ことごとく今夜は外れては外れた。すぐに新宿で用事を済ませたら練習をすべくそこへ向かうべきだったが、ふと文章を書こうとスタバに立ち寄り雨が降ってきた。仕方なく電車に乗り町田で練習して帰る頃にはしっかりと台風に雨という天候で中々に濡れた。
最近、前澤さんの写真展を見によった高円寺のお店で吉田修一のパークライフを買った。少し読んでこの本が与えるであろう効用を知り買った。
吉田さんは、映画化されたということでしか知らなく気になっていたけど、むしろこういったものを初期に書いていたのかという感じの作品でした。映画怒りも見るかも。李監督ただし。
こんなことを書くつもりじゃなかったのに、ベットに倒れた体を疲れと睡眠が襲って戦うことを目をあけて見る夢を覆ってしまう。
あ、そうそう、そのパークライフを手にとった理由はささやかな出会いを描いていたからで、何かそのことに自分自身励ましてもらおうと思ったのだ。
いつも自分は偶然なんかそんなに起きはしないことへの期待を持ってその空白や空気をそれでも大事に大切にいるのかもしれない。だから少し知ってる世界に対して冷たい。起きもしてないことをいつも待っている余白。ずっと空いたままのベンチの横にいるみたいに。だからそういう風景さえ、いつも、あるいは結構、身近に感じちゃう傾向にあるんじゃない?
公園のベンチのように。
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