昨年は絶不調だったかもしれない。何かをするモチベーションのありかが迷子になってしまっていた。だから何かをするにせよ、深いところから水を汲んで来れないような、そういうガシッとした感じがなかった。なんとかこれまでの経験とかで応答していたような気がする。だから何かこれをしなきゃ、と夜中とかに思い立つ、その根拠のないかのように見えたそのとっかかりの切実さみたいのがほとんど感じられず別のことに悩まされていたんだと思う。
たとえば自分は踊るために踊りをしていない、とりあえず踊っておくし、とりあえず走っておく、とりあえずとにかく書いていって、描いていって、歩きに出かける、見る、読むをとりあえずやって、人にもとりあえず話しかける、とりあえず知らない世界をもう少し覗こうとする、とかしていくと互いに反応し合ったりしてヒントみたいなものに出会える。これをやりきることでこれを達成するではなくて、全てが緩やかにつながっていく気がする、というささやかな感じを頼りに始まる。だからこれだけだとうまくいかない。世界が開いていないとうまくいかない。世界が広いことに対して適当な想像力をあてることで始めようとすることで風穴が開くとか、とりあえずその風穴から風は通っていることを考えたりだとかしていく。 すごく今多分年齢に焦っている。身体も動かなくなってきているのを感じたり。でもその事実は動かせない、そ!でも動く時間を作ったりじゃあそれに応じて別のことをする、もしかしたら互いにそれが引っ張り合うかも、を想像し取り組む。それくらいしかできることがない。悲しまない、楽しむ。明日も色々やろう。
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