2020年11月29日日曜日

still

 今日は横浜のワークショップの帰りに町田で久しぶりに練習して帰ることにした。するとおまめがいたので2人で練習。最近、bboyとまた練習するようになったとは言えあんまり話したりもしないでただ練習だけして帰ることも多いのであんまり話してなかったけど2人だったしちょっと話した。いくつかのことが進んでるみたいで、良い感じそうで良かった。知り合って彼でさえ10年くらい経つんじゃないかな。

そういえば昔も練習場所で誰かと2人になったりすると濃い話をしたりしていたことを思い出した。ミッキーさんとかとよくそういう時間を過ごしたなぁ。自分もミッキーさんもたくさん練習しまくってる時期だったのか(基本ミッキーさんはいつも練習していたけど。)、なんか覚えている。すごく懐かしいなと思ってしまう。そうしたらそうだやっぱり今も、振り返ってそう思えるような時間が過ごされてもいいし、あるいはもっと違う時間でもいいし、もう少しその思い出を眺めるでもいいし。


僕はもう来月33歳になるのか。

これまでの15年よりこれからの15年のが早いと感じるのかな。


まだ話したことない人と話そう。やりとりをしたことがない人とやりとりを交わそう。出会っている人たちと何かしよう。いつでも全てから逃げてもok。


2020年11月5日木曜日

アフタービール

 ストリートビールの帰りはいい感じにビールが浸透した体で電車に揺られて帰る。電車のスピードと聴く音楽がこう立体的に立体駐車場!じゃなくとまらないで蠢いたまま進む。夜の光を照らさなくてもいい。もう十分に胸はいっぱいだ、このからだはいっぱいだ、いっぱいだった。 こんな風にさっきのこと、今のことも過去に出来ちゃう文章の自由を!いま、ぼくは、行使している。

今聞こえてる音楽はcrash into meだ、me、ジュースが体に浸透するみたいに。オレンジジュース!

帰りの電車はみんなくたびれてしまって疲れてしまってまるでふとんのように戦闘をやめたみたいにして踊らない状態。これからよるははじまるってのに。 誰も楽しい世界を知らない、今、超、世界が輝いているのに、映画は眩いのに、いいの?よし。へい。ごう。うん。ぱん。しん。てん。

よしよしよし。

何もなくても今はこのまま何か大きいものを持ち上げれそうな気分がやってくる。


2020年10月11日日曜日

チョキ

 明日早いのに寝れない。

インスタを始めた当初はいよいよこれを始めるんだ、何を投稿しようかとワクワクしていた。新しい出会いがあるかも。刺激によって新鮮な感じを受けたりそんなことを思ってたのに、今は何か反応をビクビク気にしてしまって投稿しているなんてクソみたいだと思って気付き始めてる。

みんな勝手だなぁって思うことがあった。普段はそんなこと思う方じゃないがやはり自身が専門にしていることにはうるさい。文脈を踏まえてほしいと思ってしまう。馬鹿すぎると思ってしまう。専門性に関しては。なんのために自分がどういうことをしているのかを無視しているんだなぁ、と思えてきてしまう。

もっと全然嫌われても良いのかもしんない、という言葉が頭をよぎった。人生は大事なんだから。

クサヴィエドランの映画を見ると発見を持って帰る。どういうことだろう?映画の中で様々な形での愛のやりとりが描かれ、抽象度を高め、音楽とともにハイなところへ持ち上げられる時に、共感しそして憧れをいつも抱く、このような恋愛の天才とでも言うような瞬間を誰かと過ごすことについて、その才能のようなものがあるとすれば、何を手放したっていいみたいな。そういうのを観た後、雨が降ってても傘をさす気にはなれなくて雨を浴びながら歩いて帰るみたいな。そういう映画を用意してくるやつなんだ。彼は。そしてもうひと段階、自分ももっとピュアな自分と向き合った作品こそ作るべきなんじゃないかって気持ちになる。

展覧会の写真を見て、もちろん絵画好きなはずだけど最近一瞬頭をよぎるのは、本当にそのやり方しかないのだろうか、ということだ。絵を描くしかないのだろうか、なぜこれほど人がいるのにみんなやり方が似た方向になってしまうのか。生きている場所からのインプットとアウトプットの関係について検証しないのだろうか。圧倒的に破壊が足りない気がする。クリエーションしかしてないみたいな、ノーデストロイみたいな?

日記の中にいくつもの状態が入り込んでしまった。

東京の現状ではどうしてもリアリスティックな表現を僕は選んでしまいがちだ。この状況に抗わないと意味がない、みたいな。一方で本当は自分にこもって良いなと思うような幼児的というか、対象にのめり込んだ表現は後回しになってしまう。

悩んでも構わないけど、そんなことよりも人生ということだ。とチョキが出されていた。全部が僕より早い。w

2020年10月3日土曜日

アルマゲドン的な月を見上げれる場所

 昨晩、クタクタになってそこで寺尾紗穂さんの曲を聴いて何年か前のソケリッサと寺尾紗穂さんのライブでそこにいた誰もが子供みたいにオイオイ泣いていたあの時間を思い出したら泣けて来てしまった。そこからいくつか胸がいっぱいになってしまい泣いてしまった何か達を思い出していった。 何か誰かと一緒になって熱くなってお互いにいるんだ、ってことがわかる瞬間だとかがここだけじゃなく色んなところに普通に起きている安心がやっぱり作れないかって思った。みんなどことなく気を使っていて、みんなが頑張っているような状況だから何か伝えるのは傍に置いてってなってるんじゃないかって思えてきて。

それもあって今夜はストリートを行った。遅刻して15分くらいいつもより遅く始まったんだけど1人で到着するとなんか嬉しくて、通りゆく渋谷の人たちと接点が持てそうなことにすごくワクワクしていた。この感覚はいつもあるわけじゃない。人同士であることを喜ぶみたいな感じがあった。すぐに西山さんがやってきて、段々とダンスが始まっていったんだけど。

ストリートビールで猫道さんが歌ってくれた時に、これだ、人の歌よ、人に向けて、体の間に存在する事を少しづつ取り戻しておくれ、と思った。 


最後、アルマゲドンの曲を流すと背景の満月と雲隠れに気付いてみんなで興奮してしまったんだけど、この構図を作ったのもやっぱりこの集まりでこの体の流しで見れたことだからすごく最高だったなぁ。

先日、少し竹内さんのことを書いたけど、本当のことはどうもわかんないですよ。一瞬なのかもしんない、もうダメって思うのは。海外に行くことも難しくて少しづつ日本で出来ることは増えても、差し出された限界の中で生きることと今やってるやり方の間で突破口やそれでokを出せるとこがないなんてことは、全然あって。むずいですよね、変なことを結局みんなで作り出している最中ってこと?なのかもしんないし、そうじゃないかもしんないし。でもなんか訪れてくる瞬間がある人はあるから、、

ちょっとずつ歌い出したいな

2020年10月1日木曜日

タクシーの詩は良かった

 今夜は疲れている。東京に帰ってきてからまた1日の中で頭痛やちょっとの体勢のズレで疲れてしまったり、目の奥や頭が痛く集中出来なくなるやつ、錯覚で呼吸も不安になるやつ、がやってくる。こんながいつも続くなら結構東京にいるのダメかもしんないな。じゃあどこかに行くのはどうなの?どうなんだろう。そもそもモチベーションがないかもしんない。

時間的には今日は結構いいやりくりが出来た日だったと思う。うん。展示も見に行ったり、スタジオでも練習出来たし、絵も少しとりかかれたし、オンラインの方も少しだけやりとりをした。

すれ違いざまの友達にまるでエスカレーターみたいに通過していくね、遠くから言われた。その通りだった、あの次の電車に乗ることこそが優先事項で目指された先になっていた。久しぶりの再会だったのに。

原宿のスタジオからの帰り道、人気のない原宿から渋谷にかけては4、5月を思い出す。あの時はたくさん空間と時間があって、誰かに会いたくてよくあの曲を聴きながら歩いていた。昼なのに夜にふさわしいキラキラした曲を聴くのだった、戻ってきてほしい時間のことだった。

夜はAmazonプライムのドラマを観た。インド系の彼はスラムドックミリオネアに出ていた。恋人との出会いの一連の流れが素晴らしく興奮したのだけど、これは映画あるあるの恋が生まれるところっていうのはやっぱり一番なんていうか興奮して瑞々しくフレッシュな輝きを観客に与えるのは当たり前か、だって複雑になってギスギスを瑞々しく表現し観客に興奮し初恋のような気持ちを与えるなんてそれは無理な話だから。当たり前なのかもしんないけど、相変わらずやはりその一連の流れにすごく引き込まれているのだった。

誰の目も気にせずに新しいことに日々飛び込めたらどんなに素晴らしいだろう。

そういう気持ちがあるからなのか、いつも誰かと一緒にいるというのは出来ないのか、かと言って飛び込む勇気もないのか宙ぶらりんなのかもしんない。ともかく言葉を出してみる。

もっと仕事を自由に出来るはずなのに出来ない日本の社会はクソだと思った。仕事の手先こそがそれぞれの未来を作っていく芸術そのものなのに目的は別のことにとってかわられている。怖がりな社会がそうしている。

そのことを考えていると急に竹内さんのことも考えちゃった。いま会いにゆきますは、高校の時に何度か観にいった。女の子とも観に行った、その子のことを好きになろうとは結局しなかった。音楽が好きで何回か行った、不器用な主人公に自分を重ねようと観に行っていたのかもしれない。

その頃はよく竹内さんを見かけたけど、いい女優さんだなんて思ったことは一回もなかった。どこか不自然で、なぜ?って思っていた、なぜこの人に女優をやってもらおうとしているのかわからなかった。

仕事の話と繋げて考えるならば、仕事ということの面白さをあまりにも軽く見ている人たちで作り上げた社会みたいになっていると思う。綺麗だから女優さんにしちゃおう、とかやめた方がいい。様々なことは動詞的に選ばれるべきかもしれない、そしてその動詞にもう少し委ねよう、いいか?みんなで作っている最中なんだ、これは。全員で手を動かしているんだ、ということを確認したい。そこにこそ楽しさがあるじゃないか、楽しさを脇に置いておくなんて馬鹿げている。



2020年9月13日日曜日

映画を撮りたくなる気持ち

 先日、町田で練習した後に半年ぶりくらいに3000回以上歩いた道を歩いて帰ることをした。それはそれでなんかとても大事な時間だった。ここ数ヶ月、結構忙しくてしかもこれまでとは違う忙しさで、それはオンラインだったりパソコンでの事務作業が増えたことや管理し進める作業が増えたことによったり、または少しそれ以外の生活の仕方や社会の変化ももちろん影響しているだろうし、今年は体が変化して来ているのも強く感じている。そんな中で少し疲れてはいるなぁと感じることは多く、少しその半年以上ぶりに歩いた時間が少し自分への癒しにもなった気がする。

ささいな回復が突如起こるというか。

今日も疲れているなぁと思ったけど、オンラインでの橋本くんとのラフなイベントは何か懐かしい感じもしたし、その後でランニングしていると久しぶりにこれも半年ぶりくらいにあの猫に出会って戯れ遊ぶことが出来てこれも癒しだった。

あんまり目を合わせてくれない猫だけどとても人なつこいのでちょっと前に歩みを進めて屈んで猫を待つようにみていると向こうからゆっくりと歩いてくる景色が覚えていたくて、しっかり顔を覗き込んで。


そんな時間の前に今度はなんとなく歌を歌って人に歌っていることを伝えていこうと前から思ってたことも久々にやってみた。すぐに即興的に。

もしかしたらこれからは固定的な曲の時代でもないのかなぁなんて最近はどこか思ってるとこある。もっと使っていこうってこと?なのか。絵を描くように歌を歌ったりその場に対応するみたいな。

変な写真や動画の順番を貼り付けていく作業も楽しくて、根拠もない作られ方だけど、出来たものを楽しがるようなマインドがあって。こんなことしてたらアーティストや作る人は脅かされると思って怖がるんじゃないかな?なんてことをランニングの最中に密かに思う瞬間もあって。

フランシスハってあんないい映画だっけ?って久々に見て思った。パリに行ってもほとんども何もない映画なんてあっただろうか?どこか自分のさえない海外旅行の日を思い出していた。ブックスマート見てから、友達を使った映画を撮りたくてしょうがない気分。

ブルックリンの人たちって、私たちは最高でクソな世界の中の都市とまぁ言われてるらしいとこに住んでいるって態度が眩しいよね。親への信頼があるみたいな、パフォーマンスが。

映画ならどんなことを投げかけれるだろうね。

豊岡から帰ってきたらデートがしたいと思った。

2020年8月28日金曜日

出来る時

 どう見たって渋谷や表参道を歩いてる人の数は減っている。これまでの通行人の数からあてにしていた商売をやっている人はやはり厳しくなってきているのだろうか。

明日の蓮沼フィルに向けて今日もリハーサル。稽古前に近くのスタバにいくと赤い服を着た人が視界に入ってすぐにマヒさんというのがわかる。面識はないけど、よく夏はGEZANを聴いていたので、なんだなんだか今日の調子は悪かったのだけどこの時間から良くなっていくような気がした。
今日のリハーサルには柴田さんやXiangryuさんも参加。
柴田さんとか会うの久しぶりだしまさか一緒にやれるとは嬉しい。
撮影にはジーマも入っているので懐かしい。10年越しな感じ。

蓮沼フィルはライブ10回以上見ているんじゃないかな?随分ファンだったわけだけど、こういった形で参加出来るとは思いもよらなかったのでたぶん幸運だろう。
見せ方を作るのは難しいけど、音楽を大幅に頼りにダンスを続けている人にとってバンドに混ざって行われるライブというのはかなり恵まれた状況だと思う。
僕はこれまでに東京塩麹とも貴重な機会を何回も重ねたし、どいつたるねんにも参加したり、松崎ナオさんには振付したり、よださんとは一緒にクリエーションまでしているのだから本当に栄養過多と言われてもしょうがないかもしれない。が、まだまだ出来ることはたくさんある。額田くんにももっと相談しよう、などと思うのだった。

スパイラルも初めて展示に参加した場所でもあるので何かいいチャンスだ。

最近、実は仕事は忙しくてバタバタ毎日していて追いつけてもいない。
しかし、そのどれもが違う仕事で自分の仕事としてやってほしいという依頼であるというのもこれは恵まれた仕事の行われ方だと思う。
一方でカフェのバイトも出来れば入って、その行き来でバランスをとりたさもどこかある。
色んな場所でそれぞれだからこそ出来る仕事ということで世界が作られていく割合が増えるといいなと思う。そのためにはなるべく他の人がやっている仕事を知っていくという必要がある。様々なやり方や事象を面白いと思える感性を育てていく。新鮮に受け取れる感受性をどのように保つか、

今、2Fの窓越しから横断歩道が見えるのだけど向こうから歩いてくる人をちらっと見たら目が合ってドキッとした。身の危険?これって緊急事態宣言下ではなかったやつだ。
みんながそれらの目線を時に気にしストレスに感じたり、それを利用し自身を磨いたり、お互いに関係しないことがないというのがデフォルトだ。
始まっていないということがないことをもっと積極的に受け入れ、勇気を持って影響し会おうか。出来る時。