2018年10月12日金曜日

six truth tree

今日は12時に起きた、、いや布団の中にいて実際に起き上がったのは12時50分くらい。さささっと朝食をすませる。最中にはテレビで手話講座をやっていたので、少し見る、司会の男性は口ではしゃべらないがひじょうに新鮮だ。
食器を片付ける、洗うのは早いと思う。
の後、ギターの練習をするのはバイトがない日のルーティーンだ。これでいくらか時間をつぶせたらやっと外に出れるということにしている。
電車に乗って中原佑介の評論集のNo.6を読んでいると車内に2名違う女性が入り込んできてどちらも香水をつけているようだ、1人はドアの側に立ち、僕はそのドアに最も近いというか裏側にあたる席に座っていて、もう一人は隣の空いているスペースに座った。この場合は匂いはどうなるんだろう、と鼻をこらしてみたが、わからなくなってしまった。匂いは空気中で混ざって中間の匂いとして嗅ぐことは出来るのだろうか。AとBがあり、それらが混ざって中間を出すだろうという推測はどんな条件のもと立ち上がるのか。電車にゆらながら次の駅へ向かうようにそのことを忘れ、ボナールの展示を観に行った。
今回は壁が広くとられているからオーディエンス導線主義じゃないため1つ1つと対峙しやすい作りだ。
美術館に入るまえ、憂鬱な雲が六本木界隈を上空でまとっていて、今日はなぜこんなに遅く起きてしまったのかという後悔と今までのそんな日のレパートリーについて大学生くらいの頃からのことが思い出されてしまって、そこで思ったのはそういう日の色というのはとても覚えているし、そのこととたとえば楽しいことがあった時の長い飛距離を感じて、いいなぁって思う絵があることを思った。
暗いと感じた時の色と、良かったと感じた時の色のAとBの混じることのことを言っているのか。
美術館をあとにし、六本木駅を目指す。ストレートの小道が出来ており、PIZZAやブルーボトルなどの店がある、おまけに神社まで。街に染められるようにして、歩いているなぁと思った。どこにいても、絵の中にも街を探してしまう。


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