2025年1月14日火曜日

年前の

風邪ひいてしまった。あと少しで治りそう。今回はひょこっとしたやつ。お風呂で洗いながら、それだって風邪をひいたことは人生で100回もあるだろうか、と考えた。人によっては一桁か。人によってはほんの数回しか風邪をひかずに死んでしまう人もいるだろう。長生きすれば何回か風邪にかかって、かかるうちに治し方を覚えていくというのもあるかも。
人生の中できっと長く生きて良いことの一つにたとえば夏とか季節を100回迎えられるとか、があると思う。これだって温暖化や住む国によってどうかわからないし、日本に住んでいてそれでこの国の色んな部分が結構好きになってきてるからそういう風に僕がなってきているのもあるかもしれないけど。


中学生くらいからアブリルラビーンやエミネム、エアロスミスとかグリーンデイとか音楽を聴いたり、映画もスナッチとか8mileとかオーシャンズ11やロードオブザリングを観るようになって、それで高校は音楽はやはりブラックアイドピースやオアシスとかボブディランとかセックスピストルズとか聴くようになって映画もドキュメンタリーとかも観るようになって、それで大学に入るとRENTとかミュージカルも観るようになって、ブロックパーティー聴いたりそれだけじゃなくアートもアンディウォーホルとかバスキアとか観るようになってもちろん映画もスパイクジョーンズとかヴィムベンダースとか見たり、してさ。本とかもポールオースターとかからミランダジュライとか。ウディアレンとか。そんな中でキラキラしていた好きな映画や音楽群の傾向というのがあって、それらに魅せられるともう胸から掴まれて、ここじゃない気が強くしてくる。誰もわかり合えないような感じ。きっと今ここで誰も友達でないなら海の向こうでわかり合える人がいるかもしれない。それはブレイクダンスの対外的には絶頂の時期でそんな中、絵や言葉を強くかくようになっていた。だから絵はどうしてもただ描かれた絵じゃなくて、自分にとっては逃げ出した先にあることであってほしかったんだと思う。だからそういう絵になっていったかも、少なくとも自分にとっては、という絵がいくつか描けるようになった時嬉しかった。みんなが美大でうまかったので教育を受けてこなかった自分は恥ずかしかったけど仲の良い友人にはスケッチブックを見せた。そうすると意見や喜んでくれて、それが今の自分を作っている。
大学2年まで一緒だった全く厳しくも相棒のような友人が先にワーホリでイギリスへ渡り、大学3年の春休みに合流しヨーロッパを回った。
それから帰って大学のインカレの飲み会に参加した時に退屈でしょうがなかった。
大学1年の時のニューヨークでは右も左もわからず浴びるだけ浴びるという感じで大学2年で行ったベルリンでは全てがそこにあったと思った。それで大学3年の秋に今度は世界大会でハノーファーに行った。ベルリンに行った時、なんとなく世界大会でまたドイツに来る気がしていた。世界大会は自分にとっては最悪で、ブレイクダンスの祭典なのだから全世界のブレイクダンサーが集まる夢の場所なのにここではきっと誰とも何も共有出来ないだろう、という思いで過ごした。それは全体的に失礼過ぎた。
コンテンポラリーダンスやアートを選んだ理由はどことなく海外と近い文脈上で話せる分野と思ったからだった。統一されていないやり方で説明できる事があるかもしれない、という希望があった。
大学を卒業後も色んな活動があって、海外のことを気にしていた。そういえば高校生の頃に見たスパイダーマンシリーズも強烈で、きっといつか自分もスパイダーマンになるんじゃないか、と高校生にして想像していたんだ。
いつのまにかアベンジャーズが始まりご覧の通り内輪ノリみたいにした映画を続けていて、夢を見る事が、新しく何かを描く事が難しくなっているように感じられる。僕が歳をとっただけで若い人が見たらそんなことを思わないのか、それともやっぱりアメリカが、社会が描く力を失ったのか、わからない。
テクノロジーやSNSが発達してみんなそれを使って表現をするようになった。しかしそれらの表現は自己承認との関係性が近すぎて、何か作る発表とコミュニーケーションが結びつき過ぎていて、創作の部分での夢想や想像を抱え込む余地がないことが多い。人はなんとかして誰かと話すために表現し作っていたことが、容易いコミニュケーションの方法を開発したことによって、その中間が削り取られてしまったみたいに。
そういうことなのか、わからないけど。


ここではないどこかで、ほんのり想像出来るようなあそこで、きっと何かが起こるかも、という風な気持ちが懐かしくなっている。だって最近あまりに現実的に過ぎると思う。何かそういう気持ちを取り戻してもみたい。