新潟に何年振りかに行った。でも2年前に弥彦村にはいったけどいわゆる田舎は10年振りとかかも。小さい時の記憶と繋がっていて田舎の家に帰るのがいつも楽しみだった。そこの家の生活の感じ、陽当たりとか風通しとか美味しいご飯や台所、炬燵のある居間とか。書き出すとたくさん出てくる、それらが輝いて自分には感じられた。もうそこは取り壊しを待つ段階で、でもそこにあったから興奮して何枚かの写真を撮った。自分がもう少し良いカメラを持って時間をかけて、その家での時間を思い出すようなショットを撮れたらどれだけいいだろうか、と思った。自分にとっての幼少期の記憶の美しさはそれを越えられるものがないくらいになぜか大事だ。それはここ10年とかで強くなってきている気がする。とは言うものの、家族の方では色々あるので僕がそう見えていた、というのは切り離されてそうある、という感じなのだが。
早くして亡くなってしまったいとこにも2年越しでやっと会えて挨拶をし、老人ホームに入ったおばあちゃんにも会った。おばあちゃんは相変わらずおばあちゃんだったが少し可愛らしくなっていた。少しだけ僕が知らない方に傾いていったわけだ、要するに歳をさらに重ねてボケの方に向かっていっていた。でも覚えたり忘れたりをその短い時間の中で繰り返して話していた。コロナの対策もあり、部屋ではない無愛想な部屋で喋る際に出て来てしまう変な間はそのせいでむしろ埋まっていく感じもあった。おばあちゃんの生け花と自分の絵がどこか繋がる感覚があって、その場で持って来たお花を絵にしてプレゼントをした。飾ってくれるといいな。思えば大事な時にいくつか書いた花の絵の思い出がある。
結構な時間が経ったのでそろそろかなぁと思って切り上げて出る時に、なんだか自分で別れを切り出すようで、残酷な感じがしてきた。10年近く会いに来なかったこととか。そしてもしかしたらこれで会えなくなるかも、ということ。おばあちゃんと話しながら改めて家族は難しいと思った。それぞれに人で、それぞれの人が考えたいことや欲望というのはバラバラでそのせいで迷惑を受ける家族の人もいるし、でもそれが歳をとってしまってボケてしまっても自然に残ったものによってその人が見えてくる、というか。
それでも僕にとっては良くしてくれた人で、おばあちゃんは基本的には自分にやることがある人で暇のない人だったけど、もう少しあの時かまってあげたり一緒の時間を過ごすことが出来たけどいつも遊びにいったりめんどくさがって一緒の時間を過ごさなかったことが、今回も別れを自分で切り出す時にずっと同じだと感じられた。ずーっとそうだったなぁと思えて泣けてきてしまった。ごめん、というか。でもどうにもそれは出来ないことだったような気がする。すれ違いは、すれ違いのまま。帰りはギリギリまで送り出してくれた。なんだかもう会えない気もしてきた。そうするとこの思いやこの関係の構図はずっとこのままなんだと思えて、自分のいる場所がわかって泣けてしまった。
その後にいとこにあった。家族というのはすごいと思った。
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