2016年10月20日木曜日

表層や

普段過ごしてるとあまりにも世の中が表層的にはうまくいってるような感じで、科学的な目標をたてたり時間を過ごしたりしている。けど、それは表層的に見えるだけであって実際はわからない中で、自分が現実的にやりとりをしているだけなのかもしんない。
とは事あるごとに気付かされる。 嫌なくらいにそういうことにただ囲まれて逃げることの難しい状況の人もいるかもしれないが。
最近、作品を見たりする中で重なるようにしてそういうものに出会ってしまって。
作品以外でもたとえばSNSでの友人の投稿などを通して。
あんまり極端に落ちてしまうことなんてないのだけど、今年一度ドーンって落ちることがあった際には、逆によく世の中がぎりぎり回っていられるものなんだって思ってしまった。絶対何かどうしてもうまくないことがあったくせに、素知らぬ顔をして生きてる人たちに思えて、なんて生きるのは大変なんだって、思いもよらないことを自分の中で思い考えてしまっていた。

映画、怒りを見てきた。
とても悲しいシーンがあって、自分はまさにそこで何もすることが出来ないというのを徹底して表現して見せたシーンがあった。その時に思った。いつもいつももし強くならないといけないとすれば、その瞬間がもしかしたらやってくくるのかもしれないからだって。
「お前!」って言われてるみたいで。しかもそれ今日始まったことじゃないだろ、ってメッセージに溢れた映画だって途中まで感じていた。だけど映画は多様な顔を持ちそれだけじゃない形で終わっていく、と僕は思った。




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