2022年6月7日火曜日

鮮やかな、事

 雨が降っていてスタバでアイディア出しをしていた。今日は結構調子良くて、めどなんか立ってないけど前から考えていたミュージカルではなくライブでもない音楽と都市を題材にしたアイディアをスケッチ含め走り書きさせた。そうそう、好き勝手やらせてよ、なぜみんな同じようなものを作るのか。もっと色々なものを見て別の形式を探すべきだと思った。改めてそういうことが思えたのも久しぶりでよかった。

整骨院で少し肩を調整してもらい自宅へ。

早めの夕食を作るべく準備にとりかかる。ふとフジファブリックを流してみる。なんか一回聞きながらこないだのwsでなぜ、普通に音楽をかけて踊るをしなかったのか、と思い始めた。なぜ最も自分が最初に出会ったことを紹介せずにダンスの抽象性とか、ダンスはこんなことも出来るよ、とかそういうのは二の次だろ。今ここにいるということ。気持ちの高揚や、音楽と関係を作ること、なぜそういうことを小さい受講者たちと共有する選択を忘れていたことが悔しくて泣けてきた。遠くまで行ってもう2度と会えるかわからない人と会うというのにあまりにぼんやりしていた。なんというか大人側になっていた。 こないだのプレゼンだって大人向けのトークのために青春を低く見積もって話した。僕は馬鹿だ。 大人との仕事のために動くな、若い人の鮮やかな時間を少しでも作る手立てとしてとにかく接する、率直に向かう術の方を忘れていてはどうしようもない。世間や世界に笑われることを恐がってる人たちに、笑われてもいいじゃないかと、笑笑に行くようなことでいいじゃないか、丸腰で。何かを履き違えてる。そこではもうダンスだってどうでもいいじゃないか、生きていることの方がよっぽど大事だ。子供に向き合えるように生きていれてるだろうか、今日描いた絵は少し良くなっていた。子供に戻るために絵を描いていたんだ。絵を売って仕事にしていくために、よりも前にさ。 人に笑われたり、置いてけぼりにされることを恐れるなよ、子供でいようとすることを恥じるなよ。あの時の事たちに失礼な気がする、人じゃなくて事が自分にとっては大事なんだ。きっと。

ほんの少しだけ、戻ったかもしれない。明日も明後日も思い出せ、そして今を生きろ、

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