昨日、公演を終えた。古民家でそれなりに場所と対峙。もっと伸び代あるかもな。 にしても古民家やりながら自分の中では"日本語"をやる、に少しだけ足をかけれたかも。ちょっと映像見てみないとわからないけど。
今日は子ども食堂とそれのダンスワークショップ。やっぱり公演という単位をやると明らかに身体の火照りとかが違う。翌日の。疲れているし、緊張もある、あんまりすぐ仕事はよっぽどじゃない限りやるべきじゃないと今日思った。自分を労らねば。自分でまぁ大丈夫だろう、は少し身体や今後のスケジュール、仕事に対しても失礼になる可能性がある、、、今更思った。
明日は実家の片付け。もう5月に取り壊し、大石田に行くのでもう家に会えないのは悲しい。そこに新しく家が建つわけだけど。触ることの出来る景色がなくなるということだけど、それはつまり記憶を呼び起こすための装置が消えてしまうということ?なぜ、このことを悲しいと具体的に思えるのか、それらをむしろ記憶を繋ぎ止めるその装置は一体どのようにして作られるのか、それを作れるというのは、、生きているというのは何かを作っていくことが出来るということなんだと思うけど。
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