一昨日かな?3331でやっていた90年代のアーティストによるゲリラ活動をまとめた展覧会。そこには会田誠さんや小沢剛さん、宇治野さんに、曽根裕さん、そして村上隆もいた。それらはどちらかというとおまけ的に紹介されることのが多いのだけど、当時の資料を見る事が出来る貴重な機会。
自分らの現在の活動と比べるとどうだろう?比べられるかな?
この日は久しぶりに友達の展示を見に行こうという目的を持っての久々の外出だった。
途中、村上隆のラジオがあるというのでなんてタイミングだ、なんて思いながら聴いてみる。
懐かしい、学生の頃はよく村上さんの声を今より聴くことが多かった。
安直な夢もあった。安直だなんて、当時の自分に向けて言うなんて。
なんか色々思い出されるな。
今日はヒアリングというか、今後のプロジェクトの打ち合わせがzoomであった。
その際に周りの舞台の人たちの状態を聞かれて、僕が答えたのはみんなが各々に少し変わった事だと伝えていた。
自分でも話しながらそれを確かめていくんだけど、この遠隔での連絡しかとれない間にそれぞれが自分の身の回りや自分と向き合ったのか、別々のベクトルで変わったような印象を受ける事が多いと思った。
だから向こうが聞きたかったのはそれぞれの経済的だったり、気持ちの部分だったかもしんないけど別のことを結果的に話してしまった。
でも悪くないと思うし、その描写はむしろ新しい感じもした。まだ読んだりしてないかも。
あの自粛期間が少しづつ渦中にいなくなると同時に去っていく感じがある。
そう言ったからと言っていわゆるコロナ状況下にいることを忘れてる、と指差される感じは違くて。
というか忘れるということはなくて、変わってないことは一つもないかもしれない。
そんな中でいくつか人と会って話したり、それは意外な場所からの連絡だったりそういうのがいくつかあった。
こないだも10年ぶりくらいに旅先であった年上の音楽家の方からの連絡、出会ったことはうる覚え的に覚えてるけど顔が思い出せない。
だけどその連絡とともに出会った時の海の波の音が寄せてくる感じがある。
アントニオーニの砂丘をたまたま見ていて砂丘で出会ったばかりの少しづつお互いを話す時間は、旅先の感じに似ている。結構、真っ白で自分たちしかいない、みたいな。
少し自粛期間中は砂丘のようだったかもしれない。
またコロナ前までは見た映画を書き留めていたのに自粛期間に入ってから書き留めるのをやめていて、でも今思ってることはその時間の中で見た映画のことを忘れたくない気持ちだった。
明日こそは映画館に行けるかな。
どうもaokidです。東京を中心に活動していますが、夢は大きくもっと色んなところで活動活躍出来たらと日々もんもんとしています。 活動はaokidとしておどったり、絵を描いたり、aokid cityという架空の街を作るというプロジェクトを持っていたり、ゲリラパフォーマンスなんかをしたりしています。
2020年6月5日金曜日
うたと踊りのこの手を伸ばして
メロディーに言葉をつける。
すると時間が生まれる。
時間があるとそこに踊りをつけれる。
するとどうなるだろう?
見方につけれる?
手を振るとその時間が自分になる。
自分のパワーになる、そんな感じがした。
すると時間が生まれる。
時間があるとそこに踊りをつけれる。
するとどうなるだろう?
見方につけれる?
手を振るとその時間が自分になる。
自分のパワーになる、そんな感じがした。
落ちるより早く、君が見つめるが早い
もしかしたらさっきあの時もう少しいい踊りが出来たなら世界を変えれたのかもし!れないのに。
そんなことを思ってしまった。
話していた目線の先を覗いて。
勝手なことを。
思ってしまった。
あの曲を選ぶべきだった。
でも一瞬じゃわからなかった。
若い人の速さで。
それをまだ愛していてもいいと思うんだけど。
世界は反対するかもしれない。
今日のお昼に思ったサイダーのシュワシュワと初恋の気分とクラブに到着してメインホールで自分の曲が鳴っている時の気持ち。
それらはそれぞれで違うのに、少しだけ重ねて見るとなんか似てる、みたいな。
外に出るというのはそういう瞬間に出くわすとこと。
出くわすと書くと出会すと出てくるんだね、知らなかったよ。
と綴るこの言葉たちは読まないマンガの主人公たち。
必死にあがる。熱おさえて話す、フォーエバー。
そうか、こうして都市を生きていたことを思い出す。
水が流れていたんだね!と。
長いと速さ失う?
涙が落ちるより早く踊ってみて!
そんなことを思ってしまった。
話していた目線の先を覗いて。
勝手なことを。
思ってしまった。
あの曲を選ぶべきだった。
でも一瞬じゃわからなかった。
若い人の速さで。
それをまだ愛していてもいいと思うんだけど。
世界は反対するかもしれない。
今日のお昼に思ったサイダーのシュワシュワと初恋の気分とクラブに到着してメインホールで自分の曲が鳴っている時の気持ち。
それらはそれぞれで違うのに、少しだけ重ねて見るとなんか似てる、みたいな。
外に出るというのはそういう瞬間に出くわすとこと。
出くわすと書くと出会すと出てくるんだね、知らなかったよ。
と綴るこの言葉たちは読まないマンガの主人公たち。
必死にあがる。熱おさえて話す、フォーエバー。
そうか、こうして都市を生きていたことを思い出す。
水が流れていたんだね!と。
長いと速さ失う?
涙が落ちるより早く踊ってみて!
2020年5月21日木曜日
2016
携帯を買い換えるとクラウドの中で更新されず溜まりっぱなしになっていたカメラロールが覗けてそのストックは2016年分のもの。
そのカメラロールを指でスクロールして思い出と対峙していく。
様々な写真が出てくる。どうぶつえんを始めた年だった。
その時に好きだった女の子と映ってる写真。代々木公園で幻の練習となった日の写真。吉祥寺でみんなを連れ出してパフォーマンスした日の写真。みんなで海に行った時の写真。
裸でライブする村上さんの写真。個展の時の写真。新聞家のドラマシリーズ。やっぱりまた公園に集まった時の写真。
すべてが愛おしくて切ない。
こんな気持ち久しぶりだ。
というかそんな振り返り方は最近していなかったのではないか。
ランダムに並んだカメラロールはただスナップを重ねた乱雑なその年の写真をページをめくるようにして時間を追いかけていけるから、それだからか。
思わず2016年なんて写真集を作りたくなっちゃうくらい。
愛おしい世界だ。
走り抜けてよかった。
しかしソロじゃない。その都度、一緒に走るランナーたちが写ってる。なんて輝いていることだろう。
4年が経つと、でも、その時にあったものがもうなくなっていたりそういうこともある。
そういう年齢なのか。とも思う。
でも一方で10年以上前とも変わらないところもある。
一体なんなのだろう。
このカメラロールを下がっていくと4月に渋谷のTSUTAYA前で都心における現代の最高の絵をパフォーマンスで描こうとした日の写真や映像がいくつかある。
村上さんがフィッシュマンズの似つかない完全にオリジナルに聞こえるようなカバーをしていて僕の描いた絵が雨に濡れている。
この日は雨の中、踊りあった。
誰の青春だよ、これ。って紛れもない自分たちの青春のためだった。
海でも上野くんが歌っていた。
吉祥寺では村上くんの裸の写真で。いつもお前、裸じゃんとカメラロールを見ながら思う。お客さんだって少ないのに。
でもそういう友達と過ごした時間は決して大勢の前で行われた勝利なんかではないけど、近くで過ごした僕たちにとっては非常にかけがえのない時間だったように思えてくる、このロールを見ていると。
手放しちゃいけないよ、と思った。
お前らが楽しめ、と。
もちろん他の人を巻き込むこともいつも最高に大事だけど。
僕らが楽しまなくちゃだ。
この人生や時間を少しでもなんとか出来そうな予感があるなら、それは離しちゃいけない。
実際それをやってる時、クソみたいとか思うかな?でもほら、振り返ると最高じゃないか。
目の前に人がいるということ。
もう何万回も生きる。
生きることに余裕こくなよ!
そのカメラロールを指でスクロールして思い出と対峙していく。
様々な写真が出てくる。どうぶつえんを始めた年だった。
その時に好きだった女の子と映ってる写真。代々木公園で幻の練習となった日の写真。吉祥寺でみんなを連れ出してパフォーマンスした日の写真。みんなで海に行った時の写真。
裸でライブする村上さんの写真。個展の時の写真。新聞家のドラマシリーズ。やっぱりまた公園に集まった時の写真。
すべてが愛おしくて切ない。
こんな気持ち久しぶりだ。
というかそんな振り返り方は最近していなかったのではないか。
ランダムに並んだカメラロールはただスナップを重ねた乱雑なその年の写真をページをめくるようにして時間を追いかけていけるから、それだからか。
思わず2016年なんて写真集を作りたくなっちゃうくらい。
愛おしい世界だ。
走り抜けてよかった。
しかしソロじゃない。その都度、一緒に走るランナーたちが写ってる。なんて輝いていることだろう。
4年が経つと、でも、その時にあったものがもうなくなっていたりそういうこともある。
そういう年齢なのか。とも思う。
でも一方で10年以上前とも変わらないところもある。
一体なんなのだろう。
このカメラロールを下がっていくと4月に渋谷のTSUTAYA前で都心における現代の最高の絵をパフォーマンスで描こうとした日の写真や映像がいくつかある。
村上さんがフィッシュマンズの似つかない完全にオリジナルに聞こえるようなカバーをしていて僕の描いた絵が雨に濡れている。
この日は雨の中、踊りあった。
誰の青春だよ、これ。って紛れもない自分たちの青春のためだった。
海でも上野くんが歌っていた。
吉祥寺では村上くんの裸の写真で。いつもお前、裸じゃんとカメラロールを見ながら思う。お客さんだって少ないのに。
でもそういう友達と過ごした時間は決して大勢の前で行われた勝利なんかではないけど、近くで過ごした僕たちにとっては非常にかけがえのない時間だったように思えてくる、このロールを見ていると。
手放しちゃいけないよ、と思った。
お前らが楽しめ、と。
もちろん他の人を巻き込むこともいつも最高に大事だけど。
僕らが楽しまなくちゃだ。
この人生や時間を少しでもなんとか出来そうな予感があるなら、それは離しちゃいけない。
実際それをやってる時、クソみたいとか思うかな?でもほら、振り返ると最高じゃないか。
目の前に人がいるということ。
もう何万回も生きる。
生きることに余裕こくなよ!
2020年5月19日火曜日
歌えない
最近の夜はやくたたず。
外に行ければこのパフォーマンスも変わってくるだろうよ、なんて思って他人任せ。
そこまで思ってるわけじゃないけど、あれ、こんな夜ダメだったっけ?っていう感じ。
1週間前にアキレス腱が片方痛くなりここ1週間はずっと続けていた公園練もランニングも中止。やれやれ、年齢をいよいよ感じるかも。ケアと歩まねば。
TSUTAYAに行けないのでNetflixでも入ろかと思っていたがそういえばカードの請求書にいつからかamazonから毎月500円ずつ引かれていて、もしかしてamazonprimeなら見れるかと思ったら案の定見れた。なんやねん
昨年、話題だった日本映画を今夜途中まで見る。
もやもやする。
ok、この客層からは漏れたんだ、今回は。監督色んなものとってるものね、と自分を納得させる。
最近、ステイホーム期間中に思いがけず試しているのは買い換えた画質の良いiPhoneのカメラを使った動きの撮影で、片方の手にカメラを持ったり、自分なりの物理とイリュージョンを行き来するような制作?を試しているっぽい。
この延長で映画を撮ることが出来たらそれなりの説得力を持ち得そう。
みんなが面白いと言うかはわからない。
映画の役者さんを見ながら、映画の中で求められる演技の観念性について。
その撮影現場でのライブ性、物理的なパフォーマンスというよりあくまで画面に残すんだ、とほとんどの仕事がまるで働いているかのような、ことなのか。
外に行ければこのパフォーマンスも変わってくるだろうよ、なんて思って他人任せ。
そこまで思ってるわけじゃないけど、あれ、こんな夜ダメだったっけ?っていう感じ。
1週間前にアキレス腱が片方痛くなりここ1週間はずっと続けていた公園練もランニングも中止。やれやれ、年齢をいよいよ感じるかも。ケアと歩まねば。
TSUTAYAに行けないのでNetflixでも入ろかと思っていたがそういえばカードの請求書にいつからかamazonから毎月500円ずつ引かれていて、もしかしてamazonprimeなら見れるかと思ったら案の定見れた。なんやねん
昨年、話題だった日本映画を今夜途中まで見る。
もやもやする。
ok、この客層からは漏れたんだ、今回は。監督色んなものとってるものね、と自分を納得させる。
最近、ステイホーム期間中に思いがけず試しているのは買い換えた画質の良いiPhoneのカメラを使った動きの撮影で、片方の手にカメラを持ったり、自分なりの物理とイリュージョンを行き来するような制作?を試しているっぽい。
この延長で映画を撮ることが出来たらそれなりの説得力を持ち得そう。
みんなが面白いと言うかはわからない。
映画の役者さんを見ながら、映画の中で求められる演技の観念性について。
その撮影現場でのライブ性、物理的なパフォーマンスというよりあくまで画面に残すんだ、とほとんどの仕事がまるで働いているかのような、ことなのか。
2020年4月28日火曜日
時空
うみへむかう。4月、早朝に家を出るともう海に着く頃には明るくなっていた。
久しぶりに、わたしは、引き出しからの仕業を取り出して本日それを行った。
帰り道、藤沢で急行に乗り換える。たぶん新宿に向かう中で車内は混み合うだろう。
先日、YouTubeで観た"夕方4時〜"の弾き語りが素晴らしく、学生の時その曲をよく聴いていた。深夜から早朝にかけてTSUTAYAで働いて家に帰り朝眠りに着き、昼に大学に起きて通うのをつい寝坊して起きると4時頃になって、あたりはすでに暗くなってから向かった日々の事、どこか罪悪感や諦めに対抗するような、ぎしぎしした想いがその時あったような、そんなことを思い出す。
砂浜で走ってみると案外楽しく、顔も段々気持ちが入って周りが気にならなくなってくると楽しい。
きらめきの中。
私がさけんだ
声は向こう側へおそらく届かないことが叫んでる途中でわかる。
何もない空間が目の前に広がっているのにそこに僕の声は乗らない、なんでも待ってくれた空や海なのだけど、それを助けて遠くへ運んだりはしない。ただもしかしたら、この声がもう少し物質ならボトルを海が運ぶように、風が花粉を運ぶように、長い時間をかけて気楽に待っていると向こう側へ辿り着いてくれるのかな、
ここまで文章を書いて、多少でもいい文章をここに作り上げるなら後ろに書いたことを振り返っては書いて整えればいいのだけど、それよりも僕は今、散歩の中にいるように少しづつ思いついたことを散らしこぼしていく、たまに良いじゃんってことを思ったりするのも登場するけど、これは散歩、完璧な散歩がほぼないように。
散歩の途中、ちょっと雲いいなとか、少し迫り出した家の植物とか、昨日思い出したことだとか、それらに出会っていく。みんなも出会っているように。
レスターをもう4回も聴いてる。
僕はほんとうはもう少しいい歌を書きたい。
誰もがポケットにしまって持ち歩けるような。
それがあれば時を越えて通信出来るような。
いつも時空を越えたい。
それは僕がたくさんの時空を越えた通信を受信して来たから思うこと。
今度は送信したいんだよな。
人生をかけて送信にかけたい。
時空を越えたことが人生をかけてしたいこと。
海に行くのは時空を越えているから。
その先やこれまでが含まれた詩だから、か?
もう5回目
久しぶりに、わたしは、引き出しからの仕業を取り出して本日それを行った。
帰り道、藤沢で急行に乗り換える。たぶん新宿に向かう中で車内は混み合うだろう。
先日、YouTubeで観た"夕方4時〜"の弾き語りが素晴らしく、学生の時その曲をよく聴いていた。深夜から早朝にかけてTSUTAYAで働いて家に帰り朝眠りに着き、昼に大学に起きて通うのをつい寝坊して起きると4時頃になって、あたりはすでに暗くなってから向かった日々の事、どこか罪悪感や諦めに対抗するような、ぎしぎしした想いがその時あったような、そんなことを思い出す。
砂浜で走ってみると案外楽しく、顔も段々気持ちが入って周りが気にならなくなってくると楽しい。
きらめきの中。
私がさけんだ
声は向こう側へおそらく届かないことが叫んでる途中でわかる。
何もない空間が目の前に広がっているのにそこに僕の声は乗らない、なんでも待ってくれた空や海なのだけど、それを助けて遠くへ運んだりはしない。ただもしかしたら、この声がもう少し物質ならボトルを海が運ぶように、風が花粉を運ぶように、長い時間をかけて気楽に待っていると向こう側へ辿り着いてくれるのかな、
ここまで文章を書いて、多少でもいい文章をここに作り上げるなら後ろに書いたことを振り返っては書いて整えればいいのだけど、それよりも僕は今、散歩の中にいるように少しづつ思いついたことを散らしこぼしていく、たまに良いじゃんってことを思ったりするのも登場するけど、これは散歩、完璧な散歩がほぼないように。
散歩の途中、ちょっと雲いいなとか、少し迫り出した家の植物とか、昨日思い出したことだとか、それらに出会っていく。みんなも出会っているように。
レスターをもう4回も聴いてる。
僕はほんとうはもう少しいい歌を書きたい。
誰もがポケットにしまって持ち歩けるような。
それがあれば時を越えて通信出来るような。
いつも時空を越えたい。
それは僕がたくさんの時空を越えた通信を受信して来たから思うこと。
今度は送信したいんだよな。
人生をかけて送信にかけたい。
時空を越えたことが人生をかけてしたいこと。
海に行くのは時空を越えているから。
その先やこれまでが含まれた詩だから、か?
もう5回目
2020年4月16日木曜日
CHAYAさん、
エイリー舞踊団で47年間務めたCHAYAさんのドキュメンタリーを少し追う形で見た。
こないだのクリスタルパイトでも思ったけど、そう"ダンサー"が指すダンサーの枠は広く、何かだけを特化してダンサーと呼ぶべきなのか、考えてしまうけど。
僕は追いかけようとあまりしてこなかったかもしれない1つのダンスの形であり、もっともクラシカルで世界的に親しまれているかもしれないその形を持って取り組むダンサーたちの姿、その中でも彼らはNYでそれまで活躍の場のなかった黒人ダンサーたちが踊る場所を自身たちで開拓していったカンパニー。
振付を教えているシーンではその魂の引き継ぎみたいなことがされていて、そう言えば、そうだ、ダンスにはとことんそういう面もある、そういうことをあてがうことが出来たんだった、とか思いながら見ていた。とうとう僕はまだこのダンスの引き継ぎというのから、遠くにずっといる気がする。
自分の話はさておき、それでも熱心に踊るダンサーが映されていく。
CHAYAさんは随分仕事の出来る人で、本当にこのカンパニーをしっかりマネージメントしていく。
話によるとそれはダンサーとして黄色人種でありながら受け入れてくれたこのカンパニーやNYという場所が自身を歓迎してくれたことに感謝していると言っていて、ついに多大な愛を注いだそのカンパニーに向けた半年前の引退発表をカンパニーメンバーに打ち明ける際には見ていて泣けてしまった。
この涙は懐かしくもあって、そういえば10年も前、よくNYに憧れRENTだとか様々な映画やドラマ、本などを見ていた。その時に受けたNYという場所の愛、みたいなことが蘇るようだった。
これはTwitterで友人がリツイートしていて見た発言だけど、人間には大きいことは出来ないが小さなことは大きい愛を持って取り組むことが出来る、とマザーテレサが言っていたこととその両方のことをCHAYAさんを通して思った。
誰かを人種や境界を越えて受け入れることや、その歓迎への返答だとか、より大きな愛を作るために必要な営みなんだと思った。
もし僕や僕らがより大きな愛に出会うならばそれらは乗り越えるべきで、もし今その愛を感じることが出来ていなかったとしたらそれはやっぱりあまりにももったいないのかもしれない。そんなことを思った。
すごいね、
こないだのクリスタルパイトでも思ったけど、そう"ダンサー"が指すダンサーの枠は広く、何かだけを特化してダンサーと呼ぶべきなのか、考えてしまうけど。
僕は追いかけようとあまりしてこなかったかもしれない1つのダンスの形であり、もっともクラシカルで世界的に親しまれているかもしれないその形を持って取り組むダンサーたちの姿、その中でも彼らはNYでそれまで活躍の場のなかった黒人ダンサーたちが踊る場所を自身たちで開拓していったカンパニー。
振付を教えているシーンではその魂の引き継ぎみたいなことがされていて、そう言えば、そうだ、ダンスにはとことんそういう面もある、そういうことをあてがうことが出来たんだった、とか思いながら見ていた。とうとう僕はまだこのダンスの引き継ぎというのから、遠くにずっといる気がする。
自分の話はさておき、それでも熱心に踊るダンサーが映されていく。
CHAYAさんは随分仕事の出来る人で、本当にこのカンパニーをしっかりマネージメントしていく。
話によるとそれはダンサーとして黄色人種でありながら受け入れてくれたこのカンパニーやNYという場所が自身を歓迎してくれたことに感謝していると言っていて、ついに多大な愛を注いだそのカンパニーに向けた半年前の引退発表をカンパニーメンバーに打ち明ける際には見ていて泣けてしまった。
この涙は懐かしくもあって、そういえば10年も前、よくNYに憧れRENTだとか様々な映画やドラマ、本などを見ていた。その時に受けたNYという場所の愛、みたいなことが蘇るようだった。
これはTwitterで友人がリツイートしていて見た発言だけど、人間には大きいことは出来ないが小さなことは大きい愛を持って取り組むことが出来る、とマザーテレサが言っていたこととその両方のことをCHAYAさんを通して思った。
誰かを人種や境界を越えて受け入れることや、その歓迎への返答だとか、より大きな愛を作るために必要な営みなんだと思った。
もし僕や僕らがより大きな愛に出会うならばそれらは乗り越えるべきで、もし今その愛を感じることが出来ていなかったとしたらそれはやっぱりあまりにももったいないのかもしれない。そんなことを思った。
すごいね、
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