?って感じの状況に感じる。だけど、今日は寒いから油断禁物だ。

もちろん、きっとみんな疲れている。でも固有の疲れを言うところもあっていいかな、と思う。

回復したい、、

朝起きる直前がいつも"絶望的"な気分だ。こんなところにやってくるために生きていたのだろうか、とか、人生がままならなさすぎる、、