2025年9月4日木曜日

きょう、りゅう

 ジュラシックパークを観に行った。人と観るジュラシックパークは楽しく、よく笑いを堪えた。きっと1人で見ていたらもっとこういう映画は感傷的になってしまう。でも、なんかその感傷的な気持ちを再び受け入れようという気持ちが込み上げてきているのが最近だ。変な話だが、どうしたってそこから自分が出発してやってきたようなことを思い出してきている。自分がいる場所というのはどうしたって、そこだっていうところがあったんじゃないか、という気持ち。

今回のジュラシックパークはホラー映画のように観客を演出で面白がらせる。でもそれも何か昔へのオマージュなんだという見せ方がある。以前よりもキャストに魅力がないとか感じるにせよ、それでも少しずついいところを見つけていく。スカーレットヨハンソンの顔を見ながら東京の映画を思い出していた。随分時間が経った、映画の中にいる時間。

僕は随分このアメリカ映画に色んなものを見せられたんだ。そして彼らは、誰も思いもよらないアイディアをまさに映画にしていったんだと思った。まさか恐竜の映画を通して、子どもたちが寝る時にどんな夢を見たのか、ということを想像した。誰も見たことのない夢をまだ出来るかもしれない、ということについて考えなきゃと思った。そこに誰もいないかも知れない、ということが怖くてなのか、ずっと出来ない。見えていることをするのが自分の仕事だろうか。そういうことをまた少し思った。

0 件のコメント: