とにかく疲れているのに、うまく休まれていると言えるんだろうか。現実に経済的にやるべきことに対して、なんとか応えようとしているって感じだ。
いろいろなところで人に会い、話を聞く機会もあるし、明らかに話があっても出来ない、してこない人もいる。 とにかくみんな人生に行き詰まっていて、どうしてあげればいいか自分でわからないとも言えるし、正しく葛藤の中にいるとも言える。そうこなくっちゃ、って感じなのかもしれない。
すごくSEXをしてきて、セクシー女優もやっている人の話を見た。子供が生まれたけど、続けようとしている話。コメントにはたくさんアンチの意見が乗っかる。でもそれまでの過去も、現在もそれを選びその中でなんとか生きる理由を見つけてきたようにも見える。とにかく彼女は死んでいない。生きている。
一般論をどうしても人は言うけど、多かれ少なかれ一般論を割と正しく生きたかに見えた人だって、実はなんとも高度なテクニックの嘘などによって、あたかも誠実に生きてきたかのように振る舞う人もいる。
なんとか死なずにやれる方法を探す中で手にしたという風にその女性は見えた。死を考えたこともあったと話す、隣に死があった。むしろそのことを認識していたようにも見えた、本能的に自分がわかっていた。そして自分を獲得しようとしていた。
SNSでも人のことをとやかく言う。人より自分や周りのことではないだろうか。意外に自分を掘り下げることをやめてしまう。自分のことを考えるなんて特権的だとか、甘やかしだなんて思うのだろうか。
そこにこそ深さもきっとあるのではないだろうか。
そして自分のことを根本から考えることは、色んな自分の欲望や反発に気付くこともあるし、その過程で慕っていた人を見つめ直したり、裏切るような気持ちにもなるかもしれないが。
また別の人がSNSで、自暴自棄になりながらもなんとかして今を生きている姿があった。自暴自棄になりながらも真実の親切を誰かからもらえると信じたんじゃないだろうか、結果として集まってくる人たちはやはり人のことをとやかく言おうとしている人たちだったと思う。自分のことをそれぞれが根本的に考える手前で、人に向かってしまう。それで生きれてしまう、と言う風にも思った。むしろ自暴自棄になっている人の方がはっきりと見えることさえあったかもしれない。
だから、自分だって改めて相当に途中だ。自分は何しているんだろう、なんて落ち込んでいる暇はなくて。でも落ち込むこともきっと大事。夢も大事。
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