2018年9月25日火曜日

色んな人

今日は色々な書類や企画の進めなきゃいけないことに手をつけながらも代官山UNITの方にだいすけさんに誘われるがまま、遊びに行って来た。フランス月間みたいなのをやってて日本とフランスのミュージシャンをそれぞれ紹介し合うようなラインナップ。今日のパーティーは以前の盛り上がりのあったムンパレのパーティーを少し思い出させるような感じもあった。世代も近いからかな、シチュエーションも良かったんだと思う。音楽のライブ、ただ誠実にずっと聞けていたかと言うとどうだろう?ゲストで入っておきながら外に出たりもして。
でもいつも同じ振る舞いであるのが良いとも限らないとも思っている。色んな温度が存在すると思うしそこを行き来しながら息をしてはいている、とも。それはなんかうまく言った、みたいな感じでもう少しきっと工夫して言うべきなのだけど。
レオ今井が良くて彼の歌い方は本当にのめり込んでいた、向井秀徳のダンディズムを何かが越えてずっとそこにあった。これだ、と思った。最近の僕にかけていたやつかもしんない。むさ苦しいまでの表現がそこにあった。
強くいたし、強くやっていた、そこにある音楽がそこまでやられることをokしているのをわかっているみたいに。

最近、赤瀬川原平の本読み終わって50年も前の本だけどそこに描かれていたのは青春だった。振り返れば青春なのかもしれないとか、久しぶりにまたそんなこと思った。だから今をいっぱい生きているともしかしたら未来に振り返ったらなんかそんな風に映ることもあるからって意識でやっぱりもう少しいやもっと走れと、10年前の僕ならもっとストレートに言ってるはずだ。
今日のパーティーだって、いったいなんだったのか、日々のぼこぼこを生きていく。
帰り道、関川くんにとても本質的なことを投げかけられて現在の位置から自分なりのラリーを返すもその弱さは自分でも知っているから、そのもやもやと一緒に帰宅した。
3人ともメガネをかけていた。村上くんも入れたら4人か。
そんなことを思っていた。
いや、違う。
最後のライブの中でフランス人のバンドの歌詞が映写されてて美しいと思った。
歌われる詩ではなく、文章が投影されてそれを音楽で持って聴きながら目で流していく。話が観客を最後は連れていくみたいで、ライブの強さではなく、物語のような歌詞に導かれて思いがけない場所に、やさしさに辿り着くような感じで会場をあとにした。

ライブを見ていながら色んな人のことを自分の視点から眺めていた、考えていた、見てはいなかったけど想像して色んな人が一緒に頭の中で生きていた。
その時はそんなこと思わないけど、最高でもあったんじゃないか、色んな人が今いた。

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