2013年4月11日木曜日

夜、

高校生の時、よく電車で通う40分の道のりを窓に顔を寄せてMDを聴いて、流れる風景を見ながら想いをはせていたのを思い出します。 ロマンチックというか、なんかそういうのにドラマを感じます。 今みたいにこんなにSNSとかはやっていなくて、たくさんのことの裏にある情報を知っていなくて、想像を巡らしたり不思議がったり。 今程、みんな携帯の画面に顔を照らされることもなくて。 なんだか、電車での行き帰り、そんな光景や振り回されるだけの仕事に疲れきったような顔が並んでいる中で、 何のために生きているんだろう、ってぼんやり思います。 君は一体誰なんだろうって。 そんなことはやっぱり問題じゃないように、世の中はとまらないベルトコンベアのように人々を次の場所に運んでいるイメージがあります。 皮肉を言えば、その流れる作業を見て神様は止まらないシステムこそ美しい!と思ったりするのだろうか? やっぱり戦争で負けたから、日本人はもっと働かなきゃいけなくなったのかなぁ。とか根拠のないことも考えてしまう。 全然、話が中途半端に飛ぶけど、 絵をもっと進めていって、立体的なものも作って、建物か教会みたいなものを作りたいと将来。 もっとつまり自分でもう一つのある世界を作っていきたい、って考えてる。ってかやりたいんだ。 あと、このblogでなく、もっと今後こうしていきたいんだ、とか考えや方向性を発信していくメディアなんかも作ろうか、作れないか、とか最近久しぶりにそんなことを考えている。 考えって大事だと思う、日本だとそんなの理屈っぽいとかやってからにしろ、とかすぐちゃちゃを入れてくるけど、考えも持たずにやってることも多々あると一方で僕は思っていて、そういうのが多すぎるし、逆にそういうのに埋もれたり、考えがないのが普通すぎて、考えがあるのかどうかも人が判断出来ていない、評価されない、ってのもある。考えっていうのに嫌悪感があるんじゃないのか、とさえ思われる、考えってある意味で政治性だとも思う、こうこうこうしていきたいっていうのをやっていくわけだから。 僕はむしろこうこうこうしていきたい、っていうのも全然ありだと思う。 だから、自分が自分の信じたやり方で勘違いでもともかく考えてこうしていけばいいかもしれない、これにはきっと力があって変えてくれるよそれを!ってやり抜きたいんだよ。

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