以前住んでいた家で最も好きだった時間は寝る前にゴミを捨てに行く時間だった。そこで少し静かになった街の、人が作った家や街灯や道路がそこにあって夜空がそこにあって、そこで吸う風呂上がりの空気が美味しかった。
最近は今の家でゴミを捨てる時に歯磨きをしながら降りていく。今夜は星も見えて風も美味しかった。下からマンションの構造を見上げるのもいいと感じた。
人生について考えると、最近はネガティヴなことばかりが思われるけど。たとえば家族とかを見るととても羨ましく思う。そんな風に誰かの人生に関与出来ることで始まることがあるんじゃないか、と勝手な一方的な妄想があって。だけども、みんながみんな、新しく家族を持つわけではないし、今日だって色んな人に会った。クリエーションだって数ヶ月人と過ごし、1人で作る何かだってポイントで人と関わる。すでに色んな人生が錯綜しているのだ。その人生さえ、認めないことになってしまう。それは変だ。
そんな時に子供のことを考える。子供の時に見た光景のことをどこか感覚的に覚えていて、あの時のことがきっと今生きている子供たちの中にも起きているのなら、それがどこかでまだ会ってない人たちやもう会ってる人たちでそういう子供がいるのは知っている、彼らにとってその何かいい光景が起こっているのならそれでいいんじゃないか。そして、つまり回り回ってどこかで繋がり、それが錯綜しているなら、もうそれで素晴らしいんじゃないか。
さっき、手を動かしながらそんなことを思ったようだ。ひとまず。まぁ明日は明日。いったん、
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