2018年12月24日月曜日

クリスマス前日、

またこんな時間になっている。早く寝るようにしたい、せめて2時前には寝るようにって思って長らく。困ったな。
200本のタバコをツタヤで借りて来た。大学生の時に年末系の映画を観ようキャンペーンみたいな時期があってその時見て以来だから10年振りくらい。NYでの年越しをどう過ごすかって、いや誰と過ごすかみたいなことをキャラクターたちがやっていくやつ。
それを見て、年始に年末はNYで過ごそうなんてことをそういえば何年か前によく思っていたことがあったな。お金貯めて、とりあえずNY行くみたいな。23〜26くらいかな、でもいつの間にかそういう気持ちが少なくなっていることに気付いて、驚く。その正体がなんかそういうわけのわかんない可能性に賭けるみたいなこと?なのかそれともどこにでもいけちゃう軽やかさなのか、そういうものが減っているのはなんか寂しいと思った。そういう風にしてこの30代というのが寂しいって思うものになるのは嫌だな。でも30代になって何か20代とは違う価値観を持ち始めた時、たぶんそこだけが変わったわけじゃなくて、接続していることが身体を通して変わっていくことと一緒に影響し合っているからなんだと思う。たとえば自然とか、日常生活における太陽とか建物とか生活圏の温度とか湿度とか生き物のリズムとかそういうこととの接続がもしかしたら身体に影響して、そうなっていくみたいなことあるんじゃないかな、なんて。でもなんか、やっぱり僕はどうなんだろう、もっとわからないも試してみたいと風に傾けれないかなぁ、、

関係ないけど父親が今日、天皇の誕生日ということで彼のことすごい推してて尊敬もしているから行くことにしたみたいで、夜中の2時とかに起きて11時くらいの到着を目指して歩いったという。しかもリュックには米軍はアメリカから出ていけ、という手書きのポスターを貼ってそれをしょって家から35kmの距離を歩いていった。途中、同じように真夜中を目の前を長く歩いている人がいて、ついに近付いた時に声をかけたら早稲田の学生で中央林間から二子玉川まで歩いているという、そこで歩きながら色々談笑して、その手書きポスター見て右翼ですか、なんて聞かれたらしい。右翼じゃないし、今は本当の右翼なんていなくてアメリカに追従してる感じなんじゃないですか、という風に答えたそう。
それにしてもさらっとそういう風にやろうと思ったことを自分で決めてやっちゃうところがあって、これじゃあパフォーマンスだし、なんというか自然だし、すごいなぁと負けた感じがした。すがすがしい。

クリスマスパーティーだ、、!よし、

2018年12月9日日曜日

公演中、

3ステージだから明日で公演が終わる。こうしてキムさんと一緒に舞台に立ったりとダンスのここ何十年かの歴史について少しだけでもと想像を巡らすことがある、思わず今までどれくらい舞台に立ったんですか?と聞いてしまった。もちろん数えていないということでわからなかったのだけど。なんとなく、1000回くらい立ちたいなぁなんて思ってしまった。しかし一方で公演中に、果たして人前に立つということをこういう大げさにやることにたいしての疑問も生まれるからうーんどうしようかな、、とか思うくせにこうして数にしちゃうとなんとなく目指せちゃえる感じもあって。試しに今年を数えたら本番みたいなものが60以上あって。つまり6日に一回は人前に立ってるみたいな、、今年はたくさん出たなぁ。そうするとこれを10年で600回だ、、すると1000なんてもっといけるような気もしてくる。いずれにせよ、面白くある必要があるので、なんとも先が読めないけども。
その話はその話でそのままにして、ハリーポッターの新しいの見た。ファンタスティックビーストシリーズはすばらしいな、ロードオブザリングを観た時のような感動がある。は、少し違うかもしれない、でもすごい素敵。泣きそうになる美しさに。そういうところから始まったことを思い出させる。またエマワトソンも好きなんだよね、なんか童心に変えれるよな、見ていると。美女と野獣は彼女のために作られたんじゃないかとさえ思ったよね。

2018年11月27日火曜日

早さ

最近よく夢を見る。で、夢を見るのが眠る前の楽しみだったりした。
今はその最近がまた更新される頃でそんなにじゃないけど、でも昨日見た夢を思い返せばやはり少し楽しみだ。どんな光景の中にいれるのか、と。
今日は演劇を観に行った。しかし舞台で描かれた方が取り扱った問題は社会的だけど、ストーリーは描かれるけどそれに対して他の想像力を持ちにくい作りになっていると感じた。カンパニーが大きくなりすぎたからなのか、難しさを感じる。隣の人は泣いていたのだけど。感想としては、最初から最後まで態度がはっきりしているということで言えばパフォーマンスだと思ったけど、それは個人で行われるものであるべきだと思った。みんなでそれをやってしまうのはコストパフォーマンスがまさに悪いというように思った。
面白いことしてる人もちょくちょくいるけどその面白さに関しての言及、いやそれらを集めるようなキュレーションが少なく、演劇に関してはうーんと首をひねることの方がずっと多いかもしれないな。芸能と近いということが大きいのかもしれない。

そんなことばかり書きたかったわけじゃない。

えっと、最近は稽古がずっと続いてるサラリーマンのように出社し働く。が一か月以上続いての本番という状況です。
僕にはサラリーマンに憧れた時期があって、それは小学生の時で会社帰りに居酒屋で秋刀魚の塩焼きなんかを食べたいと思っていた。

こないだ友人の結婚パーティーに参加した。
みんなで久しぶりに会って、じょじょに高校の時のように絡んで話した笑った。
カラオケに行って昔の曲なんか歌ったりした。
居酒屋では結婚して旦那さんの良くない面について話をしていた。
30歳だと思った。しかし100歳まで生きるならまだ何にもわからないじゃないかと思うのだった。
大学生の時もこの年齢になる時もまだ自分だってそのくらいしか生きてないのにわかったように話す人が多々いるけども、やっぱりそれはその場限りのフレーズとして捉えてしまうよ。

最近、気を付けたいのは時間が過ぎるのが早いということに対しての切実さや悔しさが少なくなっていくことが感じられ怖いと思うところだ。
見た目をよく若く見られるが、そういうことよりも若い時よりももっと動くにはどうすればいいか、そのことが重要だ。

2018年11月16日金曜日

ポップコーンよそ見

今日はたまたま出来た休日でした。夜に少し土曜のリハはあったものの。
にしてもなんか休日についてもっと考えなきゃいけない、休日ってのは前からずっと経験しているはずなのに一向に使い方がうまくなった気がしないよ。
ヴェノムを観に行ってきた。
お昼からポップコーン食べたら朝食べていただけあってすぐにお腹膨れてしまった。
来年以降の進め方どうしようとか映画観ながら考えたらしていた、横道運転。
冬の洋服というのも未だにわからないことが多い、何か素材も色々増えるし何枚も着たり肌はほとんど出せないしでチューニングが難しいしどこを目指していくべきなのかもわからない、そして片付けをそもそもしてそこからな気がする。何を買うべきかもそうしたら少し見えるんじゃないかな。

こないだずっと会ってない友人が夢に出て来たり、少し前は遊んでいた友人が出てきたりして、それを通して彼らのことを懐かしむ。今日は誰を懐かしむだろうと布団の中へ入る。

30歳という年齢で次第に現実に目を向けてなんというか目標もそれっぽく周りとの調合を持ってして、みたいな感じに形成しようとする自分が出てくる一方、まだピュアな誰に必要とされなくても自分が見てみたい景色というか手を伸ばしたいとか想いを持ち続けたい世界みたいのもどうやらあるようでそれを少しふいに思い出される瞬間があって、迷う。

明日からまた週6で稽古が始まる。

2018年11月9日金曜日

もう一回広げて

今度は頭痛。というかくるっと一周あるいは半周向きを変えるだけで頭が痛くなるみまいなことに今日の稽古中になった。帰ってきてすぐ横になって2時間半後に起きたけど、多少落ち着いたものの残っていて。一体これはなんだろう?風の名残?
なんか忙しくて色々な時間を過ごしたのだけど、書こうと思って中々夜も遅くなり書くことが出来ずにいた。
またそんな風にさっき眠ってしまったから寝れない頭でぼんやり布団にくるまって目を閉じて考えてしまっている。
11月はみっちり稽古だけど夜だけはいつもその分決まった時間のあきスペースが多くあるから人と会ったりしたいなぁなんて思っているんだけど、片付けたいけど書類などの申請とか12月の準備も始めなきゃで、結局忙しくなりそう。それでつまり忙しいってことは来年の4月まで忙しいということで、なんか泣きそう。
それを目指してたじゃんと一方で言う自分。どっちもで。
いつもそういう問いが浮上すると、現れてくる人生の2文字。
そして本当に人生が一回しかないのに何も試せてないということがわかってその瞬間に可能性と世界が途方もなく広がり自由になる。
誰も知らないんだから。
今まであった人やまだ会ってない人やものや世界のイメージが広がって僕は生きている。
僕は生きている。

2018年10月12日金曜日

six truth tree

今日は12時に起きた、、いや布団の中にいて実際に起き上がったのは12時50分くらい。さささっと朝食をすませる。最中にはテレビで手話講座をやっていたので、少し見る、司会の男性は口ではしゃべらないがひじょうに新鮮だ。
食器を片付ける、洗うのは早いと思う。
の後、ギターの練習をするのはバイトがない日のルーティーンだ。これでいくらか時間をつぶせたらやっと外に出れるということにしている。
電車に乗って中原佑介の評論集のNo.6を読んでいると車内に2名違う女性が入り込んできてどちらも香水をつけているようだ、1人はドアの側に立ち、僕はそのドアに最も近いというか裏側にあたる席に座っていて、もう一人は隣の空いているスペースに座った。この場合は匂いはどうなるんだろう、と鼻をこらしてみたが、わからなくなってしまった。匂いは空気中で混ざって中間の匂いとして嗅ぐことは出来るのだろうか。AとBがあり、それらが混ざって中間を出すだろうという推測はどんな条件のもと立ち上がるのか。電車にゆらながら次の駅へ向かうようにそのことを忘れ、ボナールの展示を観に行った。
今回は壁が広くとられているからオーディエンス導線主義じゃないため1つ1つと対峙しやすい作りだ。
美術館に入るまえ、憂鬱な雲が六本木界隈を上空でまとっていて、今日はなぜこんなに遅く起きてしまったのかという後悔と今までのそんな日のレパートリーについて大学生くらいの頃からのことが思い出されてしまって、そこで思ったのはそういう日の色というのはとても覚えているし、そのこととたとえば楽しいことがあった時の長い飛距離を感じて、いいなぁって思う絵があることを思った。
暗いと感じた時の色と、良かったと感じた時の色のAとBの混じることのことを言っているのか。
美術館をあとにし、六本木駅を目指す。ストレートの小道が出来ており、PIZZAやブルーボトルなどの店がある、おまけに神社まで。街に染められるようにして、歩いているなぁと思った。どこにいても、絵の中にも街を探してしまう。


2018年10月9日火曜日

道路

音楽は流してないのにイヤホンだけはついたままってことをたまにやる。
耳に入ってくる音が少し遮断される代わりに何かつまったようなぼんやりした感じになる。
イヤホンをつけながら買い物をする人は店員の人に対して失礼だと思う、だったら店員さんも相手のことは聞いてないような振りするの全然okだと思う。しかし、僕がこうして無礼に対して無礼を、でいい態度にはいい態度で答えるのもokみたいにしてたらむしろいちいちいったりきたりで目指すような社会は程遠くなってしまうだろうか。
この三連休、いわゆるバイトを入れることも出来たけど入れずに自分が何を出来るかを自分に投げかけてみたのだけど思ったよりいいパフォーマンスが出来なかった自分に残念だ。30年も東京に住んでると結構飽きてくる、掘り下げるみたいなことをしていかないと限界を感じる。生活を作っていくとかがきっと面白いフェーズなのかもしんないけど、もう少し世界と遊びたい、やっぱり海外に行って他の道具を使ってplayしたいとかそんなことをノートにまた書き綴った。
最近はなるべくとにかく、練習を続けるようにしている。結構毎日空けずに練習出来ている。素朴なんだけど今の自分に必要なのは色んなことを練習する時間を作れるかどうかだ。これは生活を作っていくにも繋がっていくだろう。
この毎日続けられていることをもう少し一日ごとの練習の時間も増やしたいな。