昨日は上の人がその後すぐ音楽をやめてくれたおかげですぐに寝付く事が出来たが、今度は起きるのが早くなり4時半に起きてしまった。そこからほぼ寝れず今日はかなりしんどい一日で、身体もかなりボロボロになってしまった状態でライブに臨んだ。色んな気づきをもらえるライブだったと思う。
帰りにやっと、待っていた時間が、おそらくずっと探していた時間にほんの少し出会えた。
現実に嫌だと思い、空想を生きる瞬間が少しだけ生まれた。めちゃくちゃ久しぶりに訪れたそれだった。
どうもaokidです。東京を中心に活動していますが、夢は大きくもっと色んなところで活動活躍出来たらと日々もんもんとしています。 活動はaokidとしておどったり、絵を描いたり、aokid cityという架空の街を作るというプロジェクトを持っていたり、ゲリラパフォーマンスなんかをしたりしています。
あまりにも治らないので、地べた音楽祭には間に合わせたいので、迷いに迷って中途半端に練習するのでなく家の近くのクリニックへ行った。50人くらいが評価していて満点のところ。 行ってみると信じられないことに院内でトムウェイツがかかってる。誰の趣味なんだろう。受付のおばさんだろうか。先生も丁寧で、これを1日続けるのはハードな仕事だろうと思う。薬を受け取って夜は六本木へ。ライブ後にジェームスとみほさんと落ち合い蕎麦を食べに行った。ジーマにむかし教えてもらったお店だった。
最近は夜眠れないのを改善したいのでベッドに入る時間を記述してみている。実際に布団に入ってから眠れるまではもちろんバラバラだけど。
ジェームズが人生は難しいから、という話をした。みほさんやぼくを巻き込みながら。
うわぁっていうことに今更出会っている人生だが、他の人もう一回り先にそれを経験し、これから地を固めていくんだろうか、とか周りを見ながら思う。
でも知らないよな、人間なんて、
嫌な予感がする、、、上の階の人が音出しを始めている、、やれやれ
トーキングヘッズのthis must be the placeにハマるのは遅く、大学の先生でもあった飯名さんの主催するマムシュカというイベントのDJタイムで突如流れ出会ってしまった。別のアルバムは持っていたがなぜかこの曲に、この有名な曲にはまだ出会ってなかった。その時アサヒアートスクエアの空間は軽い熱狂が一瞬ふわっと空間を軽くした。人々がさっきよりも勢いをつけてふわっと踊り出した瞬間に出会した。
その後、ショーンペンが主演する映画の予告編に出会う。この曲が翻訳された歌詞が歌と同時にテロップで流れてきた。映画のタイトルは、ここが帰る場所、だった。
ふわりとこの曲が流れてきてわたしにいう。少し歌詞を変えていう。言ってきている気がする。少しずつほれで現実に帰っていく。
ここはthis must not be the place帰る場所ではない。
さぁ向こうへ。さぁ向こうへ、と。
こっちではなかったのか、と。
またやり直し。
いつのまにかすっかり帰る気でいたんだ
おそらく たぶん。
ここじゃなかったのか
いつのまにかすっかり帰る気でいたんだ。
早いよ、疲れた?あともうひと頑張り
久しぶりにスタジオを借りて練習が出来た。稽古と言いたくなさもあるのは、自分の出自へのリスペクトかも、小さいw。この3日間の軽いランニングのおかげで体力が戻ってきてる気がする。回復。あとちょい。それで今日は踊りたい気持ちもあり、中々移動もあって1日の最後に練習をいれたものだから疲れるけど、でも踊ると楽しいと感じられた。良かった。久しぶり~!って感じ。元気になると楽しい。
元気であり続けるのは難しい。
Twitterでパレスチナの動画が流れてきた。原爆美術館やはだしのゲンで見るような子供の焼死体、それでも止血しようと足を縛る大人。あんなに小さい子供に足を強く縛りたくなんかないはずなのに、死ぬよりも痛いで生きてくれるならと縛っているのかもしれない。一瞬、、うっ、、となる。
今年にやって眠れない日の方が増えている気がする。4日に一日くらい?それは言い過ぎかな。ぷつりというのがもしかしたらほんの僅かに起きていてそれが合図で眠れなくなる。毎日を一定のリズムで眠ることが、精神的にも身体的にも健康を作る、と書いてあるそれが出来ない。理屈でわかりやる、ということをある意味でクリアしようとしているくせにこの部分などに関して全く出来ず、人にも得意げに伝達しているくせに実行出来ないという有様。でも数年前は眠ることがもう少しうまかったけどふとんに入る時間はもっと遅かったことを思えば進歩、なのか。
気付いたらいい年齢になっていて、ネガティブなことも考えざるをえない。今一度人の事なんて考えたくないな。でもそうなんだろうか、本当は人の事を考えたいのかもしれない。どうなんだろう。体が動いている事、それそのものかも。
夜眠れないくせに変な夢は見ていて、その変な夢があるおかげでなんか微妙にそこで見る世界が面白く、良いなぁと思ってしまえてるのは救いなのかもしんない。
大阪に行ったのはとても良かった。と言ったって基本的には大阪城をぐるぐるしたりしてるとか、大きな美術館に行くとかくらいしかしていないのだけど。とにかく大阪城を頭に入れるというのがあったから、歩き回ってあそこにあれがあるとか、周辺の建物は、とか歴史がこうあるとか、そういうことをぐるぐる周遊し見て回る。そうしてまた本屋さんなんかで本を手にとり読むということもするし、街というものに今度は広がって街を知ろうみたいなこともにも至る、とかくとシンプルだけど意外にこの時間自体が久しぶりだったわけだ。だからこれ自体がインプットになったし、持っていった仕事のインスピレーションにもなったと思う。東京に帰ってもそれをやりたいと思うのみだ。あとは体調がもう少しばっちりなら踊りをもっとやりたかったなぁ。金沢と広島にも行けるといいんだけど。
ずっとまたちょっとダルい風邪が続いている。昨年末なったやつ。もう2週間くらい。治りそうで治らない。コロナ以降、こういうのにかかるようになった気がする。その前までなら大体三、四日で治るかかかっても1週間ちょっとで遅くとも良くなったのに。 3時とか4時とかに寝ることはもうだいぶなくなったけど、やっぱり今年に入って別の仕事も増やしてバラバラな時間になっている。時間を朝にしようと朝の時間を使う意識は増えてはいるものの。生活をそこに向けていく努力はもう少し必要そうだ。
明日も早いのになぁ。
周りの人が結婚し、もうすぐ生まれるというのを同い年の人から何度か聞いている。おめでとう、という気持ちと本当に安全に生まれてくれ、という気持ちとがいつもあって勝手にハラハラする。生まれるまで何があるかわからないと思ってしまう。
冷静と情熱の間、これは果たして作り込まれた素晴らしい映画かと言えばきっとそうじゃない。日本の多くの恋愛映画をそもそも見る気にもなれないのであんまり自分のジャッジは信用ならないにせよ。しかし、この映画はなぜか好きだ。拙い日本語を話す彼女と男性、日本人が話すときに感情を探して言葉を探すのとは別の経路を挟んだ彼女の発話の方が何が奥行きを持った想像力を誘う響きがある。とか、設定がイタリアで彼らはイタリアに長く住んでるというフィクションを映画ということでやっていて、そのことが浮ついて感じられることが別のレイヤーとして旅に来たような感じと、以前どこかで読んだイタリアにたとえば住み着いた職人のような彫刻家のことを両方思い出すような感覚がする。ねじれてアクロバティックにいい感じ。
それにしても恋愛映画なんて、記号と記号で積み重なって出来ているようなものなのに、その記号が積み重なる時に、自分の中の何かがパズルのように組み替えられて閉じこもっていた感情なのか、それとも閉じこもってなんかいやしなくてただ自身の中にもパズルみたいなパーツが動き繋がることで生まれてくる感情の起伏がある。その時に、自分がそうだった、こうだったとか、そういうことを強く思う人生だったと思う。これからもそうだろうか、それとももうそうじゃないのだろうか。