2025年4月11日金曜日

あきらめネーションジェネレーション

 ストラスブールにいて最初の10日間くらいはジェットラグや稽古、毎日が怒涛のように東京での時間が入る隙を作ることが難しいくらいに進んでいたから眠れもしたのだけど、段々と慣れてきたところ、東京の仕事のあれこれも考えする時間が生まれていく中で、夜眠れない日がやってくることになった。最初に眠れない日に思ったのはこれじゃあ東京の夜じゃないか、と思った。 そしてまたお腹を壊して眠れない日や、夜何かを訴えるような泣いているような声によって途中で起きてしまって眠れない日やら、そしてそして明日は最後のランスルーを控えるにも関わらず美味しいチベット料理を食べたにも関わらず変なお腹の痛み、気持ち悪いって感じとともに眠れないこの時間がやってきてしまった。

東京の生活を考えると絶望的だ。絶望的だなんていつから言うようになったんだろう。全てが最悪の方に向かっている。世界さえそうなんだから。と言うのは非常に簡単だ、イージーだ。

しかしこっちでは改めて違う何かを握り直そうとしている。科学的根拠を持っているはず。

日本でフレッシュであり続けることが困難さを極めているとすればそれはやっぱりSNSの影響が大きいと思う。自分はルッキズムとか関係ないからSNSの影響も、人との比較からも逃れているなんて思っていたら大間違いでずいぶん人と比べていることに気付く。

そんなことよりも世界は大陸や海や空で繋がっていて、人や物や空気とも繋がっていて、その繋がっている部分や繋がっていない部分の接続のあり方を変更することは可能なのだ。自分だけを見て不可能だなんて思うなら、他の人も不可能だ。他人の人を可能にするように自分が可能になるということがあるんだ。

あきらめないこと。楽しめること。

寝よう!

2025年3月14日金曜日

うぉんうぉん

 時間を見ると3:11だった。さっきまでご飯を食べながら観ていたのは9/11に関する映画だった。その前は映画館から出て夜の長い道路を自転車で駆けていた。

こないだ搬出の帰り道、小雨の中タクシーに荷物を詰め込み飛び乗り後にする蒲田はさっきまで見ていたのと違って見えていた。たかが1枚ガラスを挟むだけで少し他人になった。旅をどこか違う街でしていて帰りに車やバスなどに乗ると急にさっきまでの街から遠かったのを感じるみたいに。 きっとフェンスの方が車窓よりは近くに感じられて、映画は車窓よりも他人に映るのだろう。

映画館で観たショーンベイカー監督によるアノーラは、数年前であればデビットフィンチャーとかに期待するようなアメリカを代表する監督だと思う。公に開かれているカテゴリーの中で。いつものきっとショーンベイカーならではのあの突如、特に気の利いた演出なんてものもなくまるで大きな落とし穴が現れるような、あの感じがどこかのタイミングに起こるのか、それともすでに見ている何かの中に仕掛けがあるのか、をずっと気にしながら見るような集中力と一方で抜けた感じ、が現代的だと思う。でも結局、何か超現実的でありながら今回のはより広く大衆向けでもあるということで魔法の粉を忘れずに描いたこの映画にいつのまにかずっと魅了されていた。そして2時間半ってたっぷりの時間をかけて、まるで一緒に時間をかけて沈黙も含めて相談し合おうっていうようにそのたっぷりの時間をかけてくれた、ということは現代においては態度そのものであるように感じられた。

少し昨日のタクシーの中で考えたこともあいまって感傷的な気持ちで映画館をあとにする。世の中から暗闇はきっと減ってしまったし、自分も歳をとってしまったけど、何か失うべきじゃないプライドの美しさを少し思い出した気がする。ずっとそれをどこか大事に腕の中で胸に抱え持っていて、守ろうとしていたのに、いつのまにか、そんな抱えたそぶりさえどこかへ行って、じゃあ抱えてたものなんてそもそもなかったの?みたいな気分で。でも、確かに抱えていたのを思い出していた。

現実を見て現実に取り組んで現実を良くしていくことでしてか生きていけないのかもしれないけど、こうありたい、と思って人目も憚らずに自分を見つめることがまだ出来るのならそれは試したっていいのではなかったか。暗闇の中で光って宇宙とも交信するような時を待っていたい。I want

2025年3月1日土曜日

よーい、そん、

またしても夜眠るペースに乗り込むことが出来ず。

展示が始まって落ち着いたり次のことに取り組めるかと思ったら、左目がピクピクと痙攣を始めた。何か疲れやストレスが抜けないのか。困ったものだ。

だけど今日は朝と夜にそれぞれ何気ない良いことがあった。朝のは公園で小さな子と保護者の方と他愛のない会話をしたこと。夜は仲間たちとのラップの時間を過ごしたこと。ラップをし、街を見渡しながら、昼に聞いた東さんのトランプ2.0の話を思い出した。これからきっと暗い時代になっていく。そういう時に自分たちの居場所があるだろうか、ということさえ心配になってきていた。色んなことがどんどん分断されるのなら、近しい人同士の間でさえ分断が増えていくのだろうか。それはちょっと見切り発車かな。何か少し心配な気持ちが出てきてるのかも、、、



随分と遠くまで時間のおかげで来れた気がする。距離を作るのに時間がかかる。

なんとなくそれで最近は再び良い意味で取り組んでるそれぞれのことが少しどうでもいいと思える瞬間がやってきて、確か以前はこういう風にして取り組んでいた気がする。なんだっていいけど、あれもこれも大事という態度。風が抜けてくような。

自分は何とも関係していない。遠く遠くにいると思え。

どうでも良いと思っているが何かへの準備をずーっとしていて、風が一瞬ふって、吹く時に強く集中する。そういうやり方。人のように何かを大事にするのは下手だし出来ない。 どうでも良いという状態ですっとする瞬間を見つける、楽しむ。解放する。



それにしても世界は窓だらけで窓で繋がっていて全ての世界を知ることが出来るようになった。知りたい世界はおそらくこの裏側にあって、瓶を振って下に落ちてこないか、下から覗いて見えるか、見えないか。全部の世界を知っているけど、あの暗闇だった部分や黒くて見えなかった部分や選り分けるのに難しかった色の混在したスペースたちの部分はどこへ行ったんだっけ?

わからないという部分は??


やっと遠くに少し来れて、それで、どうでもいいや、という気分がやってきた。

2025年2月19日水曜日

トール

 気温の変化が激しい。激しい。激しいよーー!

いや、そこまでじゃないんだけど。この2月までの2025年で3回風邪引いた。これはおかしい。そして引き続き先週のちょい暖かい感じからまた寒い日が始まって、見事に体温調整を怠ったたり、一瞬にして風邪が身体に入り翻弄される感じ。免疫くそ弱くなっているのか。むずい。

トールキンの映画を見始める。

大事なことに気付いたというか思い出したかもしんない。


2025年2月9日日曜日

ガッカリ眠り

 昨日の夜、なんの前触れもなく布団に入ってよく眠れないなぁと思ったらすぐに喉が痛い、風邪のやつが喉にやってきたと思った。それで今日を過ごした。朝ごはん食べたりして良くなってそれでリハを過ごしたけどあんまり元気によく踊ったりする気にはなれず。

そして今夜眠ろうとしたら今度は眠れない。明日が本番というのに。全く先週に続いてこの調子だ。

身体に関しての結論はここ一二年、菌が入りやすいような身体になっている気がする。傷口に侵入するように菌が隙を見つけやすい身体の状態にあるのでは、と思う。

眠れないことに関しては今のところガッカリするくらいしか方法がない。

でも明日起きたら全力で1日や出会すことを楽しもう、と思いつく。

2025年2月4日火曜日

せかいはじめて

 最近、久しぶりに何年振りかにとてもポジティブな言葉が湧いてくる日があった。全力でその日のことに出会おう、取り組もう、抱きしめよう、みたいな言葉。口にすればありそうなことだけど、これが自分の中に再び現れたことは絶対的にポジティブだ。随分そこから遠いところにずっといたような気がする。まだ抜けきってはいないけども。

そもそも、抱きしめよう、とかそんな言葉ってこれも江戸時代よりもっとあとの近代以降に生まれた、戦後以降に生まれた言葉だとしたら。とか脱線は置いておいて。

さぁ、今夜も眠るのが下手くそだ。坂口恭平曰く、寝る時間を小学生の最高の頃の鬱病とか始まる前の居心地いい時のに合わせたんだってさ。そういうのもありだよな。

大人は夜も手に入れたと思い、そこに住み始め、一方で夜に体調を壊し続けてもいる。大きな人間はその夜に困っている。

容姿のことを自分なりにでも頑張っていたことを、やめてしまったなぁと改めて思った。それに加えて最近、子供たちとも遊ぶ機会も増えて、そうするとなんか先生みたいな親御さん達ともやっぱり同じ世代だし、そうするとなんか親御さんたちもどっちかというとみんなパパやママとしてそこにいて、自分もなんかそういう気分になって、そのように対応してしまうというのもあるかもしれない。色んなバランスが少し崩れてしまったのかも。

もうちょっと外に向けて頑張って、その方がきっと活動にも良い影響がある気もする。何かを諦めているのか、これでいいのだ、なのかどっちなのかずっとわからないでいる。その先までは考えるのは難しくてずっと色んな気持ちとともにそのままでいる。一年というのは365日で数えればそれなりの日数に見えるけど、命というのは中々全然一生単位の中の波の大きさというのは一定なんかじゃないのだろう。

これでいいのだ、じゃなくてなんかもう一回、キラキラするような気持ちを取り戻したい。

でも、世界も今本当に変わり目で、こんな世界初めてだろうって思う。けど残念ながらずっと、毎年毎年いつも世界にとっては今こそが世界初めてだ、くそー。


2025年1月27日月曜日

頭と体

 久しぶりに派遣バイトに入った。ここまでの道のりも遠かったけど通りたかった道を使ってそのことと帰り道のバイトを終えた感じが何か暗い感じで繋がっていて、その感じを欲していたのでその選択をして良かった。

派遣バイトは昨年のはじめに仕事がなく始めたことの1つ。結果的に10回くらいしか1年で入れていなかった。100回は最低でもやろうとか思ったけどわからない。

しかしこのバイトをすると自分が全くのゼロの無知の、誰も知らない人という感じがする。しかしたまに知り合いに遭遇したりもする。ちょっと恥ずかしい。本当だったら数年前だったらこんな恥ずかしい思いはあと何年かで卒業だと強く思っていたのに、やっぱりここ数年変だ。気持ちがなんか弱くなっている。

でも状況は少しよくなったような気がしていたけど、油断してたらこうなったわけだし、状況が少しよくなった気がしたことと気持ちがそれでも弱くなっているとしたら、気持ちが弱くなっていることはマイナスだと思う。

一体どこをほっつき回っているんだろう、って気持ちが強くなって、姿勢を押し出してほしい。それでまた夢でも出てきてくれよ、と自分に思うのだった。


でのバイトで良いのは、ふとした時に色んな人間を観察する瞬間だ。普段会わないような人がたくさんいる。友達がここ以外にいるということを考える。

よし、よく働こう。人生を棒に振ってもいいじゃないか。広く広義で制作をしよう。一回きりなんだ。無い物ねだりしても仕方ない。この身体とこの頭でやるしかないのだ。

2025年1月26日日曜日

チャン

 このベッドは魔法のベッドで、ふかふかとだんだん下の方から暖かくなってくる。だから油断すると暖かくなりすぎて寝にくくなってくる。夜うまく寝れなくなったのはいつからだろう。大学生くらいから?朝にぎりぎりちょうどよく起きて朝ごはんをモリモリ食べるのが好きだった時期があった。あれはやっぱり高校生の頃だろうか?高校3年の夏にやはりシンクロをしていた時はドラマのドキュメンタリーを真似して牛乳にきな粉を入れて飲んでいた。

文章を書く時、なんか順序立てて書くのがめんどくさくなってくる時がある。というかずーっとたぶんそれに納得できてないから、文章も読めないし、順序立てて書くのも苦手なままなんだ。

また文章を書き始めると文章も一人歩きし始めてさっき書こうと留まっていた色んな思考もどこにも行けない。

絵を描いたり今のように制作を始めるようになって、子供の頃の記憶にもう一回触りにいこうとするようになって、徐々にそれまでは目の敵だった子供たちも可愛いと思えるようになった。もう子供じゃなくなったという意識があったこともあるだろう。

そこから少しずつ時間の経過とともにその昔に接続したり考えることが出来ていくことが嬉しいと感じていた。

でもこれから"いい年齢"になっていて、そのことはまだ続けて接続したりしていけるのだろうか。

数年ほどぐるぐるとした自分がいて、そこからまた何か出来るのかずっとわからないでいて頼りない。

明日こそは、とここ最近はずだと思い始めている。最後のチャンスとか、なんとかいって。

2025年1月14日火曜日

年前の

風邪ひいてしまった。あと少しで治りそう。今回はひょこっとしたやつ。お風呂で洗いながら、それだって風邪をひいたことは人生で100回もあるだろうか、と考えた。人によっては一桁か。人によってはほんの数回しか風邪をひかずに死んでしまう人もいるだろう。長生きすれば何回か風邪にかかって、かかるうちに治し方を覚えていくというのもあるかも。
人生の中できっと長く生きて良いことの一つにたとえば夏とか季節を100回迎えられるとか、があると思う。これだって温暖化や住む国によってどうかわからないし、日本に住んでいてそれでこの国の色んな部分が結構好きになってきてるからそういう風に僕がなってきているのもあるかもしれないけど。


中学生くらいからアブリルラビーンやエミネム、エアロスミスとかグリーンデイとか音楽を聴いたり、映画もスナッチとか8mileとかオーシャンズ11やロードオブザリングを観るようになって、それで高校は音楽はやはりブラックアイドピースやオアシスとかボブディランとかセックスピストルズとか聴くようになって映画もドキュメンタリーとかも観るようになって、それで大学に入るとRENTとかミュージカルも観るようになって、ブロックパーティー聴いたりそれだけじゃなくアートもアンディウォーホルとかバスキアとか観るようになってもちろん映画もスパイクジョーンズとかヴィムベンダースとか見たり、してさ。本とかもポールオースターとかからミランダジュライとか。ウディアレンとか。そんな中でキラキラしていた好きな映画や音楽群の傾向というのがあって、それらに魅せられるともう胸から掴まれて、ここじゃない気が強くしてくる。誰もわかり合えないような感じ。きっと今ここで誰も友達でないなら海の向こうでわかり合える人がいるかもしれない。それはブレイクダンスの対外的には絶頂の時期でそんな中、絵や言葉を強くかくようになっていた。だから絵はどうしてもただ描かれた絵じゃなくて、自分にとっては逃げ出した先にあることであってほしかったんだと思う。だからそういう絵になっていったかも、少なくとも自分にとっては、という絵がいくつか描けるようになった時嬉しかった。みんなが美大でうまかったので教育を受けてこなかった自分は恥ずかしかったけど仲の良い友人にはスケッチブックを見せた。そうすると意見や喜んでくれて、それが今の自分を作っている。
大学2年まで一緒だった全く厳しくも相棒のような友人が先にワーホリでイギリスへ渡り、大学3年の春休みに合流しヨーロッパを回った。
それから帰って大学のインカレの飲み会に参加した時に退屈でしょうがなかった。
大学1年の時のニューヨークでは右も左もわからず浴びるだけ浴びるという感じで大学2年で行ったベルリンでは全てがそこにあったと思った。それで大学3年の秋に今度は世界大会でハノーファーに行った。ベルリンに行った時、なんとなく世界大会でまたドイツに来る気がしていた。世界大会は自分にとっては最悪で、ブレイクダンスの祭典なのだから全世界のブレイクダンサーが集まる夢の場所なのにここではきっと誰とも何も共有出来ないだろう、という思いで過ごした。それは全体的に失礼過ぎた。
コンテンポラリーダンスやアートを選んだ理由はどことなく海外と近い文脈上で話せる分野と思ったからだった。統一されていないやり方で説明できる事があるかもしれない、という希望があった。
大学を卒業後も色んな活動があって、海外のことを気にしていた。そういえば高校生の頃に見たスパイダーマンシリーズも強烈で、きっといつか自分もスパイダーマンになるんじゃないか、と高校生にして想像していたんだ。
いつのまにかアベンジャーズが始まりご覧の通り内輪ノリみたいにした映画を続けていて、夢を見る事が、新しく何かを描く事が難しくなっているように感じられる。僕が歳をとっただけで若い人が見たらそんなことを思わないのか、それともやっぱりアメリカが、社会が描く力を失ったのか、わからない。
テクノロジーやSNSが発達してみんなそれを使って表現をするようになった。しかしそれらの表現は自己承認との関係性が近すぎて、何か作る発表とコミュニーケーションが結びつき過ぎていて、創作の部分での夢想や想像を抱え込む余地がないことが多い。人はなんとかして誰かと話すために表現し作っていたことが、容易いコミニュケーションの方法を開発したことによって、その中間が削り取られてしまったみたいに。
そういうことなのか、わからないけど。


ここではないどこかで、ほんのり想像出来るようなあそこで、きっと何かが起こるかも、という風な気持ちが懐かしくなっている。だって最近あまりに現実的に過ぎると思う。何かそういう気持ちを取り戻してもみたい。