2024年11月8日金曜日

2種類

 世の中にはいびきをかいてぐっすり寝る人と、それを聞いて寝付けなくなる人の2種類がいる。

と、言いたくなるが実際はもっとこの時代にあって多様なグラデーションがあるのだろうが現在の自分のユースホステルでの状況がそうだ。もうユースホステルなんだからしょうがない。養豚場のように所狭しと部屋に並んだ2段ベットの様々なところからいびきが聞こえてくる。特に自分の上の人がひどい。昨日もひどかったのに、今日はわざわざ昼寝をします、と一言言ってきたくせに、さっきまでがちゃがちゃ自分が寝れないからか音を立ててたくせにすぐ今度は寝つけていびきをかきはじめた。もう、たぶん自分が寝れないのはこの状況だけのせいじゃないのはわかってきたが辛い。

家の上の階の人のデジャブじゃないだろうか。人に眠るのを侵害されて体調を崩すルーティーンはなんとかしたい。

はぁ、明日もハードだ。

2024年11月7日木曜日

川空

 一瞬にして寝れない条件が成立する。全く寝れないわけではないのだけど。昨日もずいぶん疲れたのに寝れなくてそれで今日は広島の到着を遅らせた。帰りの新幹線も自由席にしてみようと思う。

コロナくらいから甘えが始まったように思う。なんかもういい加減、やめないといけない自己憐憫みたいな気分がある。それが眠れないことにも繋がっているんじゃないか。それでもこないだの稽古期間が終わる頃にはどうしても疲れて、呼吸も結構難しいという状況になって流石にそれは"頑張った"んだと思うことにしてほんの少し自分を労って、控えていた仕事も無理をしないと言い聞かせてやった。どれくらい効果があったか知らないけど。でもまたこうして寝れないと結局また疲れが溜まるし、どうしたものか。

20歳ぐらいの頃はいい日記を平均して書けるという時期があって、そのいい日記とは、何か読んでいて書いていてそれにドライブしていくような感じのあるやつだった。それがいつの間にか、いわゆる表の活動で頑張るのに対して頑張らない、媚びない、勝手にやる、適当な場所を確保しようと思ってそういう場所としてやっていった。

今は色んなバランスが崩れている。見渡すとぜんぜんなんだか良いことがないように思うし、人生の指針を見失ってる気がする。これはダメだ。でもそうじゃなくて、目の前のことが良いと思う瞬間はたくさんある。だからその時間を生きようとするところから始めて(すでに)いけばいいんじゃないか?という理屈が立ちつつある。これはポジティブ。これで、ここから、こうして抜け出せれるかなぁ。

帰り道、銭湯から歩くと夜道には色んな誘惑がある。めちゃ広島の闇の繁華街。神社を通り過ぎるとそこには流れる水は腐らない、と書いてあった。流れ続ける、止まってると思ったところにまた流れていく。

広島のヒントをもらった気がする。ところで広島を歩いているとなぜここと長崎に原爆が落ちたんだろうと思う。川を見つめているとそう思うんだ。川には空が映る。空に川は映らない。

2024年11月4日月曜日

いったん、

 以前住んでいた家で最も好きだった時間は寝る前にゴミを捨てに行く時間だった。そこで少し静かになった街の、人が作った家や街灯や道路がそこにあって夜空がそこにあって、そこで吸う風呂上がりの空気が美味しかった。

最近は今の家でゴミを捨てる時に歯磨きをしながら降りていく。今夜は星も見えて風も美味しかった。下からマンションの構造を見上げるのもいいと感じた。

人生について考えると、最近はネガティヴなことばかりが思われるけど。たとえば家族とかを見るととても羨ましく思う。そんな風に誰かの人生に関与出来ることで始まることがあるんじゃないか、と勝手な一方的な妄想があって。だけども、みんながみんな、新しく家族を持つわけではないし、今日だって色んな人に会った。クリエーションだって数ヶ月人と過ごし、1人で作る何かだってポイントで人と関わる。すでに色んな人生が錯綜しているのだ。その人生さえ、認めないことになってしまう。それは変だ。

そんな時に子供のことを考える。子供の時に見た光景のことをどこか感覚的に覚えていて、あの時のことがきっと今生きている子供たちの中にも起きているのなら、それがどこかでまだ会ってない人たちやもう会ってる人たちでそういう子供がいるのは知っている、彼らにとってその何かいい光景が起こっているのならそれでいいんじゃないか。そして、つまり回り回ってどこかで繋がり、それが錯綜しているなら、もうそれで素晴らしいんじゃないか。

さっき、手を動かしながらそんなことを思ったようだ。ひとまず。まぁ明日は明日。いったん、

2024年11月2日土曜日

残りの稽古もあと2日。このタイミングでまた上の階の騒音に悩まされる。音楽をやっているのに低音が地面に向かうことを知らない人なのかもしれない。一応そのこともビルの各部屋に届いた紙に書いてあったはずだけど、そのことが何を示すかわからないのかもしれない。いや、単刀直入にバカなのかもしれない。
なんだか最近知らない人にクレームばかり言ってる気もする。よく言えばちゃんと意見を言っている。
自分の状態がそこまで良いわけでもないのだし、あんまり強がれないので、しょうがない。
そんな中でこないだのドラッグクイーンのショーは間違いなく勇気をもらえるものだった。
好きなものを好きと言って何か輝いてみせる姿。それはどうしたって表舞台!と言われるような場所ではないが、そもそも多くの表舞台なんて、与えられるべき人に与えられてはいないじゃないか。
それでも彼らが立つ舞台で起こることに対して、それを信じたい。色んなことは置いておいて、今それに感動する、そういう瞬間が起きていた。
それは今の自分にとって強く励ましで鼓舞でケアであった。まるで裸にされるようにしてダサい自分のまま舞台に上げられるような経験だった。

上に書いたように必ずしも与えられるべき人に与えられない、ということがこの年になってたくさん見かけるようになってきている気がして。年をとると未来に希望を見なくなる理由の一つはこれも一つかもしれないですね。

2024年10月28日月曜日

ポップコーンを久しぶりに食べた

 少しずつ体調が良くなってる気がする。先週より良い。稽古の中で、筋肉が落ちたり、どこか心肺機能が下がっているような感覚でそれが足の踏み込みにも、関係しているようで浮ついていた足の踏み込みが再び実感を得ようとしつつあるかも、、だから今日の帰り間際はステップを少し試す喜びにあった気がする。

夜、そこまでは頼まれていないことを、前のめりでテキストを書いていたら寝る時間を越えてしまったし頭も冴えてしまった。それで寝れない。しかし、家のオーナーに電話したおかげで上の階の騒音がなくなった。これは本当に大きい。

でも身体は油断禁物だ。やはり変な感じは引き続きある。






2024年10月23日水曜日

うるさい

 新しくリハーサルが始まった。とにかく人の情報量の多い現場で、エネルギーが必要でこのずっと壊している体調で大丈夫かと不安だったが、なんとか1日を乗り越えたものの、やはりそもそもの基礎体力は低いままで、肺とかの呼吸から何か厳しい感じがありつつ、なんとか2日終えて、ご飯をみんなで食べて帰ってかなりギリギリな感じ。

しかもその帰り道に、隣に座ったおじさんがやな予感するなと思い案の定、ふとした時にポロッと何か言ってきて僕らへの何かかと思ったら反対側に座った女性に対してのいちゃもんを僕に相談するように言ってきて、つい条件反射的にカッとなって自意識過剰だと言ってしまった。大丈夫?なのかと状態を不安に思ってしまい、そこから色々な話をしようと持ち掛ける方法で女性から気を逸らそうとしてみる。でも心を開いてくれないし、中々別の方へ行けず、途中で降りてしまったのがよりによってその女性が降りていった駅のホームで、危ない可能性もあるんじゃないかと不安で扉のギリギリまでおじさん気をつけて、とむしろおじさんを気遣うそぶりを見せる、、不安だ。大丈夫だろうか、あの女性は。

帰ってからおじさんに対して失礼だったかと少し反省もあるが、でもまぁストリートで社会なんだからそれくらいの偶然はありだろう、と思うことにする。酔っ払っていたのもあるけど、同じ時間を生きているんだし話しましょうよ、と言うと嫌だよ、出会い方が最悪だったんだから、とナイーブなことを言っていて、それはこの状況においてなんてマジョリティ男性の特権なんだ、と思ったが、これはこっちの前提なのかもしれない、、そんなものは彼にとっては形成されようがないペースなのかもしれない。

そんな知らない人に何か言ったくせに、クソ疲れて寝ようとしたらクソ上の階の人がやはりくそ音楽の重低音が響いてきて、もう一瞬でカチンときて寝れなくなってしまった。この体調を悪くした日の直前も上からの騒音で疲れているのに寝れないのが原因の一つであったんだから、結構立派な被害者だ。ぶん殴りたいくらいにイライラしていて、一度下の入り口で会って挨拶した時にユーモアまじえてそのことについて触れた話でもしようかと思ってしていないし、直接うるさいとも言いにいけてないし、管理会社にも許すようにしてまぁいいか、とクレームを入れられていない。本当は寝れないのはその都度信じられないくらい自分の中の危機的な怒りが起きている。社会的な信用なんて知らねえよくらいに、この眠りを妨げることに対して怒っている。

あのおじさんに対してアクションを踏み出すくせに、自分の半径のことが出来ずにいるわけだ。終わってますね。言うようにしよう、

2024年10月12日土曜日

 ば