私たちが描かれた太陽や空や森や土であったらいいのに。話さなくとも絵具が混じり合うように時に色が重なって少しずつ移行しているような関係でいれたり。違うバランスでいれたり。描かれたものの色彩のようであったらいいのに。色彩だけで関係が変わり続けるということであれたらいいのに。言葉を喋ろうがそのようでいれることもありうるのかもしれないね、でも言葉があるからそうはさせない。そのディティールの凸凹に悩まされる。うまくはまったり、はまったままうまくたゆとうたりしづらくて、諦めてしまいそう。色彩であったらいいのに。
どうもaokidです。東京を中心に活動していますが、夢は大きくもっと色んなところで活動活躍出来たらと日々もんもんとしています。 活動はaokidとしておどったり、絵を描いたり、aokid cityという架空の街を作るというプロジェクトを持っていたり、ゲリラパフォーマンスなんかをしたりしています。
2022年9月4日日曜日
身体を書き換える
困った。昨日は早起きで睡眠も短く、1日を乗り切ったのになんと今夜眠れない。自律神経?というやつなんだろうか。 小さな子供が生まれた時の親はずいぶん睡眠がとれずに悩まされるというから、それとは全く比べものにならないだろうけど、やれやれだ。
最近、少しずつ舞台で試したいことが増えてきて、そうだ、と思ったのは、自分のやりたかったことや思考の立て方で。特に自分はダンスこそをなんとかしてやりたいとかそういうわけではなく、全選択肢があるうちに出来ればその中から何かを選びとってやりたかったはずで。それでまだ手をつけていない思考の組み立て方が起きたりするとその回路がその人の中で新たな、あるいはまた気付けるものとして身体の中で機能し出すようなことに興味があった。
意外にコロナになってからか、そういった回路を考えるのは全選択肢が選べる状態こそを作るか、それが難しければ(コロナだとこっちの方にどうしてもなっている状態であるのが常だろう)やっぱりその時の部品でなんとか別の伝達を考えるということを最初は試そうとしていたのに、もうそういうことはやめてしまう。
こうなれば新しい都市が作れないように、新しい身体も作れないのではないか。最近、舞台や何かを見る寂しさというのは身体が更新されないという感じが強くするからなのかもしれない。そうするとどうすればいいかというと、一つの見る作品に頼るのではなく自分の生活をかけて見ていることたちを編集し、そこに自分を組み替えてくれるような体験を逆用意することで自身を更新していくようなことだと思った。今はこっちの方が圧倒的にいいかもしれない。だから坂口恭平さんの本を読んだ時に面白かったとか、今買ってる複数の本を同時にたくさん読みたいということこそが身体を書き変えてくれるんじゃないか、という期待に辿り着く。僕は早くまだタイマーの終わり切ってないこの冷房の元眠りたい。
2022年9月3日土曜日
秋の涼しい海の
すごい静かな涼しい風ー が窓際に顔を寄せるとあたってきて秋をとても感じて幸せ。 このことばをうまく言葉に残せた時にも幸せを感じる。何かを作る時の幸せ。 この幸せはでも誰かとの幸せというより1人での幸せかもしれない。 1人で作る、構築の幸せ、道具を転がしてる際に訪れる発見。 このことが大事なんじゃないかと薄々感じていたけど、そういうことを確か坂口さんも書いていたのでなかったっけ? 何かを作る中で展開される自分の考えや言葉だとかそういった形の変形を楽しむというのがもともと備わっているというか。
涼しいけど朝までこれ続くのかな?やっぱりエアコンをつけて寝そうだよ。明日はいろんなところにバタバタ移動する。 でも本当は今日思ったのは、色々人工的な作ったものを観に行ったけど今僕が思うのは考えているのは考えたい、きゅん!って思ったのはボケに近いようなこと。いや、というか海に行きたいと思った。あの実家から23km歩いたところにある海に。23km歩くということとかこそが僕が再び何度も通りたい道。忘れちゃいけないよ、ボケ担当じゃないか、と。こればっかりは私の持ち物。誰かとのじゃなくて。私の持ち物。
すると海の波の音がなんかこの秋の涼しさに混じって聞こえてきそう。
2022年8月23日火曜日
たどり着くまで
京都に向かっている。久しぶりの夜行バス。何しに行くんだっけ?友達に会いに?何かをしに?練習がしたいと身体が言う。でもきっと涼みに行きたい。
京都には色んな思い出がある。でも住んだことはない。色んな瞬間があった、時代とともに。 若い時の記憶。
しかしどうだろう、また夜行バスだなんて。少し高いお金を払ってらくらくシートへ乗るにせよ。でもヨーロッパとかでは全然こういうの普通。日本だと急に年齢を重ねると体裁の方を大事にする傾向がある。貧乏な国なのに。しかも対日本の人に対していじっぱりだ。
これもいじっぱりかな?パーキングエリアにはたくさんの車。高城剛に感化されるところもあって自分は都会しか住まないから車はいらないと思っていた。でも車のスピード、車で行ける道や街、そういったものが見たくなってきている。歳を重ね、日本語への興味みたいな感じで。きっと海外とは違う情報をなぞることが出来る車での道の手触り。人を乗せてどこかへ行くのもきった素晴らしいだろう。
向こうに見える車は空っぽの車内で運転手がトイレに行ったのを待っている。自分のことを待っている車はまだない。経済がもう少し豊かになったら車に乗れるかな、心の優先順位を変えれば車に乗れるかな。
夜行バス、真っ暗な車内を駆け巡る光の線はもうほとんど忍び込んで来なくなった。いよいよ暗い道路へ入ったのだろうか。夜行バスはずっと暗闇の中をこっそり進むんだよね、車内の人たちは小さな子供のように寝かされてさ。こっそりと忍び運ぶんだよ人々を。だから若い時はこのままどこか夜空や銀河まで運んでくれないか、と想像したものだ。それかカーテンをめくり上げて過ぎゆく夜景にその夜空や知らない暗闇へのイメージを重ねてさ。
うまく寝れるといいな。
2022年8月18日木曜日
瞬間的に動けなくなること
本人はジョークのつもりかもしれないけど、その言葉の連なりで身体が本当にがんじがらめに動けなくなってしまうということがあるんだな。そこではダンスさえも難しい、取り繕ったり瞬時には出来ない。だからダンスが出来る時間は幸福なのかもしれない。
2022年8月16日火曜日
眠れない
夏の夜が眠るのが難しい。こんなに難しかったっけ?小さな子どもは自分から寝付けないというのを聞いたことがある。寝る筋道を親が立ててそれで寝れるという。 疲れているのに前の日に寝れなかったので次の日はぐっすり、ということも少なくなってきている気がする。
年齢のせいなのだろうか。 寝れないのは悲しい。
少なくとも毎日うまく寝れるならこんな気持ちにももう少しはならないのか、あるいはこんな気持ちだから寝れないのか。
たくさん動いていないのが原因かな?十分じゃないのかも。なぜかまとまった練習も出来ていなければ制作もできていない気がする。ちょびっとずつ全体的に、だ。そう考えると全くうまく行ってない。やれやれ、だ。
一方で昼過ぎや夕方には結構もう疲れているのに、昼寝が必要なくらい。まったく難しい体になってきた。