おーい、そこじゃないぞ、と向こうのほうから聞こえてくる。違う気がしていたけどそれは自分が変になったか、歳を取ったせいか、とかそんな風に思っていたんだけど。根本的にそうじゃなかったじゃん、違和感が湧いてきているのはずっとあって、それに気付くしかなく、そこからいつもまた始まっていたんだったと思う。旅をするみたいに。だからその声が向こうに僅かにでも聞こえた気がしてそれは渇いてうれしい。
山の向こうのほうから。という言葉があるけど、そこで具体的に山が指されるのが嬉しい。言葉を知って使うということが私やあなたが生きている環境とかを再び照らす、その中に生きていることを遠くから間接的に知らせようともしてる、そんな風にも感じられないだろうか。
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