今年しかないと思って生きるようなことが最近少なくなった気がする。最近とかいう前は歳をとると、というフレーズをつけそうになったけど、最近の尺度を伸ばして広い範囲を指す言葉として最近を使ったのだけど、それさえすでに遅し、というか蛇足で、このせいで態度への覚悟を濁らせる。
言い切る速さとは本当に永遠だなぁ。
永遠の使い方が昭和的だ。ランボーは昭和より以前のくせに、多くの日本人にとっては翻訳の結果、昭和のものとして受け取られてしまったんじゃないだろうか。
いずれにせよ、今年しかないと思って生きることを目指せるのはどの瞬間だろう。誰も見ていないところか、言い切れるところを探さないと。
すたっとそこからも消え去る
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