2023年2月19日日曜日

ひととび

 でも海の中では会話も歌もほとんど出来ないけど泳いだり見て近づくことなどは出来るから、その時間をたくさん駆け抜けた後に地上で空気をすって感想を話したり、岩場に辿り着いて今度は眺めて過ごしたりするんだ。アバターを見てそこからイメージして思った。

でも誰かに対して怒りを持つことと社会に対して怒りを持つこととか全然違って、誰かに対して怒りを持つも一方で怒りを持ってしまっている自分に対して悲しいと思う感情が出てくる人もいると思う。難しい。そうすると余計に時間がかかる。時間はあるいはかかってないにせよ、複雑な複数の感情がどうやらある、それの正体がなんなのか、言葉にしてこれだと思えることもあれば突き止めれないこともある。複雑。

傷口をバンドエイドで治したいと思うこともあれば、傷口に塩を塗ることに慣れている人もいるかもしれない。複数の欲望があるうちのどれかの欠如を別の何かをあてることで錯覚を起こしてそれを解決したと思えることもあれば、やっぱりその欲望に対してはちゃんと対応している欲求でクリアしたいということも。

なぜまた疲れてる日に限って寝れないんだ。

難しい、

2023年2月9日木曜日

白 空

 再び空虚さ、空白を見つけるようになってくる。何もない。 何もないから作ろうとする、作ることを始めると何か形が生まれて面白くなってくる。それでやっと始まっていく、空白との関係。でもまた空白や空虚だけが訪れて、少し待ってるとまたやろうと始める。そういう動機を少し思い出す感覚がある。あまりにもなにもないから。これはきっと考え方や環境の問題で、ある人にはあるんだろう。そしてある人にとってはまた別の問題があってそれとどう関わるかが、生きていることの中での何かになっていたりするんだろう。

エターナルサンシャインを観る中でいいなと思ったのは俳優の人に十分に描写的に演技するそれで画面を作っていくほどの時間が与えられずに会話になったり別のカットになったりすること。もちろんそれは多くの映画の中で採用され要求される映画の仕事としてあるも思うのだけど、僕はあんまり好きじゃない、もどかしくなってしまう。これはフィルムで撮ったのか、ビデオで撮ったのか、ビデオのノリで編集される街が溶けていくシーンだとかの中で小さい頃の自分にも戻る。この描き方がカメラや編集、効果の扱いの面白さ楽しさというのを伝える役割も担っている。物語のシーンとしては悲しいのに、このビデオ愛が、やはりそういうシーンをビデオは撮ってくれるし僕らはそれを観て共感したりしまえるということに泣いてしまう。楽しいのは大事よ、きっと



2023年2月5日日曜日

エターナル

 エターナルサンシャインを久しぶりに観る。これはほとんど江ノ島じゃないか、と冒頭の海のシーン。この朝を知っていると思った。

写真学校の授業でミシェルゴンドリーの話になったのに知らない人のが多かった。かつてあんなに映画や写真の学生たちは彼を追いかけていたのに。

画面はずっと手持ちカメラによって少しだけ揺れている。ビデオで撮ってるみたいな手つきでもある。話は悲しい。 映画を見ていると遠くのことを考えれるからずっと好きだ。誰も周りにいなくなってしまうことも想像出来る、それを描いてもいる。ライブだと今目の前になってしまう。それだと遠くに行くことを許してはもらえない。 空想さえあればなんとかすっと抜け出せる、そういう気持ちを作ってくれる。学生の頃の映画好きな友達2人くらいのことを考えている。とてもロマンチックな考えを持っていた。一体何しているだろう。最近はそういう人に出会していただろうか。 いつもおかしなジムキャリーが普通のテンションで演じられるけど、それがまた何かが溢れ続けるような状態を作っていて、それも目を惹きつける。

悲しい映画だ、色んな体中の傷口から涙が溢れ出てしまうような、

2023年1月26日木曜日

目を開いても瞑っていても回っているよ

 数日ぶりにメモが復活した!あきらめないで良かった。

京都に来て眠れない夜、初めて。
これは移ったホテルの部屋が暑すぎるためだ。まったく部屋にエアコンがついてあるのを大まかに三段階しか調節出来ずそれでこうなってる。

相変わらずずっとネガティブなことの方ばかり考えていて、でもなんとか引っ張ってこようとして、今日は少しだけ光が差し込む回答を言葉として得たと思う。
それはやっぱり"全部"なんだ。苦しくてもなところと、自分の中に見つけれる楽しいところ、両方ともについて取り出して考えること。時間はないじゃなくて時間なんてない、でいけないか。
踊ることは踊ることで身体の記憶として刻まれることとしてあるし、人といるということもそうあるし、言葉だって後退させちゃいけない。言葉にも失礼があるかもしれない。みんなそれぞれに個性的にあるのがひしめいている。
I canだしI can'tだ。
身体や気持ちよ弱くても持ってくれ、太陽が出たら嬉しいかもしれない。もう一度人の悲しみが自分を器に流れ込んで悲しくなったら悲しくなって。私は変身しよう。私は変身しよう。
言葉かもしれないし、態度かもしれないし、ダンスかもしれないし、音や空気、物かもしれなくなるのだ。生きている。

2023年1月23日月曜日

誰にも

 明日から京都。相変わらず荷造りがうまくならない。相変わらず、で思い出すけど相変わらず人は変わらないのかもしれない。ずっと同じとこにいてそれが濃くなったり薄くなったりする程度で人はそっちにはいけないし、こっちにもいけないのか。とかそう書く、少し諦めも込めて、というか書くに任せるとそう言っている。諦めないとしたらそれはすごく大変なことだからだ。誰もそうやったりしない。悲しいことに。いや、やる人はいるんだろう。

昨日もほとんど眠れなかった。帰り道の電車では駅員さんに起こされるくらいに寝てたのに。こないだ担当していた写真学校の授業が終わった。毎年何人かの引っかかる生徒がいてくれるおかげで毎年いつも良いんだけど、今年は人数が少なかったから割合たくさん話せた。皆は人によってはもう大人の留学生だけど、身体表現を前にしたとき、僕の見立てが甘いせいか、子供のようにそれぞれの態度で取り組んでいく、少しずついい片鱗が見れる時があって、そのことが結構1年の中でも美しい表現を見た時間として記憶に残っている。

急に自分の言葉でしゃべる時間が奪われてしまうこともある。僕は手応えを使って話そうとしがちなんだろうか。

ドタバタしながら時が過ぎていく。なんと正月からもうひと月が経つなんて。



2023年1月19日木曜日

知らない

 走り出すとドアが閉まり始めて私は全然入れない。後ろからやってくる人。周りを見渡すと全然人はいない。スーパーからの帰り道。気にしないでほしい。声で出来た塊。ネックレス。ワッペン。ボールペン。少しだけ急な坂になっている途中で拾った10年以上前のメガネ。野球ボールは投げると青色に変色。そんなもんだから今日はお味噌汁だけの夜ご飯。帰ったらサザエさん。変な噂がたって近所がざわついた。グリーン。ゴルフ場のベンチにそっと腰を下ろして半分コーヒーで半分ビールの飲み物を本の上にこぼしてしまった。一体どこにいるんだろう?

夜の銀座を歩いていたら以前の感覚を思い出していた。10年は経ってないのに変わってないみたいでいたたまれなくなる。お店の中でずっと一点だけ見つめる時間が訪れた。変だったかな?気にしない。逆にそれでこそ生きているんだと少し思えるのかも。

雪が降ってきそうだから空を見上げても雪は降ってこなかった。それでも見上げてしまう。降りそうな感じがずっとしていた。銀座の通りから見える空がそうだからなのか。

2023年1月10日火曜日

眠れない

 2023年になった。昨日は本番で、本番が終わった後にもまた練習をしに行った。結構身体は動けたし、本番もたくさん動く作品ではなかったので十分に疲れて帰ってきたにも関わらずやはり眠れない。眠れない今日に関してはネガティブなことを考えてぐるぐるしてしまった。以前、眠れないにも関わらずポジティブなことを考えれたので良しとする、みたいな時もあったのは良かったな。

今日はそうじゃない。最近は結構、現実に対してオルタナティブな夢を見ることが多かったので今日もそれが楽しみだったんだけど。やれやれって感じだ。