2020年4月7日火曜日

最近、ぽろぽろ

書こう、書こう思ってついぞ書かずやっと書く。書く、って書くのは好きだ。以外に誰か届ける人がわかってる時とかは書いてみる、とか書こうとか、そういう言葉が選ばれる状況が多い気がする。 書く、は自分で完結するから潔い。自分のために踊るみたいで、自分のための積み木とか工作みたいな時間になる、、、なるは言い過ぎだけど。そんな役割さえ書くに含まれそう。

思い出ぽろぽろを観た。こないだストリートビールでみりちゃんにおすすめされたのだった。映画はおすすめしたり、おすすめされたりして簡単に見返せることが好き。すぐにその人観た人と同じく新しくなって話せるから。
こないだ各地の空港にピアノを置いてるテレビ番組の中で確かオーストラリアのどこかの空港のピアノでこの思い出ぽろぽろのエンディングを弾いてる人がいて、その人はピアノの調律師だったかな?美しい曲です。
サビのような曲。たくさんそんな瞬間に立ち会いたいね、抱きしめるような時を。

思い出ぽろぽろは、小さい頃にあったちょっとした機微を捉えている。一般的な家庭が描かれているかもしんないが、その中でもある子供として傷付くことや家族のこと、友達とのことなんか。思い出したなぁ。

それらのこともそっか映画になるよな。それらのことは、ふと年齢を重ねると確かに訪れてそこから今の自分の事を見ていくような感じがする。自分の中でのそんな行き来が起きてくるし、一方で他の子供なんかと接したりして、子供と大人だけじゃなく、子供の時の自分もそこにいたりしながら、いれることだってあるかもしんない。
そうするとすごい、一回しか生きてないってわけじゃなくなりそう。多重的に生きてるみたいな。
小さい頃、広尾に住んでいて、大学を卒業したくらいから散歩したりよく歩くことが増えて、そこを歩いてところなどからまた思い出すんだよね。
絵描いててもそうだけど。
踊ってて思い出すのは思春期以降で、絵描いてて思い出すのはそれより前の頃のことなのかな。

やっぱりまだ寝る時間がこれくらいになっちゃうのそろそろ変えないとな。

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