2022年8月23日火曜日

たどり着くまで

 京都に向かっている。久しぶりの夜行バス。何しに行くんだっけ?友達に会いに?何かをしに?練習がしたいと身体が言う。でもきっと涼みに行きたい。

京都には色んな思い出がある。でも住んだことはない。色んな瞬間があった、時代とともに。 若い時の記憶。 

しかしどうだろう、また夜行バスだなんて。少し高いお金を払ってらくらくシートへ乗るにせよ。でもヨーロッパとかでは全然こういうの普通。日本だと急に年齢を重ねると体裁の方を大事にする傾向がある。貧乏な国なのに。しかも対日本の人に対していじっぱりだ。

これもいじっぱりかな?パーキングエリアにはたくさんの車。高城剛に感化されるところもあって自分は都会しか住まないから車はいらないと思っていた。でも車のスピード、車で行ける道や街、そういったものが見たくなってきている。歳を重ね、日本語への興味みたいな感じで。きっと海外とは違う情報をなぞることが出来る車での道の手触り。人を乗せてどこかへ行くのもきった素晴らしいだろう。

向こうに見える車は空っぽの車内で運転手がトイレに行ったのを待っている。自分のことを待っている車はまだない。経済がもう少し豊かになったら車に乗れるかな、心の優先順位を変えれば車に乗れるかな。

夜行バス、真っ暗な車内を駆け巡る光の線はもうほとんど忍び込んで来なくなった。いよいよ暗い道路へ入ったのだろうか。夜行バスはずっと暗闇の中をこっそり進むんだよね、車内の人たちは小さな子供のように寝かされてさ。こっそりと忍び運ぶんだよ人々を。だから若い時はこのままどこか夜空や銀河まで運んでくれないか、と想像したものだ。それかカーテンをめくり上げて過ぎゆく夜景にその夜空や知らない暗闇へのイメージを重ねてさ。

うまく寝れるといいな。

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