お腹が痛い。きゅるきゅるしている、パーティーでアボガドは脇に寄せたのにそのせいか、それとももうパーティーのあの数種類もの食べ物をいっぺんに消化するような許容度をお腹が待ち合わせていないのか。
ここ数日で気付いたのはこの数週間ずっと調子が60%で、今日はっきりとスタジオを借りて動いた時にわかった。ここ数年、夏から秋にかけてひく夏風邪を拗らせると大体1ヶ月くらいその状態から抜け出れない。
なかなか奴らが体から出ていかない。
最近は色んな再会がある。同世代のダンスの友達に会って別れ際に、何のために生きているか、みたいなことが口から出た。インドネシアにいる時、色んな人と時間を過ごした。過ごさなくてもいいし、過ごしてもいい、というスタンス。なんかあれらの時間のために生きているような気がした。もう20年くらいたちそうな友人たちとコーヒーを飲んだり、ご飯を食べた、そういうことのためにお店はあり、時間はあり、生はあるのではないか。今までにおいては、何か作るためにそういう場所を使って来た、面白いことをするためにカフェに集まって、面白い仕事のためにカフェに集まって。でも、何か日本や東京で見られるクリエイティブな仕事は面白いや楽しい、大事ということから少しずつ全体的に遠のいてしまって、とにかく仕事みたいな感じになっているような印象があって、そんなことのためにカフェに集まっては、違うんじゃないかという気がしての反転が起きている。こんなにも面白くやるとか、ひとが楽しくやる、がないがしろにされる未来がやってくるとは思わなかった。ゾンビとりがゾンビになる、みたいな。
友人が妄想の世界の話が現実のことのように体験された話をしてくれて、僕にはそのことは神話みたいに大切な話に思えた。いくつかの現実を複数の世界を生きている、うまくカモフラージュしてそれを生きているひとや、見られないように気をつけてる人、むしろ張り切ってやって見せてる人、色々あると思うが。
夢のように、また極端に現実のように、複数の世界をアドベンチャーのように生きていく感じ?映画を信じるように観ることを久しぶりにやってみるとその感じがわかる。 ストレンジャーシングスを見ながらロードオブザリングを見た経験を思い出す。子供の時、思春期くらいまでは涙を流した時の想像力に約束して生きようとしていたことがあった、と今でも思い出せる。トムがフロドを助けてくれた時、色んなことが中学生の時にあった。ロードオブザリングを初めて友達と見に行ったとき、こんな風に一緒に行った友達も思ってくれるだろうか、とか思っていた。でも今度は1人で結局見に行った、ということがあった。夢を現実に押し付けようとしたのかな?一方でそこから夢をより1人で見るようになっていったのか。
トムとフロドの友情は映画だけの話だなんて誰も本当は思っていない。究極的には涙に嘘はつけない。
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