2024年9月14日土曜日

秋の映画

 ずっとまたちょっとダルい風邪が続いている。昨年末なったやつ。もう2週間くらい。治りそうで治らない。コロナ以降、こういうのにかかるようになった気がする。その前までなら大体三、四日で治るかかかっても1週間ちょっとで遅くとも良くなったのに。 3時とか4時とかに寝ることはもうだいぶなくなったけど、やっぱり今年に入って別の仕事も増やしてバラバラな時間になっている。時間を朝にしようと朝の時間を使う意識は増えてはいるものの。生活をそこに向けていく努力はもう少し必要そうだ。

明日も早いのになぁ。

周りの人が結婚し、もうすぐ生まれるというのを同い年の人から何度か聞いている。おめでとう、という気持ちと本当に安全に生まれてくれ、という気持ちとがいつもあって勝手にハラハラする。生まれるまで何があるかわからないと思ってしまう。

冷静と情熱の間、これは果たして作り込まれた素晴らしい映画かと言えばきっとそうじゃない。日本の多くの恋愛映画をそもそも見る気にもなれないのであんまり自分のジャッジは信用ならないにせよ。しかし、この映画はなぜか好きだ。拙い日本語を話す彼女と男性、日本人が話すときに感情を探して言葉を探すのとは別の経路を挟んだ彼女の発話の方が何が奥行きを持った想像力を誘う響きがある。とか、設定がイタリアで彼らはイタリアに長く住んでるというフィクションを映画ということでやっていて、そのことが浮ついて感じられることが別のレイヤーとして旅に来たような感じと、以前どこかで読んだイタリアにたとえば住み着いた職人のような彫刻家のことを両方思い出すような感覚がする。ねじれてアクロバティックにいい感じ。

それにしても恋愛映画なんて、記号と記号で積み重なって出来ているようなものなのに、その記号が積み重なる時に、自分の中の何かがパズルのように組み替えられて閉じこもっていた感情なのか、それとも閉じこもってなんかいやしなくてただ自身の中にもパズルみたいなパーツが動き繋がることで生まれてくる感情の起伏がある。その時に、自分がそうだった、こうだったとか、そういうことを強く思う人生だったと思う。これからもそうだろうか、それとももうそうじゃないのだろうか。

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