こんな時代だからこそ、そう、ロマンチックになりたいものだ、ロマンチックにやりたいものだ、ロマンチックを探したいものだ
世の中には現実的な情報ばかりが流れて、まるで夢を見させてくれる暇もなく隙もなく、僕らは余計に、この流れに急かされ目的地へ運ばれていくようだ。
今、どんな風にしてロマンチックをとってこれるだろうか、どこにロマンチックはあるんだろうか、草むらの中や、ビルの建物の横に側面に貼られているのだろうかなにかてーぷなどによって。
ロマンチックって言うても、たくさんあるわけだ。きっと、僕なんて1%も把握してないだろう。
ロマンチックはきっと、なにかきっかけや多少のヒントがあれば、あるいはなくても頭の中で、想像力をかき回せばきっと浮かんでくるだろう。
日本人だから、アラジンのような展開なんてありえないとか思ってはいけない。いろんな可能性はありうる、
そのはず。
僕らの頭は、宇宙とつながっているかもしれない。
その頭の中の、レーザービームを宇宙までとばして。
そして、話は少し戻るけど、ロマンチックってのは少し恥ずかしいところもある、こっそり持っておくのも一つの手である。
また、ロマンチックとは恋人たちだけの特権でもないだろう。
また、エッチなポイントが人によって違うようにロマンチックなとこも人によって違うのだから、人のについては多少許容するのが必要かな。
ぼくらのロマンチック度を高めるためにも、今すぐにでも、はじめるべき。これは妄想でもいいのだ、走り始めること。また人によっては物思いにふけってもいいだろうし、ひとによっては指をパチっと鳴らすことで魔法がスタートするかもしれない。
総理大臣は、どんなロマンチックを持ち、貴乃花さんはどんなで、横山さんは、山口さんは、伊東さんは、どんな風にしてやっているだろうか
なにしろロマンチックのことをこうも語るなんて恥ずかしいことなので、ここに静かにコソコソともらしておく。
これは誰にもゆずれない
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