2020年12月28日月曜日

NIGHTLESS

 最近、寒いからなのか、タイミングを逃すと一気に夜眠れなくなるな。 電車の中で本を読んでいるとあんなにすぐ眠くなるのに肝心な時に眠れない。考えてみればこのブログのほとんどはずっと眠れなくなったタイミングで書かれることがほとんどなんじゃないだろうか。 SNSをスクロールして川のようにずっと上流に昇っていくかあるいは下流に下っていくかのようにして眺める時間が多すぎる。むしろ本物の川をぼんやり眺める時間にとって代えればいいのに。 "代えれば"はか"変えれば"かどうか使い方によく迷う。間違えたまま使っているのかも。

年末だけどやっぱし今年を振り返る人が少ない、区切りをつけれない、というのもあるだろうし区切りをつけれない人たちのことをそれぞれが気にしてるからなんじゃないかな?とか考えてみたり。

誰か達が強く勝手だった、からコロナが広まったというわけではなくて。それぞれの持ち場でそれぞれでそれなりに周りが変わってく中でパフォーマンスは仕切ったとも言えるんじゃないだろうか、こればかりは小さな反省を見つけて言いつけるなんてことが難しいように思える。 いやもっと、状況が厳しい人の態度は違うかもしれないな。

今年は表の世界があると仮定したら表の世界で相手を確認し、クリアな視界で生き切るような活動が難しかったかもしれない。みんな、半目状態で見回しながら手探りだった。その中でどれくらい知らないに出会えただろう。 もっと知らないに出会いたいという欲求が高まって来ている。これは欲望だ、欲しがっていると思ったら、ミスチルの新しい曲でも欲望に関してがサビに来ている。 新しい、知らない、と出会うときの通りいっぺんじゃない言葉を用意する必要やこれまでのことが通用しないということにもっと出会わなきゃいけない気がする。退屈な気がする。 欲望の存在を確認することも結構大事かもしれない。誰も自分ではないのだ。一方で誰もが自分であるんだけど。大丈夫でしょう、自分に言い聞かせるように。

そう結局、最後そこに結びを付けたのはホームアローン2をクリスマスに久しぶりに観た。もしかしたら友人などもいなくなってもホームアローン2の映画を再生することで引き止められることがあるんじゃないか、取り戻せることがあるんじゃないか、ボールを返してくれる壁になってくれることがあるんじゃないか、そう考えてみることが出来るように思ったんだ。物というのは人と違ってパフォーマンスの可変が毎機会ごとにあるわけじゃない、そう考えるとやっぱ人だけじゃダメで、何か物がある必要、作られる必要がきっとあるはずだ。僕がその人の相手をしてやれなくなっても、作った物ならその人の時間を有意義にしてくれる可能性があるかもしれない。 だから最悪、人に見捨てられても物を作ることが引き止めるかもしれない。などを考える。 むしろそれくらいで考えて物を作るべきかもしんない。

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