2025年6月26日木曜日

寝蚊

 眠れないのは顔の緊張も関係していると、顔の緊張を緩めようとふにゃふにゃした顔をイメージする、目を閉じながら。たまに半目を開くと向こうの部屋の窓から差し込む夜の街灯の明かりが少し眩しいと思う。

うとうとしているといつの間にか宮沢賢治の書いた小説の世界の中に入っていた。ここはどこだろう?やたらと静かで、黒い色の街だ。さらに街の建物のいくつかは窓とか扉さえついていない、すーっと立っているだけのなんのために作られた建物かわからない。そう言えぼくが描いた絵の中にも建物を存在させたものの使われ方までは想定していない書かれた建物たちがたくさん登場する。逆に言うと何か建物に見えるだけでただそこに平べったい棒のように存在している何かなのかもしれない。絵には実はそういうところがあるはずなのに、そういうことを面白がられるずに描ける人はどんどん描き進める。

最悪なことにここで蚊が登場する。まだ刺されてないから夜刺されたらこの夏最初の蚊だなぁ、蚊は本当に嫌だ。特に寝る前のは。隣の家の夜中の騒音くらいやだな。

2025年6月13日金曜日

列車

 最近ひどいのは風邪ひいたまま本番に突入してしまうことで、今年になっておそらく毎月風邪ひいてるんじゃないかと思う。ひどい風邪ではないし、薬でグラつきを戻すのも根本的に良くない気がして薬も飲まない。

昨日だいぶ良くなったのでこれで治るかと思ったら今朝、むしろまた少し悪くなってて全くわからない。明日からまた小屋入り、そして今夜眠れない。

僕の身体のせいなのか、星かなんかの気まぐれなのか。色々そういう感じ。

フランスから帰る時は改めてアイメイクマイライフ。と意気込んでいたのに、いつの間にかほとんどゼイメイクマイライフになってしまってる。ぎりぎり考えや態度はねじ込んでいるけど、せめて自分でもう少しハンドルを切っている状態に取り戻す予定だったから。

そして明日からゲネでそれで本番だけど、前だったらそのことがドキドキで不安で楽しみだったのに、この気持ちは結構どこかになくなってしまっている。今、踊りの表現とかが非常にやれることとして現実的だ。だからなのか?前よりは奇跡とか魔法みたいとかを信じれなくなっている。あるあは魔法とか奇跡みたいと人々が思うような舞台を観る時、ほぼそれと同時に自分にとっての嘘や信じられない態度を見つけてしまうようにもなっているとも思う。ストリートで踊るのを重ねてしまったことも大きいのかもしれない、結局出来ることというのは非常に現実的だ、というのが今の考えだ。そしてだからこそ色んな人が踊ったりするべきで、その現実的な中で色々を互いに交換し合うフェーズ、みたいなものへの夢はあるのかもしれない。そう考えればしょうがない、じゃないか、と書きながら思った。

とにかく明日よくなれ、良い体調で集中して挑みたいだけなのだ、


そして苦役列車、日本映画久しぶりに観た。まぁ良かった。良い日本映画で少しホッとした。山下監督だった。森山未來さんだった、役者としての森山さんは決まって入るから良いのだろう、と思った。踊りでは決まりきってしまうと、向こうから入ってこない可能性もあるんじゃないか、そんなことを考えていた。逆に言うと映画は決め込んで、決め打ちでバーンっていうのも良いんだな、と思った。

だから意外に一般的なダンサーの人の傾向というのも決め切っていて、良いのかもしれない、とか勝手なことを思う。

西村さんの本を読まないと、って思うものだった。とにかく。映画ってよりは西村さんって人がこの現代においても気になるって映画になった、それも意図でしょ?と。



2025年6月7日土曜日

良い

 やはり案の定寝れない。今日は本当に疲れた。火曜に本番が終わり、疲れきっていてその日は興奮して眠れなかった。数日経って寝れたり寝れなかったりで、今朝は少し風邪気味で起きた。筋肉痛みたいに、数日後に風邪ひくみたいなことなのか、昨日は全く読めない感じで朝起きると少し寒いみたいな。

なんとか調整して色々飲んでフィルに臨んで頑張りきった、、、のか?正直測り切れることではないんだけど。人を前にしてなんとか応えようとし続けたということか、それはなんか頑張ったとかだけでなく、自分の方にもきっと人への欲望がある、とかそういうのもあるんだろう。今日は色んな最近の友達や、懐かしい友達の顔にたくさん会った。終わった後の挨拶は少ししか出来なかったけど。顔がたくさんあって嬉しかった。嬉しかったなぁ。こないだの公演も色んな人の顔にとにもかくにも会えたことがとても嬉しかった。自分の気持ちとして、なんというかエネルギーそのものをぐびぐび飲むような感じ。めちゃくちゃ美味しいジュース。この1週間ラッキーだな。

踊りの反省はもちろんある。音楽の中で踊るのは、それぞれの人が観客として聴きながら踊っているわけだから、1人突出して踊り続けるというのは言わば強引なことでもある、といつも思ってる。現に嫌だった人もいる。でもそれは半分は表現としてしょうがないことだ、全員を納得させるのは無理だ、政治と同じだ。なんならむしろ言えることは、確かにストリートで踊ることをずーっとここ数年していると本当に踊りによって人が反応してくれて一緒にいる感じが強くあるから誰にでもとにかくこの感覚を知ってほしくて踊ることを勧めるわけだ。しかし一方で踊りも音楽も暴力に違いない。つまり人に殴ることを教えていることでもある、あ、、そこまでは意識したことなかったけどやっともう逃れ得ない側面を知ったという感じかもしれない。

明日が不安だ。

頑張ろう。というかしっかり寝れなくても休もうとして、明日が来たら楽しもうと思う。良い考え、