東京にいて、東京に少し飽きてしまったので、これはいかんと、他の行動に出た。少し昔の本を読む。なんとなく人間としてひきつけられる人、夏目漱石を読むことにする。
夏目漱石の小説には、時代の変わり目においての、全体ががざがさしていた中での1人の人間が考えていた、振る舞いについてが描かれていると思う。
僕は、今、ちょっと戸惑っているのかもしれない、どうすればいいのか、がすぐわからなくなってしまうのだ。
個人のこと。全体のことに対して。
全体のことが本当に見えにくく、自然には上手くいかないので、個人のことから考え直すことにした。
個人のことを考えて、これだ、と思うまで考えて、イメージを出す。なんでそうなるのか?というのは自分で決めたようで、全体との相対関係から意外に決まってきたりしてる。それプラス、僕個人の能力、びびったりとか、これはやれるんじゃないかとか、不安とか、勘違いした自信とか、諸々がそれで決定される。
世の中はあまりにも複雑で、わかった上で、それから行動するにはとてもエネルギーがいる。
僕は最近、昔のことも思い返しつつ、今出来てること考えると、思ったよりも達成したかったことにはエネルギーと思考が必要だったのかもしれない。自ら自覚するのが、足りなかったが、敗戦しまくっていたんだ。しかも自覚がない敗北で、いつの間にか負けていたんだ。痛くも痒くもない。なんとなく時がたった時に気付く、何も得れていなかったことに。
でも、最近はそれでも、昔に建てた理想に向かって、エネルギーを増やして、複雑であろうと、この現代に対して、自分なりの感覚を持って立ち向かいたいという気分である。
なぜか?というと、人生は一回きりだからである。どんなにくだらない瞬間、時間ばかりで構成されようと、理不尽な罵倒を浴びてる時間であろうと、掴みようがない退屈な時間が目の前に残ってだだ流れていようと、人生は一回きりで、終わり。次はないんだ、次はもらえないんだ。
それで、ずっと田舎にいて、一つの価値観を教え込まれるなんて嫌だし、それもそれで一つの人生の使い方だけど、僕はあれもこれもみたいし知りたいんだ。いつか映画か、絵本で見たように小さな子供が主人公で、家を飛び出た子供にある日道でなにか人々におじさんがなんだか楽しそうにあれやこれや見せている、紙芝居で楽しそな面白そうなことを見せている。少年は色んなことをおじさんにそのショーが終わった後も尋ねた。おじさんは自分が見た世界や、想像した世界やおもちゃを教えてあげた、次の日も待てずに少年は走り出す。なんだろう?この胸と目の周りが落ち着かない感じ、冷めないぞ、これから起こることが楽しみだ。
そういう世界を用意したい。
このテンションって異常だろうか?そんなテンションなんてどうでもいいだろうか?でも、こういう考えにその日、辿り着けたりすると、僕は熱くなります。こういうことを考えれた時に、僕は凄いなんかとにかく体温が上がるのを感じるし、意思を確認する、こうしたいんだ!ってことの正体はこいつのことかも、って。
こういう状態でなるべく生きれることが、今の目先の目標かもしれない。僕は弱く、意思なんてすぐ吹かれたら消えてしまいそうなくらいなので、体の中で水をやって、火をやって、外からの風に吹かれて消えないように、また水をやらずに枯れてしまわないように、注意しながら、育てなければ、と思うのです。
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