2026年11月6日金曜日

じゅん、

 この怒涛の数日を終えてフラフラと布団にいつもより早く入った。たぶんその前もなんかあったのだけど、それは忘れて31日稽古&夜練、1日ゲネプロ、2日名古屋別件、3日本番、4日大阪別件、5日東京帰ってきて懇親会、2次会に参加すべきだったけどクタクタで最寄駅で自分を甘やかすコメダ珈琲デザートコーヒーで酔いが醒めぬまま一息ついて、帰ってきた。が、まぁすぐに寝付けずこの時間だが。

束の間でも今日の朝、大阪のホテルを出て街を歩いた時の雰囲気、そしてモーニングを食べた喫茶店の若い店員と客の中年のやり取りがやっぱり東京よりも余裕も人間みもあって素晴らしくて。美術館で絵を見る時間と想像する時間によって救われる想い。それを栄養にして疲れたけども少し未来への想像にあてた。やはり体力が減ってしまって、たとえば5年前ならこのスケジュールを喜んでこなすだけじゃなくプラスで想像力を未来の構想を描くことに帰り道、すぐにあてていたと思う。

懇親会でどんどん考えがあるの?と言われたけど、実はそれがなくて、焦る、というのをやったところだったので非常にタイムリー。で、結局若い時よりも体力も減っていれば想像力も減っているところがあるのか問題はあんまりわかってないけど、やり方は今見たかった気がする。新しいことを考え続けれる人の多くは1人だけで考えようとしていないのでは、と思った。人に聞ける、そして人に聞いたことが新たなインプットの入り口となって広がりを持てる人だと思った。だから共同制作とか教えてくれるような人がいることはずっと大事かもしれない。先輩に聞くのがダメなら後輩でもそれは構わない、みたいな。江戸のことをやりたいと思うなら聞くのも悪くない気がする。教えてくれる先生を見つける、とか。広太さんを見てそう思ったら、坂口恭平さんもある意味それをやっていると思う。全部自分そうだけど、結構聞いてたなぁ、確かと。村上隆もそうかも。だから孤立している暇も自己完結してる暇もなくなっていく。1人で何か生み出し続けるほど天才なはずはないんだから。もう人生ないんだから。さぁ、だなぁ。いいこと気がついたかも。ちょこっとずつだな。

誰にも期待されていないと思ったけど、そんなこともないのかも、とも思った。期待されているかどうかは知らないけど、違うことをしているという風には少なからず見られているかも。

ゴヤの絵にも会った。本当は好きなヨーロッパの絵画たちと会うとそいつらと一緒に過ごしたいと思ってその街に住みたくなるようなところがある。し、何か別れる時はまたいつか、と思って別れる感じがある。それが大阪でもあったのはなんかよかったと思う。

白髭アパートの余韻がある。素晴らしいプロジェクトだったと思う。出来ればダンスでもアートでも先端的なこともしたいと思う。先端的なことがしたい、というよりも今の社会的なトピックを見つけてそれに取り掛かるような感じ。

劇場にせよ、アートにせよ、予算がついたところで作戦を用意していなくて微妙であることが多くある中で、規模感でちゃんとレプリゼンテーションされていたと思う。そのことを界隈の人もわかってない可能性が引き続き高い気がする。

そういう怒りが前は強くあった、ことに今気付いた。忘れないように出来るとまた色々頑張れるかもしれない。意外に気付かない人のが多い、界隈においては。人は基本面白いが、そういうのはまた人の別の部分だからそう考えれば許容も出来てしまう。

さて、私も私で準備しなければ!!

0 件のコメント: