明日が本番でちゃんと睡眠だ、と思ってホテルの布団に入るもいびきが聞こえ嫌な予感。結局少しだけ眠りの入り口で彷徨うも引き戻される。 いびきで嫌なのはいびきをかいてる本人の状態はもちろん眠っているということを込みで想像されるのでなおさら行き場のない。でもそんなこと言うと世の中には不公平で行き場のない思いが無限に溢れているのとに行きつき、明日僕の本番に支障が出ようとそんなことは全然たかが知れている1つの事例に過ぎないし、とにかくそうであっても良く働くことこそが大事で、そんなくじを履くくらいいつもあるとか思えたらいいのか。それにしてもそれを割り切って眠れないことを引き受ける態度をころっと切り替えられないかと思い書くのを始めた。
初めて眠りのための音楽というクソプレイリストをかけてイヤホンで聞く。すると少しだけそのいびきと音楽が一緒に演奏されているような錯覚が、そのいびきはもちろん安いイヤホンを越えて聞こえてくる。でも少し集中して聞いていくと、へんな世界観が像としてみえてくる感じもする。たとえば、竹藪の向こうが少し明るい朝を待つような光でそこをどうやら竜が通り過ぎていく。竹藪の上を今度は竹を倒してそれを地面として歩くようなイメージ。
昔、ブログを書くなら文書を書くなら鼓舞するような何か焚きつけるとか、躁的なものを書くというアベレージを目指していたんだと思われる時期があった。その時はそれを書くような毎日を同時に切り開けるようなそういう制作の態度がたぶんあった。たぶんあれた。 しかし段々とそうじゃない日もたくさん出てきて、それでもその筆を許すような判断があってつまらないとるに足りない文章も書くようになっていった。これはなんか坂口さんで言うところの躁鬱の鬱の部分の文章かもしれない。
でもなんというかなんでもどうでもくそいいんだ、みたいな領域を誰にも侵されずにありたい、ほとんどが読まれなくてもそれでも、自分と話すためにも書く、どうしようもなさ、を全く閉じない形で実は垂れ流れてる、みたいな形であればいいとか思って書いている場所。
クソプレイリストが行ったことのない砂浜へ連れて行ってくれている、コピペのようなカモメの鳴き声だろうか。いつなんだろうそこは。じゃあ僕だって適当に思い出のたとえば直島の砂浜の記憶をコピペする。
休みが必要だ。休みなのか、戦いなのかわからないけど、一回ゼロみたいなことが必要だ。耳も目も悪くなってしまった気がする。自分のことをよく知らなかったら。
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