2024年12月31日火曜日

田舎

新潟に何年振りかに行った。でも2年前に弥彦村にはいったけどいわゆる田舎は10年振りとかかも。小さい時の記憶と繋がっていて田舎の家に帰るのがいつも楽しみだった。そこの家の生活の感じ、陽当たりとか風通しとか美味しいご飯や台所、炬燵のある居間とか。書き出すとたくさん出てくる、それらが輝いて自分には感じられた。もうそこは取り壊しを待つ段階で、でもそこにあったから興奮して何枚かの写真を撮った。自分がもう少し良いカメラを持って時間をかけて、その家での時間を思い出すようなショットを撮れたらどれだけいいだろうか、と思った。自分にとっての幼少期の記憶の美しさはそれを越えられるものがないくらいになぜか大事だ。それはここ10年とかで強くなってきている気がする。とは言うものの、家族の方では色々あるので僕がそう見えていた、というのは切り離されてそうある、という感じなのだが。

早くして亡くなってしまったいとこにも2年越しでやっと会えて挨拶をし、老人ホームに入ったおばあちゃんにも会った。おばあちゃんは相変わらずおばあちゃんだったが少し可愛らしくなっていた。少しだけ僕が知らない方に傾いていったわけだ、要するに歳をさらに重ねてボケの方に向かっていっていた。でも覚えたり忘れたりをその短い時間の中で繰り返して話していた。コロナの対策もあり、部屋ではない無愛想な部屋で喋る際に出て来てしまう変な間はそのせいでむしろ埋まっていく感じもあった。おばあちゃんの生け花と自分の絵がどこか繋がる感覚があって、その場で持って来たお花を絵にしてプレゼントをした。飾ってくれるといいな。思えば大事な時にいくつか書いた花の絵の思い出がある。

結構な時間が経ったのでそろそろかなぁと思って切り上げて出る時に、なんだか自分で別れを切り出すようで、残酷な感じがしてきた。10年近く会いに来なかったこととか。そしてもしかしたらこれで会えなくなるかも、ということ。おばあちゃんと話しながら改めて家族は難しいと思った。それぞれに人で、それぞれの人が考えたいことや欲望というのはバラバラでそのせいで迷惑を受ける家族の人もいるし、でもそれが歳をとってしまってボケてしまっても自然に残ったものによってその人が見えてくる、というか。

それでも僕にとっては良くしてくれた人で、おばあちゃんは基本的には自分にやることがある人で暇のない人だったけど、もう少しあの時かまってあげたり一緒の時間を過ごすことが出来たけどいつも遊びにいったりめんどくさがって一緒の時間を過ごさなかったことが、今回も別れを自分で切り出す時にずっと同じだと感じられた。ずーっとそうだったなぁと思えて泣けてきてしまった。ごめん、というか。でもどうにもそれは出来ないことだったような気がする。すれ違いは、すれ違いのまま。帰りはギリギリまで送り出してくれた。なんだかもう会えない気もしてきた。そうするとこの思いやこの関係の構図はずっとこのままなんだと思えて、自分のいる場所がわかって泣けてしまった。

その後にいとこにあった。家族というのはすごいと思った。

2024年12月18日水曜日

午前中

 ここ数日、本当は午前中に時間をたっぷり作って制作や掃除、稽古にあてるつもりが連日の寝坊などによって時間をずいぶん削られたりなくしたりしてあちゃあ、という感じだったけどでも、その分寝たならそれはそれでokなのでは、みたいな思考も新しくやってきつつ。

今日はそれでもその借りを返したいと思い、小さな抵抗とスタジオを借りて練習。ずいぶん眠かったけど、こういうのありかもな、と踊ってる中での発見もあり、時間を確保してよかった。

3日連続で実は忘年会みたいな感じかも、、おかげでこのクソみたいな内臓が疲れ切ってる。明日で少し回復、、、と思ったら明日も忘年会しようぜ、と誘ったところだった、、やばい。朝ごはんで調整?だ、、

明日は色々調整し直そう。

2024年12月15日日曜日

愛に駆けつける人たち

 ラブアクチュアリーを久しぶりに観た。どうなるかなぁと思っていたらたくさん泣いてしまった。もう古い時代の映画になったかな、って思うところもあったけど、それも自分の中の景色として残っていた。あの曲たちとともに。この景色が思い出されて、自分の中にあって。

みんながそこに向かって走っていく姿。イギリスの映画って、ダニーボイルにしろ走るよなぁ。どこに向かっているかって、愛に駆けつけているんだと。そしてその駆けつけたところを見届けようとする人たちもいる。かつてそういう人たちがいた、にならないといいな。そんな夢物語を思った。今の自分はどうだろう?寛容じゃどんどんなくなっていると思った。

ジョニーミッチェルに出会ったのもこの映画だったね。あんな風に人々が嬉々としてどこかに向かって駆けて行く景色、それが90年代や2000年代だった、みたいなことにどうかならないでよ、という気持ち復活100%の。

2024年12月12日木曜日

やり方

 横浜通いが続いている。こんなにもたくさん舞台を観るのは久しぶり。ありがたい機会。それなのに全く難しい。職業病と言ってしまえばそれまでだけど。どんどんと暗い方に向かってしまう。世の中は悪くなる一方でこれらの方法は果たして有効なのだろうか。また世界とかとはもちろん無関係の世界なのかもしれない。だって僕だって別に世界と遠い態度をとっているくせに。

そんな夜にかつてのチームメイトから連絡があった。なんというかなんというタイミング。あの日、気持ちが離れつつあったブレイクダンスから舞台というオルタナティブなダンスのチラシを手にした日だった。しかしどこへ行ってもその所属先というのを見つけ切ることが難しい。


また別の話だけど、もう少しこうして生きよう、みたいなことのためには今のやり方ではなくて、別に新しく、いや根本的に、作っていく必要があるんじゃないかって今日少し思えた。今の心で行っても、うまくいかないとうまくいくの評価の下し方のままで、そうじゃないあり方みたいなところっていうのも可能性としてあるかもしれないぞ、と。

2024年12月9日月曜日

紺色のブルー

 最近は夜の空が紺色のブルーでとてもキレイでこの時ほど1日のうちで息を気持ちよく吸える。ずっとこの色を見ていたいと思わせる。こんな色の中にいれることが生きているということなのかもしれない。

宇多田ヒカルが宮沢賢治のあるテキストの部分について引用しながら話している動画が回ってきて見ていた。確かに関心したけども。でも宮沢賢治は早くに死んでしまった。あの時の言葉でもあるような気がする。その言葉をあの時を越えている宇多田ヒカルさんが生きるというのは、少し若いときの態度に近く生きようとしているようにも思えて、狙いと違う可能性もあるけど、逆にそんな風に生きることは大変かもしれないけどなんか素敵だと思った。