2018年4月15日日曜日

めまぐるしい

今日はどんな夢を見るのか?最近はめまぐるしい毎日で、たくさんの締切にも間に合わなかったり十分に仕事が出来てなかったりなんとか乗り切っていたりという感じだと思う。迷惑をかけつつあったり、もう少しできたかもしれない仕事。にしても色々違う工夫や考えをまた新たにこしらえ直しながらやっているのも中々一回一回違うからコストパフォーマンスが悪い気がする。今はそういう時期ということかな、頑張りどころだよね、むしろ一回一回を変えるだけの抽象性をそこに生んでるとしたらむしろ時代的に大正解じゃん、仕事のやり方としては。
昨日はあいうコンビで会って色々話聞いてもらっちゃった。前にも聞いたかもなんて態度を持たれてしまって、我ながら呆れてしまう。し、そういった態度をとってくれる友人というのは愛おしいなぁ、な瞬間。でもやっぱり昨日のことは残っている今日なのでなんとかしたい。
久しぶりに好きな映画ディナーラッシュを観ようとしている。借りた。
今日はその足でクラブに久しぶりに行った。音楽や光の光線の中、身体の部位の線がそれらとまた交差し合う。jorgenの写真、また新しくなってる。今度は対象へのフォーカスがはっきりとしてて、いよいよ、ポップさに接近して、多くのファンを生みそう。だけどそれまでの過程がやっぱりあるからで。いやでもそのポップさを持つということはつまり逆にそういった眼差しをカメラ越しに向けているということなのかな。彼の写真がよかったから僕も頑張りたい。いい絵を描きたいと思った。いつか隣に並んだりしたいな。

明日は10年ぶりに会うカナダの友人セブ。
完全に色んなことに身体が追いついてない、少し頭痛もするけど。
めまぐるしいことに悲しくならない。

2018年4月11日水曜日

夜道路がアドベンチャー

こないだのライブでは高校の先輩のバンドどついたるねんの舞台にて踊らせてもらった。
高校の友達も来てくれた。夢ちゃん、ありがとう!
終わっあとの感想がやっぱり夢ちゃんで、なんというか感慨深いね、僕の作った現場でもなくただ僕は招待してもらっただけなのだけど。ラグビー部の人たちとかもすっかり、歳を重ねられていて。しかも赤坂ブリッツってなんか赤坂あんまり踏み込んだことなかったから。
そういえば青沼の結婚パーティーもこの辺でそれで帰りに都留と吉田先生と珈琲飲んだんだんだよね、確か。
やっぱり高校の頃のこととかもこんな風に今でも生きてくるからモーメント、瞬間を生きる事は後ほどの人生の中でも再び生きてくることなのかもしんないね。

打ち上げが終わってまた歩いて40分コースは山登って大きな車道沿いを歩いたりそれなりのアドベンチャーで。これがまた小さい頃のことを思い出すんだよね。小さい頃はたくさん歩いてどこか行くことも多くてアドベンチャー感も身体が小さい上に知識も少ないからあってさ。
それを思い出しつつ電池切れそうなアイファンでナイトクルージングなんか聴くのは大学生の頃の気分かもね。
もっと夜にどこか連れてってくれ〜みたいな感じで途中でやっばし電池が切れて。

打ち上げでは同い年くらいの子たちが結構、大変そうなことを言うから自分は少しそれに喰らってしまって、なんというか、大きすぎる敵を放置してしまいまくった時代なのかな、なんて。ヒーローが欲しいけど、描くのだって放棄されつつある。
そういうことと高校の頃に想いを巡らすことも繋がるし、また、また、、なんだよ、、、って言ってうまく言えない。

そして女の子にそんなじっとされると、ねぇ、そりゃあ。

夜に流星群を聴いて絵を少し進めた時間があったさっき。

2018年4月3日火曜日

久しぶりに日記を書く。この間にも演劇の公演に出たらあれしたりこれしたりしていたんだよね。
30歳になったので、なんかもう少ししっかりしたことを書いた方がいいような気もするんだよね、何かに寄りかかったような文章に何か大丈夫かなという不安がやってくるみたいなさ。
先日、谷川俊太郎展行って、段々と展示を見るに連れそこにある言葉、詩を読んでいくんだよね、最初は文字より他の情報どうしても展示では追ってしまうから。でも割合として当然ながら多いその会場で段々と時間が経つにつれ言葉を読むようになって、地面に段々と着陸していくようにして詩を体験していくと、ほら昔読んでその詩があって、段々とエモい気持ちにもなっていく。時空を超える瞬間がやがて来る。

また谷川俊太郎さんはいつも散文であり続けた、圧倒的散文、散りに散って散りまくってそしたらそれでの芯のあり方ってどういう風に出来たんだろう?それでもあり続けたというのは、逃げ切った身体みたいな感じして、ただただその偉業を前に立ち尽くすしか出来ない。

最近、言葉を説明とかにばかり使い過ぎだけど、もっと人を宇宙に飛ばせるような言葉や詩を生むべきでもある。